この運命、一蓮托生につき ~黒の過保護と白の執着~

 触れている手の平から、微かな震えが伝わってくる。

「置いて、いった……?」

 唖然とするぼくに、異形のものたちはぎゅうぎゅうとすり寄って来た。

『ボク、キライナ……ッタ? サワル……ダメ?』
『ウ……ガウゥ……』
『……ワタシ、タチ……イニトスキ……』
『イカナイデ……』

 赤黒い液体がどろりと滴って、ぼくの頬や腕にボタボタと落ちてくる。

「……そんなことしてない!」

 気付けばぼくは、がばりと起き上がって叫んでいた。
 怖いとか、気持ち悪いとか、そんなことは頭にない。

「だって、ぼくは……! っ、つぅ」

 痛む頭を手で押さえる。

「おい、急に動くな」

 ふらつく肩を蓮が支えてくれた。

 どこか、自分が自分でないような……。
 もわもわと、変な感じがする。

 さきほど脳内に再生された映像を思い返した。

「ぼくたち……もしかして一緒にいたこと、ある?」

 恐る恐るそう呟くと、教室中に充満していた濃紺の煙に、黄色やオレンジ色が混じった。

『オモイ……ダシタ?』
『イニト、イル……ナカマ……イッショ、ズット……』

 手に触れていた子が、頬ずりをするように体を押し付けてくる。
 血なのか、なんなのかよく分からない粘液に塗れても、払い除けることはどうしてもできなかった。

「その……。ま、まだよく分からないことばかりで。ただ、そんな映像が頭に……」

 ぐしゃりと前髪を掻き上げる。
 混濁する記憶のなかで、ただひとつ分かることは――。

「きみたちは、ぼくを攻撃しようとしていたわけでは、ないんだね……?」

 そう言った途端、みんながワッと迫ってきた。

『チガウ……!』

 煙の色が複雑に入り混じる。

『ナデナデ……スキ。イニト、スル、スキ……』
『……ミツケタ……ヤット』
『ウレシイ……ギュー、シタイ……』

 みんなのあまりにも切実な声に、何かが込み上げてくる。
 無性に泣きたくなって、ぐっと堪えた。

「ご、ごめん。そうだって分からなかったから、ぼく怖がっちゃって……」

 ふるふる、とみんなが揺れる。

『キュウゥン……』
『……ネクス、イッタ……サワル、ダメ……』
『イタイ、シチャッタ……ゴメン』

 迫ってきていた子たちが、思い出したように距離を取ろうとする。

 蓮が深いため息をついた。

「……興奮しすぎなんだ。お前らは」

 低い声が、淡々と落ちる。
 ざわついていた気配が、更に引いた。

『ウ……ダッテ……』
『アエタ……ヤット……』

 金の瞳が威嚇するように睨みを利かせると、しょぼしょぼと煙がまた濃紺色に変わる。

『ズルイ……ヒトリジメ……』
「こいつを守るためだろうが」

 ぐいとぼくの肩を引き寄せ、唸るように低い声を発した蓮をどうにか宥める。

「ま、まぁまぁ。もうこの子たちに敵意がないことは分かったから」

 ぼくも必要以上に怖がってしまっていたわけだし、お互い様だ。
 蓮は不満げに鼻を鳴らして、そっぽを向いた。

 あはは……と苦笑いしていると、触れている子の皮膚がドロドロッと、溶けるように崩れた。

 大型犬ほどの体が、ふうふうと膨らんだり縮んだりしている。
 どこで呼吸しているのか分からないけど、苦しいのだろうか。

「ねぇ、痛む……? ここが苦しいの……?」

 この子だけじゃない。
 みんなの体から滴る粘液で、教室の床は今やほとんどが赤黒く変色していた。

『……クルシイ』

 見ていられなくなって、半ば無意識に震える体へと息を吹きかけた。
 淡い水色の光が中型の子を包み込む。

『ウ……』

 少し安らいだような声音を聞いてほっとしたのも束の間、ぐじゅりと滴り落ちる粘液は止まってくれなかった。

「そんな……!」

 蓮だってこうしたら元気が出たのに。
 さっき脳内で見た映像の中でだって――。

『……クウキ、イタイ……』
『ココ……イル、クルシイ……』

 そんな……まさか、もしかして。

「存在しているだけで苦しいの……?」

 ふるり、と肯定するように中型の子が身震いをした。
 みるみる視界が滲んでいく。

「ぼ、ぼくが……。ぼくがきみたちを今、還してあげるから……」

 息が苦しい。きみが安らげる場所へ、早く――。

 ぎゅうと抱きしめようとして、けれど中型の子はそれを押しのけるようにぼくの胸を押した。

『デモ……キエタ』
「え……?」

 中型の子は、更にグイグイと胸を押してくる。

『イニト……クルシイココ、オイテッタ……!』

 思いもよらない言葉に絶句し、ぼくの体は硬直した。
 濃紺と深紅が激しく渦巻いて教室を満たしていく。

『イナイ……フーフー、ナイ……イタイ……』
『ココ、イキル……クルシイ……』
『サガス、イッパイ、イニト……ドコニモ、イナイ……!』

 そんな……ぼくは。

『ドウシテ、オイテッタノ……?』
「……っ」

 みんなの悲痛な叫びが、ぼくの心臓を深く抉った。
 ガタガタと全身の震えが止まらない。

「違……置いていくなんてそんなこと、しない……! してない、はずなんだ……。ぼ、ぼくは……」
「おい、よせ! 拓実、聞かなくていい」

 どうしてぼくはいつも、肝心な事を何も覚えていないんだろうか。
 自分で自分が嫌になる。

「……ごめ……本当に、ごめん……」

 胸を押されても、それでもぎゅっと、その脆い体をつよく抱きしめた。

「……でも。痛みや苦しみのない場所へ、今度こそきみを連れていくから……そう、絶対に……」

 右腕を頭上へ伸ばし、天に向かって手の平を翳す。
 眩い光と共に出現した扉を見上げると、頬を熱いものが伝った。

『アッタカイ……』

 強張っていた体から、ふにゃりと力が抜けていく。
 中型の子からぼくの体の中に流れ込んでくるものを感じて、そっと目を閉じた。


 ――イニトイル、ツライ、ナイ……。
 ――ぼくは辛いよ……。このままでは、きっときみも……。


 抱きしめる腕に、力をこめる。

『ネムイ……イニト、オヤスミ……』
「うん……。ゆっくりと、おやすみ……」

 赤黒い剥きだしの肉体が、ざあと光の粒子になって舞い上がっていく。

『……ヒナタ、ボッコ?』
『ア……ウアァ……』

 柔らかな光の下、みんながぼくの元へ集まって来る。

『ギュー、シテ……』
「うん、いっぱいしてあげるよ」

 優しく微笑んで両腕を広げる。

「いい子だね……。安らかに、お眠り……」
「……」

 ぼくがみんなを“還す”間、蓮は何も言わずにその様子を見守ってくれた。
 次第に充満していた煙や、床の痕跡が薄れていく。

『グルル……』

 最後に残ったのは、入学式の日に遭遇した、あの獣型の子だった。

「きみは、引っ張りっこが好きだったあの子だね?」
『ガウッ!』

 大きな鼻先が頬にすり寄ってきて、微笑みながら優しく撫でた。

「ごめんね、あの時は化け物なんて言って……」
『クゥ……キュウゥ……』

 ぼくを囲うように伏せをしたその首元へ腕を回した。

『グルルル……』
「うん……ありがとう……」

 べろり、と輪郭の曖昧な舌が、ぼくの顔をひと舐めした。
 徐々に肉体が発光し、粒子となっていく。

 ――さあ、取っておいで!
 ――ガルウッ!

 ふっと腕の中が軽くなる。

「また、ね……」

 舞い上がっていく光の粒を見上げる。
 噛みしめるように開いた右手を捻ると、徐々に扉は閉じていった。

 辺りには静寂が戻り。
 見回してみると、教室の中はさっきまでのことが幻だったかのように整然としている。

 いつもの一年二組がそこにあった。
 窓の外を見やれば、淡い紫色の空には薄らと月が昇っている。

「終わった……ね」
「……っ!」

 ふらりと倒れかけたぼくを、蓮が咄嗟に受け止めた。

「蓮、きみがぼくの傍にくれるのって……。あぁ、そんなに噛んだら血が出ちゃうよ」

 見上げると、蓮は何かを堪えるように唇を噛み締めていた。

「後で……聞きたいことが、あるんだ……」

 無言で頷いた蓮を見て、重い瞼を閉じる。
 なんだかぼくも、眠くなってきちゃった……。

 そうして意識は、深い深い所へと沈んでいった。