ゴールデンウィーク明けの校内は賑やかだった。
生徒があちこちで、休暇中の思い出話に華を咲かせている。
「ひと気が多いからかな。意外と霊がいないね?」
人にぶつからないよう歩きながら、ぼくは蓮にこそりと耳打ちした。
「……いや」
けれど、返ってきたのは思っていたのと違う反応だった。
色付き眼鏡をずらして、ぐるりと視線を巡らせている。
「……気配が少なすぎる」
「それって良くないの?」
てっきり「面倒事が減る」とか言って安心すると思っていたのに。
『やつらのせいだ』
どこからか、急に知らない声が降ってきた。
『……やつらがたくさん集まって来てる』
――あれ。これ、真上から声がしてる?
思ったと同時に天井を見上げて、ぼくは悲鳴をあげそうになった。
「……っ!」
咄嗟に口を押さえて叫ばなかった自分を褒めたい。
天井から上半身を突き出した男と、思い切り目が合ってしまったのだ。
「や、やつらって……」
「……降りて来い。首、疲れる」
眼鏡を外した蓮が、ため息交じりに言って壁へもたれた。
朝礼まで、まだ少しだけ時間がある。
「あの。よかったら話を聞かせてもらえないかな」
男は頷くと、するりとぼくたちの目の前へ降り立った。
宵ノ宮高校と刺繍された、陸上部と思しきユニフォームを着ている。
『……あの化け物みたいなやつらのことだよ。お前らは見たことねぇのか?』
脳内で、前に聞いた遠吠えが再生された。
蓮と出会った入学式の日のことが思い出される。
「化け物って……。もしかして、獣みたいなやつ?」
『獣、なのか? あれは。どいつもこいつも形が崩れていて、そんなの分かんねぇよ』
男子生徒の霊は、考えこむように顎をさすった。
『まあ、人じゃねぇのは確かだろ。あんな赤黒い肉の塊みたいなもの』
「赤黒い……」
やっぱり、ぼくと蓮が遭遇したものと同じ存在を指しているのだろうか。
蓮は何も言わずにぼくたちの会話を聞いている。
『これまでも、まったくいなかったわけじゃない……。時々見かけることはあったからな』
彼は険しい顔で、グラウンドがある方を向いた。
『ただ、近頃は数がやたらと増えてきてるんだ。ここに居着いていたやつらもビビっちまってさ。ほとんどが方々へ散ったよ』
ぼくは小さく頷いた。
「それで気配がなかったんだね……」
『オレは隙を見て走りに行けねえかと思って、まだ残ってる。でも、このまま増え続けたらさすがに……な』
がしがしと頭を掻いた彼は、ぼくと蓮を交互に見ながら言った。
『……なぁ。お前らで何とかできねぇの? そいつ、めちゃくちゃ強そうだしさ』
「ええ? 急にそんなこと言われても――」
思わず蓮の方を見やる。
『オレ、こないだ見たんだよ。光る何かが上空に出現したの。やったのお前だろ』
「そ、れは……」
ぼくの言葉を肯定と捉えたのか、ずいと目の前まで迫られた。
『……お前。なんつうか、あったかい良いニオイがするんだよな――うわっ』
「そこまでだ」
あ、と思うよりも早く、蓮が生徒霊の首根っこを掴み上げていた。
『おおっ、やっぱりこいつ強ぇじゃん! なぁ、頼むよ。この通りだ!』
蓮に掴まれてもなお、へこたれないのがすごい。
両手を合わせて懇願する姿を見たら、どうにも断れなくなってしまった。
「うーん。……ぼくたちに解決できるかは、分からないからね?」
「おい、拓実」
『それでもいい! どのみちお前たちしか、頼めるやつはいないんだ』
蓮は雑に生徒霊の首根っこから手を離して、深いため息を吐いた。
「……安請け合いしすぎだ」
「だって。困ってるのに見て見ぬふりできないでしょ」
正直、ぼくもあれが何者なのかずっと気になっていた。
ぼくの隣には、いつも当たり前のように蓮がいてくれる。
けれど、他のみんなはどうだろう。
自分だけ安全な所で過ごせたらそれで良いっていうのは――ぼく、嫌だ。
「ただ守られているだけじゃ、だめだ」
手に力が込もる。
「ぼくだって守りたいんだ。……ぼくの手で掬い上げられるもの、全部」
蓮を真っすぐに見つめて言うと、金の瞳が僅かに揺れた。
「――そうして、お前が壊れてもか」
「え……?」
蓮の口から零れ落ちた小さな呟きが、ぼくの心にさざ波を立てた。
本人も無意識だったらしい。
はっとすると、蓮は誤魔化すように眼鏡をかけ直した。
「……遅刻する。行くぞ」
「う、うん」
時計を見やると、朝礼の時間まであと少しというところだった。
「それじゃ、ぼくたちそろそろ行くね」
『……わりぃな。無茶なこと言ってるのは、分かってる。けど、オレたちじゃどうにもできなくてよ』
しゅんとする生徒霊に、ぼくは微笑んだ。
「蓮は君に怒ってるわけじゃないからね。ぼくも気になるし、少し探ってみるよ」
『あぁ。本当にありがとうな』
生徒霊はハヤトと名乗った。
手を振って別れを告げると、ひと足先に歩き出していた蓮の背中を追う。
急いで教室へ向かい、なんとかぎりぎりの時間に到着した。
「蒼井くん! 今日もお休みかと思って、心配していたところだったの」
中へ入った途端、すでに着席していたクラスメイトたちに次々と声を掛けられた。
「調子はどうだ?」
「あんまり無理すんなよ」
「ありがとう。もうすっかり元気になったよ」
久しぶりにみんなの顔を見られて、ぼくも自然と笑顔になる。
「よっ。黒切も相変わらずだな」
「……ん」
「まぁ寮でもお前が蒼井のそばについてたなら、安心だわ」
席に着いて、同じく座ったばかりの蓮をちらりと見やった。
さっき一瞬気まずい空気が流れたときは、どうしようかと思った……。
「……?」
ぼくの視線に気付いた蓮が、首を傾げて見返してくる。
今見る感じでは、もういつもの蓮だ。
「ううん、なんでもない」
小さく首を振り、前へ向き直る。
ちょうど担任が入って来たところで、チャイムが鳴った。
朝礼は何事もなく終わった。
けれど、なんだか今日はやけに蓮のことが気になってしまう。
「ここ、重要だからしっかり覚えておくように」
チョークを走らせていた教師の言葉に、はっとして意識を黒板へ戻した。
ぼくが朝のことを気にしすぎているだけ、かな。
ノートへ書き写しながらちらりと隣を盗み見ると、ちょうど蓮が首元に触れたところだった。
――どうしたんだろう。
その後も、見るとしきりに首元を触っている。
一度それを認識してしまうと、もう目が離せなかった。
「……ねえ」
三限目の授業が終わった後。
ぼくはすぐさま蓮に声をかけた。
頬杖をついていた蓮が、気怠げにこちらを見る。
「なんか、あった?」
「……べつに」
ふいと目を逸らされて、やっぱりどこか変だと感じた。
いつもなら、こっちが逸らすまでじっと見返してくるくらいなのに。
そんなことを思っていると、蓮がまた首元を触った。
「ほら、それ。今日ずっとそこを触ってるよね」
指摘すると、自覚していなかったのか、ぴたりと手を止めた。
言ってしまってから、触れられたくないことだったのかもしれないと、少し気後れする。
「あ、ごめん。もし言いにくいことだったなら――」
言い淀んだぼくの手首を、蓮が掴んだ。
「……来い」
「あっ」
されるがままに教室を出る。
行き着いた先は屋上だった。
錆び付いた扉が、重い音を立てて閉まる。
「……誰もいないね」
吹き抜けていった風につられて、空を見上げた。
雲の流れが早い。
昼の人気スポットも、今はしんと静まり返っていた。
「教室だと話しにくいことだったの?」
塔屋の裏手に回ったところで、蓮がぼくの手首を離した。
そしてぼくの方へ背を向けると、床にしゃがみこむ。
「……ここ」
蓮はとんとん、と首の後ろを指し示すと、後ろ髪をよけてネック部分の布地をずらした。
いつもハイネックのインナーに覆われていて見えなかったうなじが、露わになる。
「あ、あの……」
「気になるんだろ」
遠慮がちに近づいてうなじの所を見ると、黒い線で何かが薄らと描かれていた。
「三つ葉……? 線が掠れてる」
そのとき、ふと学食で上級生に絡まれたときのことを思い出した。
――首の後ろにタトゥー入れてるってウワサ聞いたんだけど。
「首の後ろのタトゥーって……」
もしかして、これのこと?
「入られないようにするための、印みたいなものだ」
「印?」
蓮はこくりと頷く。
「……タトゥーじゃない。ペンで書いてる」
予想外の返答に目を見開いた。まさかの、ペン。
たしかに、もしこれが本当にタトゥーだったならこんなに掠れてるわけないよね。
描かれている形も、どこか歪だった。
「だから消えかけちゃってるのか」
「……これでも一応、油性ペンだぞ」
表情は見えないけど、なんとなくむすっとしているのが分かって苦笑した。
「もしかして、いつも自分で書き直してるの?」
「……ないと感覚鈍る」
「そっか……」
少しだけ間を置いて、口を開いた。
「ぼくが書き直そうか」
手を伸ばしかけて、触れてよいのだろうかと一瞬迷う。
それでも――と、そっと印に指先を添えた。
指先に温もりが灯り、蓮の肩がぴくりと揺れる。
「……っ。お前」
「だめ。まだ動かないで」
振り向こうとした蓮の背中に手を添えることで動きを制した。
最後の仕上げに、印へ向かってふっと息を吹きかける。
「……!」
直後、印が眩い水色の光を放った。
あまりの眩しさに思わず手をかざしたところで、突然腕を掴まれて驚く。
「お前、思い出したのか……?」
瞑っていた目を開けると、蓮の顔がすぐ目の前にあって息を呑んだ。
驚いているような、困惑しているような、見たことのない表情をしている。
「あ、えっと……。思い出すって、何を?」
ぼくがそう言うと、一拍置いて蓮の掴む力が緩められた。
「……いや。なんでもない」
蓮は片手で顔を覆うと、ひとつ大きな深呼吸をした。
「……最後、なんでそうした」
最後って、息を吹きかけたことを言ってるのだろうか。
「ご、ごめん。何かそうすると良いような気がして、体が勝手に……」
「……そうか」
おずおずと謝るぼくの頭を、蓮は乱暴に撫でた。
「謝らなくていい。……正直助かった」
「ほ、ほんと?」
「……ああ」
蓮がわずかに微笑んだのを見て、ほっと胸を撫でおろす。
眼鏡を外した蓮が、空を仰いだ。
すうと瞼を閉じると、静寂の中を一陣の風が吹き抜けていく。
「――これで完全に戻った」
再び開かれた金の瞳に見つめられて、ぼくは目を逸らすことができなかった。
生徒があちこちで、休暇中の思い出話に華を咲かせている。
「ひと気が多いからかな。意外と霊がいないね?」
人にぶつからないよう歩きながら、ぼくは蓮にこそりと耳打ちした。
「……いや」
けれど、返ってきたのは思っていたのと違う反応だった。
色付き眼鏡をずらして、ぐるりと視線を巡らせている。
「……気配が少なすぎる」
「それって良くないの?」
てっきり「面倒事が減る」とか言って安心すると思っていたのに。
『やつらのせいだ』
どこからか、急に知らない声が降ってきた。
『……やつらがたくさん集まって来てる』
――あれ。これ、真上から声がしてる?
思ったと同時に天井を見上げて、ぼくは悲鳴をあげそうになった。
「……っ!」
咄嗟に口を押さえて叫ばなかった自分を褒めたい。
天井から上半身を突き出した男と、思い切り目が合ってしまったのだ。
「や、やつらって……」
「……降りて来い。首、疲れる」
眼鏡を外した蓮が、ため息交じりに言って壁へもたれた。
朝礼まで、まだ少しだけ時間がある。
「あの。よかったら話を聞かせてもらえないかな」
男は頷くと、するりとぼくたちの目の前へ降り立った。
宵ノ宮高校と刺繍された、陸上部と思しきユニフォームを着ている。
『……あの化け物みたいなやつらのことだよ。お前らは見たことねぇのか?』
脳内で、前に聞いた遠吠えが再生された。
蓮と出会った入学式の日のことが思い出される。
「化け物って……。もしかして、獣みたいなやつ?」
『獣、なのか? あれは。どいつもこいつも形が崩れていて、そんなの分かんねぇよ』
男子生徒の霊は、考えこむように顎をさすった。
『まあ、人じゃねぇのは確かだろ。あんな赤黒い肉の塊みたいなもの』
「赤黒い……」
やっぱり、ぼくと蓮が遭遇したものと同じ存在を指しているのだろうか。
蓮は何も言わずにぼくたちの会話を聞いている。
『これまでも、まったくいなかったわけじゃない……。時々見かけることはあったからな』
彼は険しい顔で、グラウンドがある方を向いた。
『ただ、近頃は数がやたらと増えてきてるんだ。ここに居着いていたやつらもビビっちまってさ。ほとんどが方々へ散ったよ』
ぼくは小さく頷いた。
「それで気配がなかったんだね……」
『オレは隙を見て走りに行けねえかと思って、まだ残ってる。でも、このまま増え続けたらさすがに……な』
がしがしと頭を掻いた彼は、ぼくと蓮を交互に見ながら言った。
『……なぁ。お前らで何とかできねぇの? そいつ、めちゃくちゃ強そうだしさ』
「ええ? 急にそんなこと言われても――」
思わず蓮の方を見やる。
『オレ、こないだ見たんだよ。光る何かが上空に出現したの。やったのお前だろ』
「そ、れは……」
ぼくの言葉を肯定と捉えたのか、ずいと目の前まで迫られた。
『……お前。なんつうか、あったかい良いニオイがするんだよな――うわっ』
「そこまでだ」
あ、と思うよりも早く、蓮が生徒霊の首根っこを掴み上げていた。
『おおっ、やっぱりこいつ強ぇじゃん! なぁ、頼むよ。この通りだ!』
蓮に掴まれてもなお、へこたれないのがすごい。
両手を合わせて懇願する姿を見たら、どうにも断れなくなってしまった。
「うーん。……ぼくたちに解決できるかは、分からないからね?」
「おい、拓実」
『それでもいい! どのみちお前たちしか、頼めるやつはいないんだ』
蓮は雑に生徒霊の首根っこから手を離して、深いため息を吐いた。
「……安請け合いしすぎだ」
「だって。困ってるのに見て見ぬふりできないでしょ」
正直、ぼくもあれが何者なのかずっと気になっていた。
ぼくの隣には、いつも当たり前のように蓮がいてくれる。
けれど、他のみんなはどうだろう。
自分だけ安全な所で過ごせたらそれで良いっていうのは――ぼく、嫌だ。
「ただ守られているだけじゃ、だめだ」
手に力が込もる。
「ぼくだって守りたいんだ。……ぼくの手で掬い上げられるもの、全部」
蓮を真っすぐに見つめて言うと、金の瞳が僅かに揺れた。
「――そうして、お前が壊れてもか」
「え……?」
蓮の口から零れ落ちた小さな呟きが、ぼくの心にさざ波を立てた。
本人も無意識だったらしい。
はっとすると、蓮は誤魔化すように眼鏡をかけ直した。
「……遅刻する。行くぞ」
「う、うん」
時計を見やると、朝礼の時間まであと少しというところだった。
「それじゃ、ぼくたちそろそろ行くね」
『……わりぃな。無茶なこと言ってるのは、分かってる。けど、オレたちじゃどうにもできなくてよ』
しゅんとする生徒霊に、ぼくは微笑んだ。
「蓮は君に怒ってるわけじゃないからね。ぼくも気になるし、少し探ってみるよ」
『あぁ。本当にありがとうな』
生徒霊はハヤトと名乗った。
手を振って別れを告げると、ひと足先に歩き出していた蓮の背中を追う。
急いで教室へ向かい、なんとかぎりぎりの時間に到着した。
「蒼井くん! 今日もお休みかと思って、心配していたところだったの」
中へ入った途端、すでに着席していたクラスメイトたちに次々と声を掛けられた。
「調子はどうだ?」
「あんまり無理すんなよ」
「ありがとう。もうすっかり元気になったよ」
久しぶりにみんなの顔を見られて、ぼくも自然と笑顔になる。
「よっ。黒切も相変わらずだな」
「……ん」
「まぁ寮でもお前が蒼井のそばについてたなら、安心だわ」
席に着いて、同じく座ったばかりの蓮をちらりと見やった。
さっき一瞬気まずい空気が流れたときは、どうしようかと思った……。
「……?」
ぼくの視線に気付いた蓮が、首を傾げて見返してくる。
今見る感じでは、もういつもの蓮だ。
「ううん、なんでもない」
小さく首を振り、前へ向き直る。
ちょうど担任が入って来たところで、チャイムが鳴った。
朝礼は何事もなく終わった。
けれど、なんだか今日はやけに蓮のことが気になってしまう。
「ここ、重要だからしっかり覚えておくように」
チョークを走らせていた教師の言葉に、はっとして意識を黒板へ戻した。
ぼくが朝のことを気にしすぎているだけ、かな。
ノートへ書き写しながらちらりと隣を盗み見ると、ちょうど蓮が首元に触れたところだった。
――どうしたんだろう。
その後も、見るとしきりに首元を触っている。
一度それを認識してしまうと、もう目が離せなかった。
「……ねえ」
三限目の授業が終わった後。
ぼくはすぐさま蓮に声をかけた。
頬杖をついていた蓮が、気怠げにこちらを見る。
「なんか、あった?」
「……べつに」
ふいと目を逸らされて、やっぱりどこか変だと感じた。
いつもなら、こっちが逸らすまでじっと見返してくるくらいなのに。
そんなことを思っていると、蓮がまた首元を触った。
「ほら、それ。今日ずっとそこを触ってるよね」
指摘すると、自覚していなかったのか、ぴたりと手を止めた。
言ってしまってから、触れられたくないことだったのかもしれないと、少し気後れする。
「あ、ごめん。もし言いにくいことだったなら――」
言い淀んだぼくの手首を、蓮が掴んだ。
「……来い」
「あっ」
されるがままに教室を出る。
行き着いた先は屋上だった。
錆び付いた扉が、重い音を立てて閉まる。
「……誰もいないね」
吹き抜けていった風につられて、空を見上げた。
雲の流れが早い。
昼の人気スポットも、今はしんと静まり返っていた。
「教室だと話しにくいことだったの?」
塔屋の裏手に回ったところで、蓮がぼくの手首を離した。
そしてぼくの方へ背を向けると、床にしゃがみこむ。
「……ここ」
蓮はとんとん、と首の後ろを指し示すと、後ろ髪をよけてネック部分の布地をずらした。
いつもハイネックのインナーに覆われていて見えなかったうなじが、露わになる。
「あ、あの……」
「気になるんだろ」
遠慮がちに近づいてうなじの所を見ると、黒い線で何かが薄らと描かれていた。
「三つ葉……? 線が掠れてる」
そのとき、ふと学食で上級生に絡まれたときのことを思い出した。
――首の後ろにタトゥー入れてるってウワサ聞いたんだけど。
「首の後ろのタトゥーって……」
もしかして、これのこと?
「入られないようにするための、印みたいなものだ」
「印?」
蓮はこくりと頷く。
「……タトゥーじゃない。ペンで書いてる」
予想外の返答に目を見開いた。まさかの、ペン。
たしかに、もしこれが本当にタトゥーだったならこんなに掠れてるわけないよね。
描かれている形も、どこか歪だった。
「だから消えかけちゃってるのか」
「……これでも一応、油性ペンだぞ」
表情は見えないけど、なんとなくむすっとしているのが分かって苦笑した。
「もしかして、いつも自分で書き直してるの?」
「……ないと感覚鈍る」
「そっか……」
少しだけ間を置いて、口を開いた。
「ぼくが書き直そうか」
手を伸ばしかけて、触れてよいのだろうかと一瞬迷う。
それでも――と、そっと印に指先を添えた。
指先に温もりが灯り、蓮の肩がぴくりと揺れる。
「……っ。お前」
「だめ。まだ動かないで」
振り向こうとした蓮の背中に手を添えることで動きを制した。
最後の仕上げに、印へ向かってふっと息を吹きかける。
「……!」
直後、印が眩い水色の光を放った。
あまりの眩しさに思わず手をかざしたところで、突然腕を掴まれて驚く。
「お前、思い出したのか……?」
瞑っていた目を開けると、蓮の顔がすぐ目の前にあって息を呑んだ。
驚いているような、困惑しているような、見たことのない表情をしている。
「あ、えっと……。思い出すって、何を?」
ぼくがそう言うと、一拍置いて蓮の掴む力が緩められた。
「……いや。なんでもない」
蓮は片手で顔を覆うと、ひとつ大きな深呼吸をした。
「……最後、なんでそうした」
最後って、息を吹きかけたことを言ってるのだろうか。
「ご、ごめん。何かそうすると良いような気がして、体が勝手に……」
「……そうか」
おずおずと謝るぼくの頭を、蓮は乱暴に撫でた。
「謝らなくていい。……正直助かった」
「ほ、ほんと?」
「……ああ」
蓮がわずかに微笑んだのを見て、ほっと胸を撫でおろす。
眼鏡を外した蓮が、空を仰いだ。
すうと瞼を閉じると、静寂の中を一陣の風が吹き抜けていく。
「――これで完全に戻った」
再び開かれた金の瞳に見つめられて、ぼくは目を逸らすことができなかった。

