この運命、一蓮托生につき ~黒の過保護と白の執着~

「――――」

 名前を呼ばれた気がして振り返った。
 けれど、後ろには満開の桜並木が続いているだけで何もいない。

 気を取り直して歩き出そうとしたぼくの髪を、疾風がかき乱した。

「うぅ……。大丈夫、きっと早く馴染めるよ」

 くしゃくしゃになった髪を整えながら、言い聞かせるようにして歩を進める。
 ついに今日から、宵ノ宮高校での新生活が始まるんだ。

「――新入生のみなさんが充実した学生生活を満喫し、大きく成長できることを願って式辞と致します」

 壇上の校長先生に拍手を送る。
 入学式は、どきどきしている内にあっという間に終わった。

 体育館を出た後は、人の流れに沿って一年二組の教室へと向かう。
 席は窓際の最前だった。――ということは。

蒼井拓実(あおいたくみ)と言います。宵ノ宮には最近引っ越してきました。まだ土地勘とか分からないことも多いので、ぜひ色々と教えてもらえたら嬉しいです」

 拍手を受けながら、なんとか自然な笑顔を意識して着席した。
 トップバッターを務めることになりがちなのは、あ行の苗字を持つ者の宿命みたいなものだ。

 ほっと胸をなでおろし、後に続くクラスメイトの自己紹介に耳を傾ける。
 ふと、すぐ右隣の空席が気になった。体調不良だろうか。この感じだと今日はもう来ないかな。

黒切蓮(くろきりれん)は連絡が入って今日は欠席とのことだ。出てきたらみんな話しかけてやってな。じゃ、後ろの――」

 担任のひと言に教室内の空気が少しざわついた。

「黒切蓮って、あの?」
「うそ……。あの色々と噂が絶えないヤンキーでしょ」

 ――ヤンキー? 噂ってなんだろう。

 少し気にはなったけど、自己紹介はどんどん進んでいく。
 早く馴染むためにもクラスメイトの特徴を覚えなければと、次第に意識はそれていった。

「教科書は行き渡ったな? それじゃ、今から簡単なレクリエーションをするぞ」
「はーい」

 スペースを空けるために、みんな椅子から立ち上がる。
 ぼくも自分の机を運ぼうと立ち上がろうとしたそのとき、急に耳鳴りがしてよろめいた。

 あぁ、また出た。近頃はいつもこうだ。

「おい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。ちょっとめまいがしただけなので……」

 教室中の視線が向けられて、頬が熱くなる。
 平気なことをアピールしようと、すぐに立ち上がろうとして失敗した。

 再び激しい耳鳴りと頭痛に襲われて、こめかみをおさえる。

「……っ」

 崩れ落ちそうになったぼくの腕を、担任が咄嗟に掴んだ。

「無理はするな」
「すみませ……」
「大丈夫?」

 気づけば、近くのクラスメイトたちも駆け寄ってくれていた。
 ありがたいけど、流石にこれは恥ずかしすぎる……。

「先生は蒼井を保健室へ連れて行くから。その間に、みんなは机を隅に寄せて待っていてくれ」

 担任に肩をかしてもらいながら、保健室へと向かう。

「すみません。ありがとうございます……」
「謝らなくていいぞ。きっと新しい環境での緊張が、体に出ちまったんだろうな」

 さりげない優しさに、胸がじんとする。
 担任が保健室の扉をガラリと開けると、白衣を着た人がこちらを振り返った。

白銀(しろがね)先生。めまいを起こした生徒を休ませてやりたいのですが」
「それは大変だ。先生もまだやることがおありでしょう。後のことは僕に任せてください」

 担任に代わり肩をかしてもらう。

「蒼井、こちらは養護教諭の白銀スイ先生だ。見ての通りイケメンで優しい先生だから、安心して休ませてもらうといい」

 教室へ戻る担任を見送ってから、白銀先生に連れられて奥のベッドへと腰かけた。

「蒼井君、だったよね。たしかに顔色があまり良くないな」

 するりと額に手を当てられて、思わずびくりとする。

「あ……。時々、ひどい耳鳴りみたいなのがあって」
「そうなんだ……。うん、熱はなさそうだね。落ち着くまで休んでいくといいよ」

 お礼を言って、ベッドへ横になった。
 ひと息ついて安心したからか、みるみる瞼が重くなっていく。

「ありがとうございます……。少し、休みます……」

 頭を撫でられたような気がするけど、確認しようにも瞼が上がらない。
 そのままぼくの意識はゆっくりと沈んでいった。

「……よい夢を」



 ――ここは?

 見上げると、満月が煌々と光っていた。

「……いけない。今はやることがあるのに」

 こんなことをしている場合じゃない。
 急いでいたことを思い出し、目的地へと走り出した。

 早くあの子たちの所へ行かなくちゃ。
 きっとぼくのことを待っているはずだから。

 でも、あれ? それって、誰のことだっけ……。
 ぼくが会おうとしていたのは……。

 どこかから鎖の擦れる音が聞こえる。
 あぁ、早くしないといけないのに。

 『……ずっと待ってた。この時を』



 「う……」

 首元にひやりとした感触を感じて、意識がわずかに浮上する。けれど、なかなか目が開いてくれない。

「やっぱりそうだ……。やっと見つけた」
「う、んん……」

 つう、と首筋を辿られるこそばゆさに身じろぎをすると、それは離れていった。

「……起きた?」
「……!」

 耳元で囁かれた声に、意識が一気に覚醒する。
 声のした方を見やると、目の前に白銀先生の顔があった。

「せ、先生……?」

 あまりの近さに、思わず息をのむ。
 長い睫毛に縁どられた菫色の瞳が、じっとこちらを見つめていた。

「うなされていたようだったから、心配したよ」

 うまく言葉が出てこないぼくに、先生は優しく微笑んだ。
 すっと、何事もなかったかのように離れていく。

「拓実君は、寮暮らしなんだってね」
「え? あ、はい……」

 どうして名乗ってないのに下の名前を知っているんだろう。
 少し疑問に思ったが、それよりもすっかり夕焼け色に染まった室内を見てぎょっとした。

「うそ、もうこんな時間……!」

 ぼく、夕方まで寝ていたの?
 体感では一時間ほどしか経っていないだろうと思っていたのに。

 先生も、どうしてもっと早くに起こしてくれなかったんだろう。
 そんなぼくの考えを見透かしたように、先生が口を開いた。

「よく眠っていたから、起こすのはなんだか気が引けてね。寮には連絡してあるから、送るよ」
「あ、いえ……。ひとりで帰れるので、大丈夫です」

 なんとなく、これ以上世話になってはいけないような気がした。
 がっつり寝させてもらったし、急いで帰れば問題ないだろう。

「すみません。遅くまでありがとうございました。ぼく、これで失礼しますね」

 ベッドから立ち上がると、いつの間にかサイドテーブルに置かれていた鞄を急いで掴む。
 よく分らないけど、胸がざわついて一刻も早く学校を出たい。

「心配だな。遠慮なんていらないのに」
「あの、本当に大丈夫なので……! さ、さようなら!」

 慌てて廊下へ飛び出したぼくの耳に、「また明日ね……」と白銀先生の声が響いた。

 辺りはしんと静まり返っていて、人の気配がまったくない。
 真っ赤に染まった廊下を見て、ごくりと唾をのみこんだ。

 少し、先へ進むことを躊躇して足を止める。
 けれど、いつまでもここに突っ立っているわけにはいかないし……。

 日が暮れてしまう前に急がないと。
 そう思うものの、柱の影から何かが飛び出して来そうで、意味もなく辺りを見回してしまう。

「よ、よし……」

 鞄の持ち手をぎゅうと握り締め、意を決して廊下を駆け抜けた。
 誰もいないから走っても怒られない、はず。

「はぁ、はぁ……っ」

 幸い、昇降口はまだ開いていた。

「……よかった」

 靴をはく時間すらもどかしく感じる。昇降口を出ると、一目散に走った。
 胸のざわつきは、なかなか治まってくれない。

 校門まであともう少しというところで、突然音が止んだ。

 辺りが暗くなる。
 さっきまで射し込んでいた陽の光が、どこにもない。

「え、なに……?」

 まるで一瞬のうちに夜が訪れたかのようだった。
 けれど、見上げた先には星もなければ月も出ていない。

「ぼく、もしかしてまだ夢の中にいるの?」

 明らかに辺りの様子がおかしかった。景色がまるごと消えてしまったのだ。
 敷地の外には、黒で塗り潰したかのような暗闇が広がっていた。

『グルルルルッ』
「ひっ……!」

 どこからか獣の唸るような声が聞こえて、思わず後ずさる。
 一体、何が起こっているの……?

 鞄を胸に抱えて周囲を見回すと、暗闇からドライアイスの煙のようなものが流れ込んでくるのが見えた。

「ああ……うそでしょ。こっちに来ないで!」

 オレンジ色のそれは、明らかにこちらへ向かって流れてくる。

『グルル、ガルッ』

 先ほどと同じような謎の唸り声が、煙の中から聞こえた。

 ――どうしよう。
 逃げないといけないのに、足が竦んでうまく動かない。

「あっ……う、わわ!」

 じりじりと後退していたら、何かにかかとをぶつけて思いきり後ろに倒れた。

 ――噴水だ。

 ダイブしてびしょ濡れ、なんてことにはならなかったものの、縁に勢いよくついたお尻が痛む。
 完全に逃げるタイミングを失ってしまった。

 錆びた鉄のような臭いが濃くなって、思わず顔をしかめた。
 煙はもう、すぐそこまで来ている。
 その奥に、ぼんやりとしたふたつの光が見えた。
 
 ……目?
 いや、きっと気のせいだ。そんなはず――。

 ぼた。ぼたり。

 煙から滴る赤黒い粘液が、ぼくの足先すぐの所に落ちた。
 地面がじゅう、と黒く変色していく。

「やだやだ、待って……!」
『ガウッ、グアウウ!』

 いつ飛び掛かられてもおかしくない状況に、目を瞑り両腕をかざした。

 完全に終わった。
 そう思ったときだった。

 バリィン!

 突如、校門の上空に亀裂が入り何かが飛び込んで来る。

「伏せろ」

 咄嗟に、頭上から降って来た声のとおり身をかがめた。
 直後、ものすごい風圧がすぐ上を通り過ぎていく。

 綺麗な弧を描いて、黒い影がぼくの前に降り立った。

「だ、誰……?」

 がっしりとした体躯の男が、ゆっくりと身を起こす。
 一瞬ぼくの方を見たような気がするけど、すぐに迫り来る煙の方へと向き直ってしまった。

「……悪いが、こいつには触らせないぞ」
『ウギャアアウ!』

 煙の塊が、オレンジ色から赤色へと変わりみるみる膨れ上がっていく。
 男は舌打ちすると、掛けていたサングラスらしきものをぼくの方へ投げて寄越した。

「わっ、とと」
「……壊すなよ。それ持って、おとなしくしてろ」

 手に乗った物を見てあれ、と思う。
 サングラス……じゃ、ない? ブルーグレーの色付き眼鏡だ。

「あ、あの。あなたは何かを知ってるんですか? なんでこんなことに――」
「いいから、口を閉じろ」

 戸惑うぼくの方へ振り返る彼の瞳は、ギラリと金色に輝いていた。

「……絶対に俺から離れるなよ」