未完成フレーム

 月曜日。
 朝、教室に柊くんが入ってきて私はすぐに立ち上がった。
 教壇の前まで駆け寄り、そのリュックを後ろから強引に引っぱる。

「危ね…」

 よろけた柊くんと、目が合って、流れる沈黙。

 視界の端でクラスメイトの視線が集まるのが、見えた。
 柊くんはチラリと周りを一瞥する。

「向こう」

 ひと言。
 そう言って私の背中を押して廊下へ出た。


 廊下に出ると、柊くんは窓から中庭を見下ろした。

「めずらしいね。教室で喋りかけるなんて」

 私はその隣で中庭に背を向ける。

「…今日、部活ないから」

 手には、書き直した4冊目のノートがある。

「明日じゃダメな用事?」
「…うん」
「ふーん」
「……」

 ひとつ、深呼吸をする。

 上履きが、キュ、と鳴った。
 柊くんに体を向け、まっすぐ、見る。

「書き直した」

 柊くんの視線が、中庭から私の手元に落ちる。

「読んで。いま、ここで」
「今すぐ?」
 少し、彼の口元が引き上がる。

「うん。いま」
「ハハ、強引」
 そう言って、笑う。

「ん」
 差し出された右手。
 私はノートの表紙を数秒見つめて、置いた。
 彼の手が、ノートをしっかりと掴むのを確認してから、手を離した。

 そのまま並んで、中庭に背を向ける。

 目の前を何人もの生徒が横切り、
 私たちだけが、そこに留まっている。

 柊くんはノートだけを見ていた。

 私はもう、その視線を追わない。
 ただ、自分の上履きと、彼の上履きが並んでいるのをじっと見ていた。

 ハラリ、ハラリ。
 その音に、耳をすませる。

 指が、紙をなぞる音がする。

「…よく分かんなくなってんじゃん、途中から」

 柊くんがポツリと言った。

「うん。私もそう思う」
「……は、なんだそれ」

 隣を見上げると、柊くんが目を細めて、ノートに手を置いた。

「でも」

 目が合う。
 心臓が、変な脈の打ち方をする。


「こっちの方が、ちゃんと残るよ」


「……っ」
 視界が、揺らぎかけた。

 柊くんはゆっくりとノートに視線を戻す。

「分かんなくなってるのが、分かる」

 ハラリ、とまたノートをめくった。

「……」

 彼は少しだけ眉を寄せ、一度ページを戻した。
 そのまま壁から背中を剥がし、リュックからペンを取り出す。

 中庭が見える窓に、押さえつけながらノートを広げた。

「何するの?」
「ちょっと黙って」
 被せるように言われる。

 ボールペンの色を使い分け、私が書いた脚本の1ページにペンを走らせる。

 カチ、カチ、と何度も変わるボールペンの色。


 同時に、柊くんが言っていたことを思い出す。

“映画に憧れとかない”

“遊びでやってたい”

 私はまた上履きを見つめた。

「…うそじゃん」

 そう呟くと、一瞬彼の手が止まり、また動いた。

「ほら」
 トンと肩に何かが当たり、中庭に向きかけた体が、引き戻された。
 
 目の前に掲げられたノートは赤ペンだらけ。
 ページのあちこちに書き込み。
 二重線。矢印。メモ。

「俺の意図と違うところ」
「……」

 彼はノートを少し上に持ち上げた。

「どうする?」

 試されているような、でもどこか楽しんでいるような。
 そんな色をした視線。

 私は下唇を噛む。

 ここから先は、責任も、評価も、全部自分。

 一度、大きく唾を飲み込んだ。

 柊くんを真っ直ぐ見てノートを手に取った。

「…直す。私が」

「そう」
 彼は、わずかに微笑みノートから手を離した。

 すぐに教室に戻り、ノートを机に広げ、シャープペンを握る。

 ーーもう、前みたいな映画のみかたは出来ないかもしれない

 そう思った瞬間、手に力が入り、芯が折れる音がした。

 転がった小さなカケラを見つめる。

 私は、それを手で払い、もう一度繰り出した。

 教室の入り口から、柊くんの笑う声が一瞬聞こえたけれど、顔も上げず、ただ目の前のノートにペンを走らせた。