未完成フレーム

 無駄に広い映画館のトイレで自分の顔を鏡に映す。
 赤くなった目、滲んだマスカラ。

「…ひどい顔」

 小さく呟き手を洗っていると、聞き覚えのある声がした。

「楠木さん?」

 その声の出どころを振り向くと、私服姿の高梨先輩が立っていた。

「え、高梨先輩…、こ、こんにちは」

 私は慌てて鞄からハンカチを取り出す。

「もしかして…」
 と、高梨先輩が私の鞄を指差した。
 肩から下げた鞄からは映画のパンフレットがはみ出ていて、私はそっと手をかぶせた。

「えっと、」

 ちら、と顔を上げると、高梨先輩が同じパンフレットを胸の前に持ち上げていた。

「やっぱり。一緒だ」

 高梨先輩は肩を跳ね上げ、にっこり微笑む。
 その様子に、私もおずおずと鞄からそれを抜いて、同じように持ち上げた。

「ねぇ、楠木さんこの後時間ある?」
「え…?あ、…はい」

 高梨先輩は私の腕を優しくひいた。

「よかったら、付き合ってくれない?」

 そう言って、スマホの画面を私に向ける。
 そこには、有名コーヒーショップのドリンク無料クーポンが表示されていた。


 ショッピングモール内にあるそのお店は、お洒落で落ち着いた雰囲気。
 二十代くらいの女性客が多く、凛とした高梨先輩は溶け込んでいる。
 慌てて身支度をしてきた私のデニム姿が浮いてるように思えて、お店の奥でサイリウムが一瞬目に入るとなぜか少しホッとした。

「ほ、本当に私もいいんですか?」
 メニュー表で顔を隠しながら、聞く。

「うん。クーポン二人まで使えるから」

 多すぎるメニュー。
 聞いたことないサイズ表記。
 無意識に何度も読み上げてしまう。
 同時に、なぜか脳裏にさっき観た映画のラストシーンが浮かんだ。

「私のおすすめはこれかな。コーヒー苦手でも飲みやすいよ」

 高梨先輩がそう言って真ん中らへんのドリンクを指差した。

「あっ、じゃあそれにします」

 私が言うと高梨先輩は店員さんに目配せをする。
 そのやりとりを、チラチラと視線だけ送りながらやり過ごした。

「かしこまりました」

 お辞儀をして、カウンターに戻っていく店員さんを見送り、私は大きく息を吐いた。
 高梨先輩からクス、と笑い声が聞こえた。

 机の上には水が入ったグラス。
 それに高梨先輩の細い指が触れる。

「よかったよね、映画」
 
 私は、微笑むしか出来ない。

「私も犬飼ってるからさ、感情移入しちゃったな」
「そうなんですか……泣きました?」
「うん。ふふ。泣いた泣いた。重ねちゃうよね、やっぱり」
「…そう、だと思います」

 私も水のグラスに指先だけ触れる。
 氷がカラ、と音を立て動いた。

「私、時々思うの。ペットが考えてること知りたいなーって」

「あー…」

「でも今日の映画観てさ、多分、人間とペットは言葉が通じないからこそ、なんだよね」

 私は首を少し傾げて返事をする。
「……どういう事ですか?」

 高梨先輩は小さく微笑んで続けた。
「背中を丸めてテレビを見つめる後ろ姿も、飼い主の足にアゴを乗せて見上げる瞳も、きっとこうなんだろうなって思うでしょ。勝手に、都合よく」

「……」

「でも、きっとそれでいいんだろうなって。
 分からないから、考えて…想像したりして。
 それが的外れでもさ、その…分かり合えなさ?みたいなのが…なんか家族っぽくない?」

 高梨先輩がふふふ、と口元に手を当て笑う。

 私は、どこか言葉にできない引っかかりを感じ、グラスに視線を落とした。

 水面から出ていた氷がカラン、と沈み、グラスの結露が机の木目に染み込む。

「お待たせいたしました」

 目の前に置かれたホイップが乗ったドリンク。
 長すぎるカタカナの名前は、頭の中のどこにも引っかからなかった。