翌日の休み時間。
教室には制汗スプレーのにおいが充満していた。
汗とせっけんと、甘ったるい何か。
その混ざり合ったにおいが喉に張り付き、思わず咳き込む。
緊張なのか、全てに過敏になってしまう。
スマホには高梨先輩からメッセージが来ていた。
“部内選考が近いため今日の鑑賞会は無しです。
通常の活動となります”
ふと窓際を見ると、柊くんもスマホを確認している。
最近は教室でも目が合うようになった。
けど今日は一度も交わらない。
視線を探しかけて、やめる。
私はその度に小さくため息を吐いた。
「おつかれさま、です」
放課後部室に入ると、柊くんはいつもの席で突っ伏していた。
「……おつかれ」
小さく言って、そっと隣に腰掛ける。
「来たんだ」
一瞬頭を持ち上げてからそう言い、伸ばした左腕にまた頭を乗せた。私とは反対側を向いたまま。
「…うん」
それ以上、言葉が出てこなかった。
私たちの周りだけ、空気が少し薄いみたいに静かに感じた。
私はリュックの持ち手をギュッと握る。
「あの、さ」
昨日書き上げた4冊目の映画ノートを取り出した。
その動きに気付いたのか、ゆっくりと頭を上げた柊くんの視線が、私を通ってノートへ移る。
「…書いてきた」
そっと彼の机の上にノートを置いた。
「……」
柊くんは、それをすぐには持ち上げない。
何も書かれていない表紙。
3冊目の映画ノートと同じデザインだけど色違いで、まだシワも汚れも全然ない。
似てるけど、全然違う。私にとっては。
「読んで、ほしい」
柊くんは、一瞬目を見開く。
「……脚本?」
彼の視線が、私を捉えた。
ゴクリと喉が鳴り、怖気付いて目を逸らす。
彼の喉元を見たまま、頷いた。
暫くの沈黙のあと、柊くんがようやくノートに手を伸ばすと、軽くパラとめくった。
「…へぇ」
微かに笑った気がした。
「じゃあ…」
と逃げるように立ち上がろうとした。その時。手首を掴まれた。
「逃げんの?」
低い声。
「……」
掴まれた手首が、するりと落ちる。
「読み終わるまで、待ってて」
逃げ場を塞ぐような言い方に、私は黙って椅子に座り直した。
柊くんは、背もたれに体重を預けて読み始めた。
ハラリ、ハラリとページがめくられる。
震え始めた左手を、右手で押さえた。
ーーもう、引き返せない。
ハラリ、ハラリ。
誰かがスマホをスクロールする音。
遠くの音が、耳元で響いて聞こえる。
何度かページを行ったり来たりしながら、やがてパタンと音がする。
ギィと椅子が軋んだ。
「…」
柊くんは私を一瞬見ると、すぐノートに視線を落とした。
「書けてる」
と、表紙を手のひらで押さえる。
「っ、」
私はようやく深く呼吸ができた。
背もたれに体を預ける。
「ハリボテみたいに」
目の前にノートが戻された。
私はもたれかけた背中をまた浮かせた。
「え?」
「正しく書けてるよ、ちゃんと」
柊くんは椅子に横向きに座り、私を見た。
「でも全部知ってる。どこかで見たことある。だから何も残らない」
「……」
他の部員が部室に入ってくる度に、この空気を察するような中途半端な挨拶が繰り返される。
でも、私は柊くんから目を逸せない。
「正しいだけの脚本なら、誰でも書けるよ。
けど楠木さんの内側からくるものは?
自分はどう感じた?」
綺麗だった4冊目のノートの表紙。
その上で拳を握りしめることしかできない。
でも、何も言い返せない。
「この作り方してたら映画嫌いになるよ。絶対」
勝手に、目が彼を睨みつける。
「そんなこと…なんで柊くんにわかるの」
下を向き、数回、柊くんの踵が上下した。
「俺が、そうだったから」
…どういう、意味?
聞こうとしたけど、聞けなかった。
柊くんがすぐに「トイレ」と立ち上がったから。
教室には制汗スプレーのにおいが充満していた。
汗とせっけんと、甘ったるい何か。
その混ざり合ったにおいが喉に張り付き、思わず咳き込む。
緊張なのか、全てに過敏になってしまう。
スマホには高梨先輩からメッセージが来ていた。
“部内選考が近いため今日の鑑賞会は無しです。
通常の活動となります”
ふと窓際を見ると、柊くんもスマホを確認している。
最近は教室でも目が合うようになった。
けど今日は一度も交わらない。
視線を探しかけて、やめる。
私はその度に小さくため息を吐いた。
「おつかれさま、です」
放課後部室に入ると、柊くんはいつもの席で突っ伏していた。
「……おつかれ」
小さく言って、そっと隣に腰掛ける。
「来たんだ」
一瞬頭を持ち上げてからそう言い、伸ばした左腕にまた頭を乗せた。私とは反対側を向いたまま。
「…うん」
それ以上、言葉が出てこなかった。
私たちの周りだけ、空気が少し薄いみたいに静かに感じた。
私はリュックの持ち手をギュッと握る。
「あの、さ」
昨日書き上げた4冊目の映画ノートを取り出した。
その動きに気付いたのか、ゆっくりと頭を上げた柊くんの視線が、私を通ってノートへ移る。
「…書いてきた」
そっと彼の机の上にノートを置いた。
「……」
柊くんは、それをすぐには持ち上げない。
何も書かれていない表紙。
3冊目の映画ノートと同じデザインだけど色違いで、まだシワも汚れも全然ない。
似てるけど、全然違う。私にとっては。
「読んで、ほしい」
柊くんは、一瞬目を見開く。
「……脚本?」
彼の視線が、私を捉えた。
ゴクリと喉が鳴り、怖気付いて目を逸らす。
彼の喉元を見たまま、頷いた。
暫くの沈黙のあと、柊くんがようやくノートに手を伸ばすと、軽くパラとめくった。
「…へぇ」
微かに笑った気がした。
「じゃあ…」
と逃げるように立ち上がろうとした。その時。手首を掴まれた。
「逃げんの?」
低い声。
「……」
掴まれた手首が、するりと落ちる。
「読み終わるまで、待ってて」
逃げ場を塞ぐような言い方に、私は黙って椅子に座り直した。
柊くんは、背もたれに体重を預けて読み始めた。
ハラリ、ハラリとページがめくられる。
震え始めた左手を、右手で押さえた。
ーーもう、引き返せない。
ハラリ、ハラリ。
誰かがスマホをスクロールする音。
遠くの音が、耳元で響いて聞こえる。
何度かページを行ったり来たりしながら、やがてパタンと音がする。
ギィと椅子が軋んだ。
「…」
柊くんは私を一瞬見ると、すぐノートに視線を落とした。
「書けてる」
と、表紙を手のひらで押さえる。
「っ、」
私はようやく深く呼吸ができた。
背もたれに体を預ける。
「ハリボテみたいに」
目の前にノートが戻された。
私はもたれかけた背中をまた浮かせた。
「え?」
「正しく書けてるよ、ちゃんと」
柊くんは椅子に横向きに座り、私を見た。
「でも全部知ってる。どこかで見たことある。だから何も残らない」
「……」
他の部員が部室に入ってくる度に、この空気を察するような中途半端な挨拶が繰り返される。
でも、私は柊くんから目を逸せない。
「正しいだけの脚本なら、誰でも書けるよ。
けど楠木さんの内側からくるものは?
自分はどう感じた?」
綺麗だった4冊目のノートの表紙。
その上で拳を握りしめることしかできない。
でも、何も言い返せない。
「この作り方してたら映画嫌いになるよ。絶対」
勝手に、目が彼を睨みつける。
「そんなこと…なんで柊くんにわかるの」
下を向き、数回、柊くんの踵が上下した。
「俺が、そうだったから」
…どういう、意味?
聞こうとしたけど、聞けなかった。
柊くんがすぐに「トイレ」と立ち上がったから。
