青春はスクリーンの手前に

 部室を出ると、吹奏楽部の軽快な音が廊下に響いていた。
 奥から聞こえる応援太鼓のリズムも、私の歩幅と全然合わない。

 私は、腫れた目を前髪で隠しながら歩いた。

 石ころを蹴り、追いついて、また蹴り飛ばす。
 そのうち側溝に転がって、チャポ、と音が鳴る。

 駅のロータリーに着く頃には、いつも乗っている列車がゆっくり停車するのが見えた。

「あ…」
 走らなきゃ。
 頭では分かっているのに、足が出ない。
 発車のベルが鳴り、扉が閉まり、吊り革が揺れる。
 それをただ見つめる。

 結局私は、一歩も動けなかった。




「ごちそうさま」
 ゆっくりと両手を合わせて、シンクに食器を運ぶと、母がちらりと私に視線を向けた。

「あら?今日は部活の話、聞かせてくれないの?」

 アイロン掛けをしながらそう言われる。

 最近はもっぱら脚本作りの話ばかりしていた。

「あー、」
 用もないのに冷蔵庫の中を覗いて、閉める。
 母の正座が浮き、その奥でスチームが音を鳴らした。

「…今日は特に、話すこと無いかな」

「そう」

 いつもと変わらない、母の声。

「じゃ、じゃあ。もう2階行くね」

「はいはい………あ、汐果。
 これ、制服のポケットに入れっぱなしだったわよ」

 駆け寄る母のエプロンから出てきたのは、折り畳まれた見覚えのある紙。
 私はそれを受け取り、その場で広げた。

 これ…ロケハンのときの。

 文字はくちゃくちゃ。
 誤字脱字だらけだけど、びっしり埋まっている。
 柊くんが「記憶に残るじゃん」と言った、ルーズリーフ。

 私はそっと親指で紙を撫でた。

「何かの暗号?
いるならちゃんとしまっときなさい」

 母の言葉に、紙がかすかに鳴った。

「…うん。ありがと」

 ふっと微笑んでアイロン台の前に戻った母。
 その背中越しに、またスチームが上がった。

 私は階段を駆け上がり、飛び込むように部屋に入った。
 すぐに鞄から筆箱を、机の引き出しからは未開封の4冊目の映画ノートを取り出す。
 椅子に座り、最初のページを開いた。

 シャープペンを握る手が、微かに震えていた。

“全部の感情に説明つけてたら、何も面白くない”

ーーそんなことない

“逃げてるだけじゃね?”

ーーちがう

 柊くんに突きつけられた言葉が、手の震えを止める。

 私は、フッと短く息を吐き、
 カチカチとシャープペンのてっぺんをノックした。

 柊くんが書いてきた脚本ーー

《「あーあ。戻りてーな」
放課後、駅のホームに響くアナウンス…》

 その書き出しを、一字一句覚えている。

 ストーリーは変えない。
 でも、もっと…
 ちゃんと伝わるように書く。

 チラリと右に視線をやると、そこには3冊目の映画ノート。
 何度もめくったプロットのページには、いくつもシワが刻まれている。

 気付けば机の上は、消しカスまみれになっていた。
 それを手の甲で払い、またシャープペンを走らせる。
 その音だけが、部屋に響いていた。