おしゃべりな雑貨店でティータイムを




 久保さんがふたたび、お話やを訪れたのは、ゴールデンウィークの賑わいが落ち着き、すっかり平常を取り戻した、五月半ばのことだった。

「お久しぶりです。チラシ、置いてくれてるんですね」

 店内へ入ってくるなり、久保さんは店の外を指差した。

 天気のいい日には、店先にチラシを置いている。クボックのほかにも、商店街の催し物のチラシを、通りすがりの客にも気軽に手にとってもらえるようにだった。

「なかなか久保さんのお店に行けなくてすみません。ゴールデンウィーク中はお忙しいと思って」
「正直、ちょっと嫌われたのかなって思ってました。図々しかったですし」
「チラシは用意してあったんですけど、このところバタバタしてて」

 冗談まじりに笑う久保さんへ、お話やのチラシが入ったクリアファイルを差し出す。こころよく受け取ってくれた彼は、心配そうに眉をひそめる。

「そう言えば、先週の金曜日は臨時休業でしたね」

 それを聞いて、久保さんがお話やを訪ねてくれたことに気づき、申し訳ない気持ちになった。

「先週は母の三回忌だったんです。きちんとお伝えしておけばよかったですね。本当にすみません」
「いや、俺はなんとなく前を通っただけで。そうですか。三回忌でしたか。近しいご家族を亡くされるのは、おつらいですね」

 久保さんはひどく胸を痛めた表情をする。彼も、家族を亡くしたことがあるんだろうか。それも、すごく近い身内を。

「母は病気だったので、多少の覚悟はありましたから」
「そうではない方もいらっしゃるような言い方をされるんですね」

 何か引っかかったように、久保さんはつぶやいた。彼は気づいてくれた。ほんの少しうれしいような気持ちになったのは、もしかしたら誰でもいいからそれを話したかったのかもしれない。

「父は事故で亡くなりました。突然だったので、いまだに実感がない感じで」
「三回忌では、ご両親とゆっくりと向き合う時間が作れましたか?」
「それが、姉たちはにぎやかしいので、しんみりしないんです。残された私たちが明るく過ごすのを、両親も喜んでますよね、きっと」
「……でも実際は、亡くなった方の気持ちはわかりませんよね。生前の、思い残した気持ちはどうなるんでしょうか」

 そういうものに思いを馳せる時間も必要かもしれない。久保さんはそう言いたいのだろうか。

 私たちは生前の出来事を懐かしみ、予期せず亡くなったのは無念だろうに、と心を痛めるばかりで、何かしてあげられることは、あまりないように思う。

 その実、母はカフェを経営したかったのに、私は雑貨店を開いてる。母の遺志を継いでいるようで継いでいない。人は感傷に浸り続けながら生きていけるほどの余裕はないのかもしれない。

「もし、何か残した願いがあるなら、叶えてあげられたらいいですよね」

 母の姿を思い浮かべながらそう言った。

「それも、生きてる側の自己満足かもしれませんが」
「人って、わがままで優しい生き物ですよね。それでいいと思います」

 久保さんは複雑そうな表情でうなずき、お話やのチラシに視線を落とす。

「どうして、お話やを始めようと思ったんですか?」
「試したかったんです、私の価値を。はじめは、それだけだったんです」

 驚いたように、久保さんは私をじっと見つめた。

 どういうわけか、ちょっとだけ気まずい気分になった。男性客とは、わりと自然に話せるのに、知り合いとなると、途端に緊張してしまう。彼はすでにお話やの客ではない。かといって、友人でもない。そのわりに、私は自分のことをぺらぺらと話しすぎている。

「おかしい……ですよね」
「なんていうか、意外だったんです。お話やさんはおっとりしてるので、そういう野心みたいなものは持ち合わせてないと思ってました」
「欲は、あまりない方なのかなって思ってます。負けず嫌いでもないし。私は私、人は人って感じなところもあります。だから、人に無関心なのかもしれないです」

 意思とは無関係に言葉がこぼれ落ちる。あまり親しくない人に弱点を見せるなんて、うかつだってことはわかってる。

「無関心って……おかしいな。たくさんの方の話を聞いてるのに」
「でも結局、傍観者のままなんですよ」
「そうはおっしゃるけど、こういうお仕事を選んだ時点で、お話やさんは無関心じゃないんですよ。そう思ってただけで」

 久保さんは優しい。彼を包む雰囲気は柔らかくて、安心できる。

「そう言ってもらえると、なんだかホッとします。私、どんなことも長続きしなくて……。仕事なんて特にそう。人付き合いが希薄だから、簡単に仕事を辞めちゃえるんだって悩んだこともありました」
「ひとつの仕事にこだわる必要もないですよ。今は立派にお店を切り盛りされてるんですし」
「立派なのかな……。お話やの本業だけではやっていけないので、自分で作った雑貨を販売したり、好きな本ばかりを集めてみたり。何もかも中途半端みたい」

 お話やは、私そのものだ。何をやっても中途半端な私そのもの。

「ここにある本は、好きな本ばかりなんですね。どれが一番……とかありますか?」

 久保さんが本棚の方へ近づく。そう言えば、彼はここへ初めてきたとき、本に夢中になっていた。

「どれも好きなんですけど、格別思い入れがあるとしたら……」

 おもむろに立ち上がった私は、本棚の中央にある一冊の本を手に取った。

「それは?」

 久保さんは好奇心を見せて、私の手元をのぞく。

「私の大好きな本です」
「表紙が、ありませんね」
「見本なんです。ここにある見本の本は全部、私物です。見本を見て欲しくなった方のために、一冊ずつ新品の在庫を置いてます」

 ほら、と私は新品の本を手に取る。

「タイトルは……どちらもスタープリンセス、ですか。でも、装丁が違いますね」
「この表紙のない方は、私が小学生の頃に流行っていた本なんです。学校に行く時も、公園で遊ぶ時もずっと持ってました」
「そんなに大切にされていた本なんですか」
「はい。とても好きなお話で。そして、こっちの本が……」

 そう言って、今度はビニールがかけられた、緑の表紙の新品を見せる。

「去年、改訂版として発売されたものなんです。私は昔の本の方に愛着があるので、見本として置いてるんですよ」

 久保さんは私から二冊の本を受け取る。表紙のない古い本と、新品の改訂版。しばらくしげしげと眺めていた彼は、ふと私へ視線を移した。

「表紙のない方の新品は手に入らないんですか?」
「新品は、難しいと思います。絶版になってるので。コレクションされてる方から購入できる可能性はあるかもしれないですけど」
「そうなんですね。いろいろ聞かせてもらってすみません」
「こちらこそ、私の話に付き合ってくださってありがとうございます」
「どうしてか、ここに来ると話をしたくなりますね」

 久保さんは優しく微笑んで、二冊の本を私に返してくれた。

「また来ます」

 そう言って軽く頭を下げると、彼は店をあとにした。