おしゃべりな雑貨店でティータイムを




 次の定休日、真結さんがお話やにやってきた時、私は裁縫をしていた。

「ポーチ、作ってるんですか?」

 深刻な面持ちで店内へ入ってきた彼女だったが、カウンター越しに裁縫道具を見つけるや否や、興味津々に目を輝かせた。

「趣味が高じて、販売もしてるんです」
「趣味がお仕事になるっていいですね」
「お料理も運動も苦手だし、ほかにはなんにもできないんですけど」
「何か一つでも、できるってすごいと思います」

 口下手な印象のある真結さんだけど、彼女はすんなり私の懐へ飛び込んでくる。私の方がやっぱり人見知りなのだと恥ずかしくなる。

「高倉さんは?」

 相手について尋ねることは詮索するようで苦手だったが、思い切って聞いてみた。

「私は……勉強ぐらい。要領さえつかめば、誰でもできちゃうローリスクな。そういうの、趣味って言うのかな」

 それは才能ではないの? 

 自虐的に笑う真結さんに気づいて、その言葉は飲み込んだ。

「何か飲みますか? それとも、お水でよければ、お出しできますよ」
「確か、ドリンク一杯サービスになるんですよね? 今日は、おはなしを聞いてもらいたいと思って」

 財布から千円札を取り出した彼女は、カウンターにあるトレイへ乗せる。私は静かにトレイを受け取って、「種類は多くないんですけど」と、メニュー表を開いた。

 彼女はホットミルクを注文した。甘めがいいという。ちょっと疲れてるのかもしれない。

「すぐにお淹れしますね。雑貨コーナーに手作りの作品を並べているので、よかったらお待ちの間に見てみてください」
「この辺りの商品、全部ですか?」

 真結さんの指が円を描く。笑顔でうなずくと、彼女はテーブルの上を眺め始めた。

 ハンカチ1枚からショルダーバッグまで、お出かけグッズがぎっしり並んでいる。最近では要望に応えて、新生児向けのラトルや帽子、スタイも用意している。どれも、素材や作りにこだわっている商品だ。

「かわいいものばかりですね」

 柔らかく言って、真結さんはラトルを手に取り、優しく振る。からからと鳴る小さな音は、私たちしかいない店内に心地よく広がる。

「こういうの見てると、赤ちゃんってかわいいんだろうなぁって思ったりするんですけど」

 ラトルを握って喜ぶ赤ちゃん。口の周りを汚す赤ちゃん。目深に帽子をかぶって、ママやパパの腕に抱かれて散歩する赤ちゃん。

 商品を作るとき、私も想像するから、真結さんの気持ちはよくわかる。

「でも、美化ですよね、そういうのって……」

 彼女は息をついて、ラトルを元あった場所に戻した。

「ほんとは全然かわいくないんじゃないかって思ったりするんです。夜泣きするし、気に入らないと癇癪(かんしゃく)起こすし、疲れてるのに遊んで遊んでって来ると、もうやめて……ひとりにしてって、なるんですよね?」

 悲しそうに笑って同意を求める彼女を、手振りでカウンター席へと案内する。

「どうなんでしょうか。私には子どもがいないので、お答えできなくて」

 温めたミルクと小皿に盛ったクッキーをプレートに乗せて差し出すと、彼女はどこか自信なさげに笑った。

「変なこと言ってごめんなさい。……失礼だけど、店主さんは結婚されてるの?」
「結婚も、赤ちゃんも無縁かなって思ってます。あ、でも、姪はいるんですよ」

 長姉にはふたりの子どもがいる。どちらも女の子だ。姉に似て聞き分けが良く、全然手がかからないらしい。それでも、愚痴めいたことを姉から冗談まじりに聞くこともある。

「結婚されないの?」
「したくないっていうより、したくても相手がいないっていうか。このお店を始める前はそう思ってたんですけど、今は考えたりもしてないんです」
「お仕事、楽しいんですね」
「そうかもしれないです」

 要領のいい賢さや美しい容姿も、男性を楽しませる話術も身につけられなかったけど、私にはこの店がある。それはとても幸運なことなのかもしれない。

「店主さんのこと羨ましいって思うけど、結婚したい人は私のこと羨ましいって言うんです」
「ご結婚されてるんですね」
「赤ちゃんも、います」

 ホットミルクを一口飲んだ真結さんは、そっとお腹に手を当てる。

 彼女の告白は、すんなりと()に落ちた。上品なワンピースと足元のスニーカーのアンバランスさに、違和感を覚えていたからだろう。意識して見てみると、ほんの少しお腹にふくらみもあるようだった。

「おめでとうございます」

 祝いの言葉は聞き飽きているのか、真結さんはちょっとだけほほえんで、すぐに目を伏せた。

「おめでたいのかな……。私なんか、母になる資格ないのに」

 苦しそうにうつむく彼女にかける言葉をすぐには見つけられず、黙って見守った。

「私、怖いんです。……すごく、怖い」

 勇気をふりしぼった彼女の口もとは震えていた。しかし、すぐに冷静を取り戻したように話し出す。

「はじめて結婚したいって思ったのは、二十六歳の時でした。仕事にも慣れて、気持ちに余裕のできた頃でした」

 私は静かにうなずく。

「私と母は学生時代からうまくいってなかったですけど、やっぱり祝福して欲しかったんですよね。結婚したい人がいるって、母に彼を紹介しました」
「自然な気持ちだと思います」
「店主さんは幸せなご家族に囲まれてるんですね」

 そうだろうか。母は父を恨んでいた。それを知るまではどこにでもあるような平凡な家族だと思っていた。父が亡くなったときに泣いた母の姿すら、今ではなんだったのだろうと思う。

「白雪姫なんですよ」

 唐突にそう言った真結さんは、その真意を問う隙を与えてくれないまま、口もとを歪めて話し続けた。

「母は私を妬んでるんです。鼻につくぐらい、私は優秀でしたから。少し出来の悪い妹を可愛がる母に愛されたくて、努力した結果、余計に恨まれる存在になっちゃったみたい」

 母に愛されたかった。はっきりとそう言った彼女の表情は幾分やわらいだ。しかし、すぐに悲しみに包まれるように曇った。

「母は彼との結婚を反対しました。一流大学を出た私に釣り合わないという理由で。彼も、雰囲気でわかったんですよね。学歴が気に入らないんだろうって気を害してしまって、うまくいかなくなりました」
「そうだったんですね……」
「それから一年後、ご縁のあった方にプロポーズされました。でも、それもダメ。付き合ってもないうちに結婚なんてって、大反対。彼ともなんとなくダメになってしまいました」

 彼女は自嘲ぎみに笑う。

「最後は私も意地だったんです。妹がすんなり結婚したときに、もう主人でいいやって」
「今のご主人とは?」
「主人は上司でした。見るに見かねて、相談に乗ってくれたんです」

 夫と深い関係になるのは、とても自然で、簡単なことだったと真結さんは言った。

「それでも、主人も初めは遊びのつもりだったんですよ」
「そうおっしゃったの?」
「言わなくてもわかります。彼は綺麗な奥様に捨てられたばかりで、落ち込んでるって社内でも有名でしたから」
「お互いにさみしさを埋め合わせるためだけの存在だと思ってたんですか?」

 そんなふうに思うのは、あまりにも切ないではないか。否定する気持ちを込めて言ったが、彼女はうっすらと笑った。

「どうせ母に反対されるなら、とことん反対される男の人がいい。夫はその条件に最適でした」
「だから、結婚されたの?」
「母は許してくれました」
「そんなに反対してたのに、あっさり許すものかしら?」
「主人とのなれ初めを聞かれたんです。一夜の過ちで子どもまで出来たなんて、恥ずかしくて誰にも言えないでしょう? 母は結婚で不幸になる私を見たかったんです」

 本当に真結さんにお似合いの男性だと思ったから、結婚に賛成したのではなくて? そう思ったけれど、言葉にはできなかった。彼女はその言葉を待っていないように見えた。

「そんな結婚だから、主人にも申し訳なく思ってるんです。この子がいなかったら、私と結婚しようなんて思わなかったでしょうから」

 懺悔(ざんげ)の言葉は、保身だ。だから、真結さんはそれを私に話した。私に許せと請う。私が許しても何もならないと知ってるからこそ、第三者の許しが欲しいのだろう。

「でも、ご主人のことを好きになった気持ちは大切にしてほしいなんて思ってしまいます」
「私が主人を愛しているように見えますか?」

 真結さんはあきれたように尋ねてきたが、否定はしなかった。

「来月から、主人は海外勤務になるんです。妊娠してる私を置いていけないし、サポートもしてほしいからついてきてほしいって。母が子育てを手伝わないってわかってるから、そう言ってくれたんだとは思うんですけど」
「ついていかれるの?」

 その問いに、真結さんはすぐさま横を首にふった。そこは強く、心に決めているようだった。

「夫に対して誠実ではなかった私です。離婚しようかと思ってます」

 子どもを授かったから結婚しただけ。そうでなければ、結婚はおろか、お付き合いすることもなかった。そう責めているのだろうか。

「赤ちゃんがいるんですから」
「母から愛情をもらえずに育った私が、この子に正しい愛情を与えられると思いますか? この子がお腹を蹴るたびに、いつか私が壊してしまうんじゃないかって……怖くて、夜も眠れないんです。母と同じこと、するんじゃないかって」
「本当に、お母さまのようになるって思ってるんですか? 私にはそうは見えません。お母さまを言い訳にして、ご主人と向き合うことから逃げているだけに見えます」

 言ってしまってからハッとした。余計なひとことだった。みるみるうちに真結さんの顔色が青ざめていく。私はとっさに手を伸ばした。指先は震えていた。

「あ、あの……」
「主人がいてもいなくても関係ありません。私には無理だから、ほかの方にお願いしようって思ってるぐらいなんですっ」

 真結さんはお腹に手をあてて、苦しそうに背中を丸めた。

「そんなつもりはなくて……。高倉さんが手放すも手放さないも、無責任だって悩まれてるのはわかります」

 彼女の肩からふっと力が抜ける。

「そうです。赤ちゃんなんて、作ったらいけない女だったんです、私」

 初めて、真結さんの大きな瞳から、ぽろっと涙がこぼれた。

「その気持ちがあれば、愛情を持って育てられるんじゃないでしょうか」
「……優しいんですね、店主さんって。おはなし、聞いてくれる相手が、あなたでよかった」

 感謝を述べつつ、あきれてるようにも見えた。彼女は賢い女性だ。きれいごとで生きてきた私を見透かしてるだろう。

 悩みは解決できなかったかもしれない。それでも、少しは晴れた気持ちになってくれたならいい。

 真結さんはクッキーを食べると、美味しいから買って帰りたいと言った。店頭にあるクッキーをいくつか選んで、彼女は購入した。

「また来ますね。今度は雑貨店の客として」

 彼女は小さく微笑んで、帰っていった。