*
イヤリングの調整を終えて、クボックから外に一歩出る。暑い日差しが否応なしに降り注いでいる。日傘ぐらい、持ってくればよかった。
「久保さん、ありがとうございました。だいぶ、楽になりました」
耳もとに触れてお礼を言うと、久保さんは青空へと視線を向けた。
「今日はやけに日差しが強いですね。日傘、貸しますよ」
「そんな、大丈夫です。すぐ帰れますから」
「次に会える時に返してくれればいいです」
久保さんはすぐに店内から日傘を持ってくる。番傘のような日傘だった。彼の選ぶものはすべて、とてもおしゃれに見えるから不思議だ。
「ほんとに、大丈夫ですよ」
断ると、彼は店内へ向かって叫ぶ。
「沼田くん、日高さんを送ってくるから、少し留守番頼むよ」
「わかりましたー。任せてくださいっ」
威勢のいい返事がすぐに返ってくる。
「だそうです。行きましょうか」
広げられた日傘が、私の方へ傾く。大きな日陰に身を置いただけなのに、守られてるような錯覚を起こす。
久保さんが歩き出すから、私もついていく。ふたりきりになる時間が欲しかった。お互いにそう思っていたみたいに、自然と寄り添い、歩いた。
何を話したらいいのか、考えれば考えるほど言葉が出てこない。彼も何も言わなかった。それでも、無言の時間もとても心地が良かった。
「もう着いてしまいましたね」
お話やの前で、久保さんはとても残念そうに息をついた。
私は困り顔しかできなくて情けない。もうちょっと一緒にいたい、とか、上手に甘えられたらいいのだけど。
「それにしても、暑いですね」
日傘をたたんで、ひたいに浮かぶ汗をぬぐう彼を見ていたら、ふと、あることを思い出した。
「男性用のハンカチを縫ってみたんです。使ってもらえますか?」
「ハンカチですか」
「男性客もいらっしゃるようになってきたので、少しだけ置いてみようと思って。沼田くんにも、よかったら。中、入ってください」
お話やの戸を開いて、久保さんを招き入れる。
むわっ、と広がる店内の蒸し暑さに驚いたが、彼は気にする様子もなく、涼しげな表情で中へ進んでくる。
「すぐに持ってきますね」
雑貨コーナーに置いた男性用ハンカチをいくつか選んで、久保さんのもとへ戻る。
「お好きなものをどうぞ」
「なかなかシンプルで使いやすそうです。じゃあ、俺はこれを。沼田くんは明るいのがいいかな」
紺と水色のハンカチを受け取った久保さんは、そっと優しく私を見つめる。
何か言わなきゃ。そう思うのに、情けないぐらい言葉が出てこない。
まどろっこしいような時間だけが過ぎていく。彼はすでにがっかりしているのではないだろうか。会話を弾ませることもできない女性などつまらないだろう。
「……帰りますね」
別れの言葉を彼に言わせてしまった。罪悪感が生まれる。たぶんきっと、もっと違う会話を彼は期待していたはずなのに。
「送ってくれてありがとうございます」
「また来ます」
久保さんが私に背を向ける。
普段通りの何も気負わない背中だ。もう会えないかも、という不安は何もない。むしろ、また会える、と胸が高鳴るのに、久保さんが引き戸を抜けた瞬間、彼のシャツをつかんでいた。
「日高さん?」
パッと手を離す。
「あ、違うんです。ほんとに、無意識というか……」
無意識で引き留めた方がおかしいんじゃないか。そう思ったが、言葉にしてしまったものはもう取り消せない。
うつむくと、革靴のつま先が視界に入ってくる。目の前へ立つ彼を見上げられない。すごく近い。それがわかるから。
「そろそろ、自分を褒めてあげてもいいんじゃないですか?」
「え?」
予期しない言葉を投げかけられて、彼を見上げた。思った以上に近い彼に驚いて、後ろへさがろうとするのを、彼の腕が阻止した。
背中と腰の間に回った腕が、遠慮がちに私を彼のもとへ引き寄せる。
「何にも続かないなんて、言わなくていいんです」
「……だって、仕事も恋も、長続きしたことなんてないんです」
「仕事は縁がなかっただけでしょう。それだけ新しいことにもチャレンジしてきたということでもありますし」
「ポジティブなんですね……」
「あなたみたいな人は、積極的にならないと得られないでしょう。普段はこんなことしません」
少々あきれているように久保さんは言いながら、身をかがませた。
彼の前髪がほおに触れて、温かい息が近づいてくる。恥ずかしくて、まぶたをぎゅっと閉じた。重なる唇は、思いがけないほど優しかった。
「長続きさせようなんて思わなくていいんです。運命の出会いなんて、ないと思ってますから」
この人となら。そう思えなければ、付き合う必要はないなんて、無意識に考えていただろうか。
絶対安全な恋なんて、どこにもないのに。
「小さな幸せを積み重ねていくうちに、日高さんは俺の運命の人になるんですよ。あなたにとっての俺も同じです」
「私……、久保さんとお付き合い、したいです」
そんなの言わなくても通じていたはずなのに、彼はひどく嬉しそうに照れ笑いをした。
こういう小さな幸せを積み上げていく。長く続けようなんて気負わなくていい。いつか、わかる日が来るから。
運命の人になる、その日までの一歩を、ようやく今、私は踏み出したのだ。
【第三話 大人になった星の王子さま 完】
イヤリングの調整を終えて、クボックから外に一歩出る。暑い日差しが否応なしに降り注いでいる。日傘ぐらい、持ってくればよかった。
「久保さん、ありがとうございました。だいぶ、楽になりました」
耳もとに触れてお礼を言うと、久保さんは青空へと視線を向けた。
「今日はやけに日差しが強いですね。日傘、貸しますよ」
「そんな、大丈夫です。すぐ帰れますから」
「次に会える時に返してくれればいいです」
久保さんはすぐに店内から日傘を持ってくる。番傘のような日傘だった。彼の選ぶものはすべて、とてもおしゃれに見えるから不思議だ。
「ほんとに、大丈夫ですよ」
断ると、彼は店内へ向かって叫ぶ。
「沼田くん、日高さんを送ってくるから、少し留守番頼むよ」
「わかりましたー。任せてくださいっ」
威勢のいい返事がすぐに返ってくる。
「だそうです。行きましょうか」
広げられた日傘が、私の方へ傾く。大きな日陰に身を置いただけなのに、守られてるような錯覚を起こす。
久保さんが歩き出すから、私もついていく。ふたりきりになる時間が欲しかった。お互いにそう思っていたみたいに、自然と寄り添い、歩いた。
何を話したらいいのか、考えれば考えるほど言葉が出てこない。彼も何も言わなかった。それでも、無言の時間もとても心地が良かった。
「もう着いてしまいましたね」
お話やの前で、久保さんはとても残念そうに息をついた。
私は困り顔しかできなくて情けない。もうちょっと一緒にいたい、とか、上手に甘えられたらいいのだけど。
「それにしても、暑いですね」
日傘をたたんで、ひたいに浮かぶ汗をぬぐう彼を見ていたら、ふと、あることを思い出した。
「男性用のハンカチを縫ってみたんです。使ってもらえますか?」
「ハンカチですか」
「男性客もいらっしゃるようになってきたので、少しだけ置いてみようと思って。沼田くんにも、よかったら。中、入ってください」
お話やの戸を開いて、久保さんを招き入れる。
むわっ、と広がる店内の蒸し暑さに驚いたが、彼は気にする様子もなく、涼しげな表情で中へ進んでくる。
「すぐに持ってきますね」
雑貨コーナーに置いた男性用ハンカチをいくつか選んで、久保さんのもとへ戻る。
「お好きなものをどうぞ」
「なかなかシンプルで使いやすそうです。じゃあ、俺はこれを。沼田くんは明るいのがいいかな」
紺と水色のハンカチを受け取った久保さんは、そっと優しく私を見つめる。
何か言わなきゃ。そう思うのに、情けないぐらい言葉が出てこない。
まどろっこしいような時間だけが過ぎていく。彼はすでにがっかりしているのではないだろうか。会話を弾ませることもできない女性などつまらないだろう。
「……帰りますね」
別れの言葉を彼に言わせてしまった。罪悪感が生まれる。たぶんきっと、もっと違う会話を彼は期待していたはずなのに。
「送ってくれてありがとうございます」
「また来ます」
久保さんが私に背を向ける。
普段通りの何も気負わない背中だ。もう会えないかも、という不安は何もない。むしろ、また会える、と胸が高鳴るのに、久保さんが引き戸を抜けた瞬間、彼のシャツをつかんでいた。
「日高さん?」
パッと手を離す。
「あ、違うんです。ほんとに、無意識というか……」
無意識で引き留めた方がおかしいんじゃないか。そう思ったが、言葉にしてしまったものはもう取り消せない。
うつむくと、革靴のつま先が視界に入ってくる。目の前へ立つ彼を見上げられない。すごく近い。それがわかるから。
「そろそろ、自分を褒めてあげてもいいんじゃないですか?」
「え?」
予期しない言葉を投げかけられて、彼を見上げた。思った以上に近い彼に驚いて、後ろへさがろうとするのを、彼の腕が阻止した。
背中と腰の間に回った腕が、遠慮がちに私を彼のもとへ引き寄せる。
「何にも続かないなんて、言わなくていいんです」
「……だって、仕事も恋も、長続きしたことなんてないんです」
「仕事は縁がなかっただけでしょう。それだけ新しいことにもチャレンジしてきたということでもありますし」
「ポジティブなんですね……」
「あなたみたいな人は、積極的にならないと得られないでしょう。普段はこんなことしません」
少々あきれているように久保さんは言いながら、身をかがませた。
彼の前髪がほおに触れて、温かい息が近づいてくる。恥ずかしくて、まぶたをぎゅっと閉じた。重なる唇は、思いがけないほど優しかった。
「長続きさせようなんて思わなくていいんです。運命の出会いなんて、ないと思ってますから」
この人となら。そう思えなければ、付き合う必要はないなんて、無意識に考えていただろうか。
絶対安全な恋なんて、どこにもないのに。
「小さな幸せを積み重ねていくうちに、日高さんは俺の運命の人になるんですよ。あなたにとっての俺も同じです」
「私……、久保さんとお付き合い、したいです」
そんなの言わなくても通じていたはずなのに、彼はひどく嬉しそうに照れ笑いをした。
こういう小さな幸せを積み上げていく。長く続けようなんて気負わなくていい。いつか、わかる日が来るから。
運命の人になる、その日までの一歩を、ようやく今、私は踏み出したのだ。
【第三話 大人になった星の王子さま 完】
