おしゃべりな雑貨店でティータイムを




「おはなしをしてくれませんか?」

 日曜日の午後1時に、高倉真結(たかくらまゆ)と名乗る女性は訪れた。

 年の頃は三十代前半。地味めのワンピースに身を包み、足元には履き慣れていそうなスニーカー。控えめなアクセサリーに、最低限のメイクをしていた。

 気だるそうにたたずむ彼女の手には、『お話や』のチラシが握られていた。聞けば、児童館に置かれていたチラシを見つけてやってきたのだという。

 常連客のひとりが、宣伝してあげるとチラシを何枚か持って帰ったのは、先月末のことだ。たしか、彼女は児童館の職員だったか。

「相談ができる雑貨店だと聞きました」

 真結さんは初めてらしく、少しだけ的外れなことを言った。

「相談に乗ってるわけではないんですよ」
「えっ、でも……」

 戸惑いを見せた彼女は、チラシを二度見した。しかし、そのチラシのどこにも、相談に乗りますと書かれていないことに気づいたのか肩を落とした。

「初回はドリンクつきとなります。私でよければ話し相手になりますが、どうされますか?」
「ごめんなさい。相談に乗ってもらえるのだとばかり……」

 相談所としては破格の安さに魅力を感じていたのだろう。あてが外れて、あからさまに落胆している。

「ご覧の通り、うちは雑貨店ですが、以前は喫茶店をやっていたものですから、お茶を飲みながら、ちょっとした身の上話をして、すっきりした気分でご帰宅いただけたらという気持ちでやっているんです」
「世間話程度でしたら、聞いてくださるんですね」
「どんなお話でも、お聞きしています」

 その代わり、解決はできないのだと説明すると、真結さんはお腹にそっと手を添えて、思い悩むように考え込んだ。

「……すみません。また考えてから、来ます」

 結論を出しきれなかったようで、真結さんは逃げ腰で後退りする。

 深追いはしない。今回はご縁がなかっただけだ。いつものように笑顔で見送ろうと思ったが、彼女の引きつったような笑みが気にかかり、気づいたら、カウンターから身を乗り出して声をかけていた。

「定休日は月木になります」

 彼女は不思議そうに私を眺めた。その一瞬の間が、私に勇気を与えた。

「雑貨店が開いてる時間では話がしにくいというお客さまには、定休日のご来店をおすすめしています」
「でも、定休日なんじゃ……」
「定休日は雑貨店の方の。お話やは年中無休なんです。だって、お話はしたいときにするものでしょう?」

 せっかく話そうという気になったときに店が休みでは気がそがれてしまう。

「木曜日の午後なら……」

 勢いに押されたのか、真結さんはそうつぶやいたが、必ず来るとは約束しないまま、足早に帰っていった。

 深い悩みでもあるのだろうか。だとしたら、私にも荷が重いかもしれない。それでも、『お話や』を始めるときに心に決めたことがあった。

 こういう仕事をしていなければ、関わることもなかった人たちと出会い、彼らの経験を聞かせてもらうことで、私に足りないものを成長させたい。母との関わりに怖気付いてしまった私は、今度こそ、逃げ出したりしないと。

 私は三人姉妹の末っ子だった。面倒見の良い長女と、自由奔放な次女の陰に隠れて、手のかからない子として生きてきた。

 母は優秀な長女を頼りにしていたし、問題ばかり起こす次女に手をかけていた。私は付属品のように最低限の愛情で育てられた。

 日高家の傍観者のように育った私は、気づけば、深く相手を知ろうとしない大人になっていた。

 それが当たり前だと思っていたから、クラスメイトがどんどん打ち解けて仲良くなっていく様子を見ても、羨ましいとも、さみしいとも思わなかった。むしろ、不便はないし、それでいいと思っていた。

 相談には乗れないが、話なら聞ける。そんなスタンスで仕事をしてるのは、私がいまだに未熟な証拠かもしれない。それでも、話ができる雑貨店を始めると決意したとき、自分と向き合うことから逃げ出さない努力をしてきたつもりだった。

 翌日の昼前、引き戸に鍵をかけると、『昼過ぎには戻ります』と書いた貼り紙をして、私は店をあとにした。

 真結さんにはああいったものの、定休日の来客はこれまで一度もなかった。だから定休日になると決まって、電車で二駅先のデパートへ出かけている。

 商店街で買い物をするのは付き合いのときぐらいだが、決して商店街をさけているわけではない。ただ、人見知りの性格が災いして、顔なじみの扱いを受けることが苦手だからだ。

 情けないことに、私の存在を認めてくれる人に出会うと、途端に恥ずかしくなってしまうのだ。だから、商店街の住人とは、付き合い程度の交流しか持っていなかった。

 買い物をすませた後、私はデパートの一階にあるカフェに立ち寄った。半年前にオープンしたばかりの、カフェ・ド・シュシュという可愛らしい名前のカフェだ。

 ガラス張りのカフェは、大通りから様子がよく見て取れる。少し目線を泳がせて、中の様子をうかがう。

「待ち合わせですか?」

 急に男の人に声をかけられた。振り返って驚いた。数日前、お話やにやってきた青年が目の前に立っていた。彼は目が合うと、わずかに浮かべていた笑みを沈め、ぺこりと頭を下げた。

「先日はどうも」
「こちらこそ、ご来店ありがとうございました」
「やっぱり、お話やさんでしたか。似てるなぁって思って、考えなしに声をかけてしまいました。ご迷惑でしたよね?」
「全然かまいませんよ。それに、お店の名前、覚えてくれたんですね」
「面白い名前のお店だと前から気になっていましたから。今日はおひとりですか?」

 彼はサッと辺りを見回すような仕草をして尋ねてきた。

 なんでそんなことが気になるんだろう。とっさに身構えてしまう。彼はただ世間話程度にそう言っただけかもしれない。それでも私は、急激に距離を詰められたような気がして、警戒心を強めてしまった。

 私はひと目を惹くほどの美人じゃない。どこにでもいるような、二十九歳の女だ。私が今、ひとりかどうかなんて、彼にとって全く関係のない話だ。

 彼をサッと観察した。オーソドックスなデザインの洋服を身につけた、素朴な青年だ。チノパンの後ろポケットに差し込まれた黒の長財布には、ウォレットチェーンがついている。

 その細いチェーンはよくよく見ると、いくつもの猫が連なって出来ている。可愛らしい。だけど、どこかハイセンス。素朴なのに垢抜けている彼によく似合う。この田舎町にはまったく不釣り合いな人に見える。

「私、急いでるので、これで」
「どなたか探してたなら俺も……」
「探してなんていません。ほんとに、じゃあ」

 拒絶するようにぴしゃりと言った。彼は驚いたような顔をしたが、この場を取り繕う言葉がうまく浮かばなくて、私はすぐさまその場を逃げ出した。