「お待たせしちゃってごめんなさい」
久保さんはすっかりコーヒーを飲み干し、クッキーも食べ終わっていた。あわててグラスに水を注いで、カウンターに置く。
「あんまり待つの気にならないタイプなので。ご馳走さまでした。……何の話、してましたっけ?」
グラスを受け取りながら、久保さんは尋ねてくる。
「えっと、確か……、あ、そうです。八福寺小学校に久保さんの弟さんもいらしたんですよね? 同級生に久保くんなんていう子、いたかなぁって考えてたんです」
「マンモス校ですからね、覚えてなくても無理はないと思います」
「そうですよね。同じクラスの子でも、もう忘れちゃってる子もいますし」
「記憶に残るってだけで、何かご縁があるのかもしれないですね」
「縁ですか……」
ほんの少し天井を見上げるようにして考え込んだ。
伊坂さんと私に、何か縁があったのだろうか。今はもう、過去の出来事に後ろめたい思いをしていた者同士、ということぐらいしか思い当たらない。
「記憶に残るような方、いるんですね」
久保さんは不自然なほど、優しく微笑んだ。
まるで、心の中を見透かされたようだった。伊坂さんのことを考えて、上の空になったことを気付かれた。
急に恥ずかしくなって、火照るほおを自覚する。無自覚に胸元のネックレスを触ってしまった。ひとつひとつの仕草が彼に誤解を与えてしまうような気がして焦った。
「伊坂さんはただの同級生なんです」
お友だちになれたと思っていたが、今はもう、ただの同級生。言葉にしてみたら、妙に腑に落ちた。
「伊坂さんって言うんですね。そのスターのネックレス、プレゼントした彼は」
ブラウスの中に隠してあるのに、久保さんはそう言う。でもきっと、私がたくさんのアクセサリーを持っていないことも見透かしている。よほど大事にしているように見えているのだろう。
「お詫びなんです。だから、久保さんがご想像されてるようなものでもないんです」
記憶に残る彼からのプレゼント。それはとても特別な響きがするけど、全然違う。
「お詫びというと?」
「私もさっき知ったんです。さっき来た女の子は私の同級生で……」
私は書籍コーナーへ行くと、スタープリンセスを持って、久保さんのもとへ戻った。
そっと、ブックカバーのないスタープリンセスをカウンターに置く。それから、カウンターの下に置いてあった、ブックカバーのあるスタープリンセスを並べた。
久保さんは興味深そうに、二冊の本を見比べた。
「まったく同じ本ですね」
「はい。ブックカバーのある方は、伊坂さんが送ってくれたんです。このネックレスと一緒に」
胸元からネックレスを取り出して、スターの形をしたトップを彼に見せる。
「たぶん、スタープリンセスにちなんで、スターの形を選んでくれたんだと思います。私、この本がずっと好きだったので」
「俺には、伊坂さんという方がお詫びでプレゼントしたようには感じませんが」
普通に考えたらそうだろう。
大好きな本とアクセサリーをプレゼントされたら、真っ先にお詫びだなんて思わないだろう。
「お詫びというのは、こっちの」
ブックカバーのないスタープリンセスを手に取る。
「この本、ブックカバーがないでしょう? 小学校の時に、ある男の子に破られたからなんです。その子が誰だったかなんて全然覚えてなかったんですけど、同級生の女の子があれは伊坂さんだよって教えてくれて。伊坂さんは私に直接そう言ってくれなかったけど、破ってしまったブックカバーの代わりに、カバーのあるスタープリンセスと、それだけでは味気ないからネックレスを送ってくれたんだと思います」
久保さんはカバーのないスタープリンセスを手に取ると、無言で表紙を眺めた。
私と伊坂さんの間にあった昔のことを、何にも知らない彼にのぞかれているような、恥ずかしい気持ちになった。
ふと、久保さんは私を見上げる。
「日高さんはお詫びのネックレスがとても嬉しかったんですね」
どきりとした。
ひとつは、彼が私を日高さんと呼んだから。もうひとつは、彼の視線が私の耳に止まったからだ。
ハッと耳たぶを触って、赤くなってうつむく。
「イヤリングは、慣れなくて……」
か細い声が出た。
久保さんが私のために作ってくれたイヤリングは、特別な時にしかはめたくないと思って、ジュエリーケースに入れてある。
今日がその特別な日だったと気づいて、情けなくなった。
「日高さんは伊坂さんがお好きなんですね」
それはとても穏やかで静かな口調だったが、私には矢のように刺さった。
胸がチクチクした。
好きじゃないとは言わない。とても優しくて、紳士的な彼だったから、好意はあった。だからって、その好意の全部が全部、恋じゃない。
久保さんに誤解されて動揺するなんて、すごく変。
「私、恋なんて、しないです」
なんてぶっきらぼうに言ってしまったんだろう。
過去にした恋なんて、お遊びにもならないようなものだった。勝手に舞い上がって勝手に傷ついて、勝手にあきらめた程度のもの。それなのに、人生最大の恋を逃した人みたいになってしまった。
「恋しないなんて、もったいないですよ」
久保さんは冷淡に言うと、立ち上がった。
「帰ります。また来週、来ますね」
「だってまだ、久保さんのお話、全然……」
「用事を思い出したんです。じゃあ、また」
あきれてしまったのかもしれない。私の話ばっかりしてしまったから。
「……お待ちしてます」
「ありがとう」
彼はふんわり微笑んで、お話やを出ていった。
久保さんはすっかりコーヒーを飲み干し、クッキーも食べ終わっていた。あわててグラスに水を注いで、カウンターに置く。
「あんまり待つの気にならないタイプなので。ご馳走さまでした。……何の話、してましたっけ?」
グラスを受け取りながら、久保さんは尋ねてくる。
「えっと、確か……、あ、そうです。八福寺小学校に久保さんの弟さんもいらしたんですよね? 同級生に久保くんなんていう子、いたかなぁって考えてたんです」
「マンモス校ですからね、覚えてなくても無理はないと思います」
「そうですよね。同じクラスの子でも、もう忘れちゃってる子もいますし」
「記憶に残るってだけで、何かご縁があるのかもしれないですね」
「縁ですか……」
ほんの少し天井を見上げるようにして考え込んだ。
伊坂さんと私に、何か縁があったのだろうか。今はもう、過去の出来事に後ろめたい思いをしていた者同士、ということぐらいしか思い当たらない。
「記憶に残るような方、いるんですね」
久保さんは不自然なほど、優しく微笑んだ。
まるで、心の中を見透かされたようだった。伊坂さんのことを考えて、上の空になったことを気付かれた。
急に恥ずかしくなって、火照るほおを自覚する。無自覚に胸元のネックレスを触ってしまった。ひとつひとつの仕草が彼に誤解を与えてしまうような気がして焦った。
「伊坂さんはただの同級生なんです」
お友だちになれたと思っていたが、今はもう、ただの同級生。言葉にしてみたら、妙に腑に落ちた。
「伊坂さんって言うんですね。そのスターのネックレス、プレゼントした彼は」
ブラウスの中に隠してあるのに、久保さんはそう言う。でもきっと、私がたくさんのアクセサリーを持っていないことも見透かしている。よほど大事にしているように見えているのだろう。
「お詫びなんです。だから、久保さんがご想像されてるようなものでもないんです」
記憶に残る彼からのプレゼント。それはとても特別な響きがするけど、全然違う。
「お詫びというと?」
「私もさっき知ったんです。さっき来た女の子は私の同級生で……」
私は書籍コーナーへ行くと、スタープリンセスを持って、久保さんのもとへ戻った。
そっと、ブックカバーのないスタープリンセスをカウンターに置く。それから、カウンターの下に置いてあった、ブックカバーのあるスタープリンセスを並べた。
久保さんは興味深そうに、二冊の本を見比べた。
「まったく同じ本ですね」
「はい。ブックカバーのある方は、伊坂さんが送ってくれたんです。このネックレスと一緒に」
胸元からネックレスを取り出して、スターの形をしたトップを彼に見せる。
「たぶん、スタープリンセスにちなんで、スターの形を選んでくれたんだと思います。私、この本がずっと好きだったので」
「俺には、伊坂さんという方がお詫びでプレゼントしたようには感じませんが」
普通に考えたらそうだろう。
大好きな本とアクセサリーをプレゼントされたら、真っ先にお詫びだなんて思わないだろう。
「お詫びというのは、こっちの」
ブックカバーのないスタープリンセスを手に取る。
「この本、ブックカバーがないでしょう? 小学校の時に、ある男の子に破られたからなんです。その子が誰だったかなんて全然覚えてなかったんですけど、同級生の女の子があれは伊坂さんだよって教えてくれて。伊坂さんは私に直接そう言ってくれなかったけど、破ってしまったブックカバーの代わりに、カバーのあるスタープリンセスと、それだけでは味気ないからネックレスを送ってくれたんだと思います」
久保さんはカバーのないスタープリンセスを手に取ると、無言で表紙を眺めた。
私と伊坂さんの間にあった昔のことを、何にも知らない彼にのぞかれているような、恥ずかしい気持ちになった。
ふと、久保さんは私を見上げる。
「日高さんはお詫びのネックレスがとても嬉しかったんですね」
どきりとした。
ひとつは、彼が私を日高さんと呼んだから。もうひとつは、彼の視線が私の耳に止まったからだ。
ハッと耳たぶを触って、赤くなってうつむく。
「イヤリングは、慣れなくて……」
か細い声が出た。
久保さんが私のために作ってくれたイヤリングは、特別な時にしかはめたくないと思って、ジュエリーケースに入れてある。
今日がその特別な日だったと気づいて、情けなくなった。
「日高さんは伊坂さんがお好きなんですね」
それはとても穏やかで静かな口調だったが、私には矢のように刺さった。
胸がチクチクした。
好きじゃないとは言わない。とても優しくて、紳士的な彼だったから、好意はあった。だからって、その好意の全部が全部、恋じゃない。
久保さんに誤解されて動揺するなんて、すごく変。
「私、恋なんて、しないです」
なんてぶっきらぼうに言ってしまったんだろう。
過去にした恋なんて、お遊びにもならないようなものだった。勝手に舞い上がって勝手に傷ついて、勝手にあきらめた程度のもの。それなのに、人生最大の恋を逃した人みたいになってしまった。
「恋しないなんて、もったいないですよ」
久保さんは冷淡に言うと、立ち上がった。
「帰ります。また来週、来ますね」
「だってまだ、久保さんのお話、全然……」
「用事を思い出したんです。じゃあ、また」
あきれてしまったのかもしれない。私の話ばっかりしてしまったから。
「……お待ちしてます」
「ありがとう」
彼はふんわり微笑んで、お話やを出ていった。
