「わざわざ寄ってくれてありがとう、ひかりちゃん」
ひかりちゃんは時折、雑貨を買いに来てくれる、元同級生のお客さん。彼女を誰かに紹介するとしたら、その言い方が一番しっくりくる。
「ちょっと気になることがあって来ちゃった。幸子ちゃんに話すまでは落ち着かなくて」
ひかりちゃんはそわそわしながら言う。
「何かあったの?」
そう尋ねると、彼女は待ってましたとばかりに話し出す。
「二月か三月だったと思うけど、幸子ちゃん、男の人とやなせ書房にいたじゃない? 確か、たまたま会っただけの人だって言ってたよね」
伊坂さんのことだ。お話やへ買い物に来てくれたひかりちゃんに、「彼氏?」って聞かれて、そんな話をしたかもしれない。
「そうだっけ?」
しらばくれたが、ひかりちゃんは素直に受け取ったようだった。
「そうだよー。忘れちゃった? あの人、どっかで見たことあるような気がして、気になってたの。でね、この間、黒谷くんに会って」
黒谷くんも小学校の同級生だ。名前だけは、ひかりちゃんからよく聞いている。
「黒谷くんが、それ、伊坂くんじゃないかって言うの。よくやなせ書房にいるやつなら、伊坂久史くんだろうって」
「伊坂さんって言うんだね。それが、どうかしたの?」
「伊坂くんね、黒谷くんのお店にもよく来てたんだって。だから私も見たことある人だなぁって思ったんだと思う」
ひかりちゃんの話だと、黒谷くんは駅前の焼き鳥屋で働いている。ひかりちゃんもその店に何度か顔を出しているのだろう。
そこで、客の伊坂さんに会った。どこかで見たことがある程度の記憶として、彼女の中にずっと残っていたのだ。
「伊坂さん、最近も焼き鳥屋に行ってるの? 私は全然会ってなくて」
ちょっと期待して尋ねる自分に驚いた。また会えるかもしれない。そんな風にあの手紙をもらってもまだ思っているのだ。
「あ、ううん。最近はずっと来てないって。幸子ちゃんも会ってないんだ? また引っ越したのかもなって、黒谷くん言ってたよ」
「またって?」
「伊坂久史くんって、彼だよ。幸子ちゃんはあのこと忘れてないはずだけど、伊坂くんの顔なんて覚えてないよね。私だって忘れてた。黒谷くんは商売柄、いろいろ聞いてるうちに伊坂くんだって気づいただけで」
「何の話?」
「伊坂くんってさ、八福寺小学校で同級生だった子だよ。四年生の時に引っ越しちゃった男の子。幸子ちゃんの大事な小説のカバー破った、あの男の子だよ」
ハッと息を飲む。そうだったんだ、と衝撃を受けた。すべての辻褄が合った。あはは……って心の中で笑う私がいる。
何か期待してた?
伊坂さんが私を気にしていたのは、昔にブックカバーを破ってしまった負い目からだったのに。カフェに誘ってくれたのは、ただのお詫びだったのに。
初対面の私に興味を持ってくれただなんて、本気で思ってた?
「幸子ちゃん……、やっぱりまだあのこと、傷ついてるよね。余計なこと言っちゃったかな。なんか、ごめんね」
心配そうに顔をのぞき込んでくるひかりちゃんに気づいて、ううん、と微笑む。
「顔も名前も全然覚えてなくて……、伊坂さんはあの時の男の子だったんだね」
クラスメイトにからかわれて、私のブックカバーを破ったという記憶は、決していい思い出ではなかった。
だけど、あの男の子にはずっと申し訳ないと思っていた。ちゃんと謝罪を受けて、許すことができていたら、大人になっても引きずることはなかっただろう。
伊坂さんも、私と同じようにあの日のことを引きずってきた。だから、手紙で謝罪した。わざわざブックカバーのついたスタープリンセスを購入してまで。
全然怒ってない、と私は伝えていない。彼の気持ちはまだ、救われていないのではないかと気になった。
「伊坂くん、ムードメーカーみたいな子で、優しい子だったって、黒谷くんは言ってた。あのとき、ほかの子たちが伊坂くんをからかいすぎたんだって。でも……、一番傷ついたのは、幸子ちゃんだったね。……ほんと、ごめんね」
ひかりちゃんは何度か謝罪した。ただ純粋に、あの男性は同級生の伊坂くんだよって教えに来てくれただけなのに、変な気を遣わせてしまった。
「うん、気にしてないよ。もう昔のことだし……ううん、あの時も気にしてなかったの」
「そっか。……幸子ちゃんが気にしてないならよかった。伊坂くんのこと後で知って、変なことになったらいけないって思って」
「なーに、変なことって」
くすっと笑うと、ひかりちゃんも、えへへと笑った。
「だって伊坂くんと幸子ちゃん、お似合いだったから。たぶん、伊坂くんは昔から幸子ちゃんが気になってたんだと思うよ」
「そんなことないよ。考えすぎ」
「幸子ちゃんはもっと自信持っていいのにー。じゃあ、ごめんね。行くね」
「うん、ありがとう。またね」
「またね」
ひかりちゃんは軽やかな足取りで立ち去る。花柄のワンピースをふんわりと揺らしながら。彼女の歩いた道がキラキラと光って見える。
同じワンピースを私が着たって、あんなに可愛らしく着こなせない。自信なんて、どうやって持ったらいいのかもわからない。
何にも続かない、さっちゃん。
珠美は私のことをそう言う。
仕事も続かなかった。恋なんて、もっとできない。
伊坂さんも結局、離れていってしまった。
「私にはお話やがあるじゃない」
小さくつぶやいて、久保さんの待つ店内へと戻った。
ひかりちゃんは時折、雑貨を買いに来てくれる、元同級生のお客さん。彼女を誰かに紹介するとしたら、その言い方が一番しっくりくる。
「ちょっと気になることがあって来ちゃった。幸子ちゃんに話すまでは落ち着かなくて」
ひかりちゃんはそわそわしながら言う。
「何かあったの?」
そう尋ねると、彼女は待ってましたとばかりに話し出す。
「二月か三月だったと思うけど、幸子ちゃん、男の人とやなせ書房にいたじゃない? 確か、たまたま会っただけの人だって言ってたよね」
伊坂さんのことだ。お話やへ買い物に来てくれたひかりちゃんに、「彼氏?」って聞かれて、そんな話をしたかもしれない。
「そうだっけ?」
しらばくれたが、ひかりちゃんは素直に受け取ったようだった。
「そうだよー。忘れちゃった? あの人、どっかで見たことあるような気がして、気になってたの。でね、この間、黒谷くんに会って」
黒谷くんも小学校の同級生だ。名前だけは、ひかりちゃんからよく聞いている。
「黒谷くんが、それ、伊坂くんじゃないかって言うの。よくやなせ書房にいるやつなら、伊坂久史くんだろうって」
「伊坂さんって言うんだね。それが、どうかしたの?」
「伊坂くんね、黒谷くんのお店にもよく来てたんだって。だから私も見たことある人だなぁって思ったんだと思う」
ひかりちゃんの話だと、黒谷くんは駅前の焼き鳥屋で働いている。ひかりちゃんもその店に何度か顔を出しているのだろう。
そこで、客の伊坂さんに会った。どこかで見たことがある程度の記憶として、彼女の中にずっと残っていたのだ。
「伊坂さん、最近も焼き鳥屋に行ってるの? 私は全然会ってなくて」
ちょっと期待して尋ねる自分に驚いた。また会えるかもしれない。そんな風にあの手紙をもらってもまだ思っているのだ。
「あ、ううん。最近はずっと来てないって。幸子ちゃんも会ってないんだ? また引っ越したのかもなって、黒谷くん言ってたよ」
「またって?」
「伊坂久史くんって、彼だよ。幸子ちゃんはあのこと忘れてないはずだけど、伊坂くんの顔なんて覚えてないよね。私だって忘れてた。黒谷くんは商売柄、いろいろ聞いてるうちに伊坂くんだって気づいただけで」
「何の話?」
「伊坂くんってさ、八福寺小学校で同級生だった子だよ。四年生の時に引っ越しちゃった男の子。幸子ちゃんの大事な小説のカバー破った、あの男の子だよ」
ハッと息を飲む。そうだったんだ、と衝撃を受けた。すべての辻褄が合った。あはは……って心の中で笑う私がいる。
何か期待してた?
伊坂さんが私を気にしていたのは、昔にブックカバーを破ってしまった負い目からだったのに。カフェに誘ってくれたのは、ただのお詫びだったのに。
初対面の私に興味を持ってくれただなんて、本気で思ってた?
「幸子ちゃん……、やっぱりまだあのこと、傷ついてるよね。余計なこと言っちゃったかな。なんか、ごめんね」
心配そうに顔をのぞき込んでくるひかりちゃんに気づいて、ううん、と微笑む。
「顔も名前も全然覚えてなくて……、伊坂さんはあの時の男の子だったんだね」
クラスメイトにからかわれて、私のブックカバーを破ったという記憶は、決していい思い出ではなかった。
だけど、あの男の子にはずっと申し訳ないと思っていた。ちゃんと謝罪を受けて、許すことができていたら、大人になっても引きずることはなかっただろう。
伊坂さんも、私と同じようにあの日のことを引きずってきた。だから、手紙で謝罪した。わざわざブックカバーのついたスタープリンセスを購入してまで。
全然怒ってない、と私は伝えていない。彼の気持ちはまだ、救われていないのではないかと気になった。
「伊坂くん、ムードメーカーみたいな子で、優しい子だったって、黒谷くんは言ってた。あのとき、ほかの子たちが伊坂くんをからかいすぎたんだって。でも……、一番傷ついたのは、幸子ちゃんだったね。……ほんと、ごめんね」
ひかりちゃんは何度か謝罪した。ただ純粋に、あの男性は同級生の伊坂くんだよって教えに来てくれただけなのに、変な気を遣わせてしまった。
「うん、気にしてないよ。もう昔のことだし……ううん、あの時も気にしてなかったの」
「そっか。……幸子ちゃんが気にしてないならよかった。伊坂くんのこと後で知って、変なことになったらいけないって思って」
「なーに、変なことって」
くすっと笑うと、ひかりちゃんも、えへへと笑った。
「だって伊坂くんと幸子ちゃん、お似合いだったから。たぶん、伊坂くんは昔から幸子ちゃんが気になってたんだと思うよ」
「そんなことないよ。考えすぎ」
「幸子ちゃんはもっと自信持っていいのにー。じゃあ、ごめんね。行くね」
「うん、ありがとう。またね」
「またね」
ひかりちゃんは軽やかな足取りで立ち去る。花柄のワンピースをふんわりと揺らしながら。彼女の歩いた道がキラキラと光って見える。
同じワンピースを私が着たって、あんなに可愛らしく着こなせない。自信なんて、どうやって持ったらいいのかもわからない。
何にも続かない、さっちゃん。
珠美は私のことをそう言う。
仕事も続かなかった。恋なんて、もっとできない。
伊坂さんも結局、離れていってしまった。
「私にはお話やがあるじゃない」
小さくつぶやいて、久保さんの待つ店内へと戻った。
