おしゃべりな雑貨店でティータイムを

 志島さんは私に気づいて、そっと目配せすると、そのまま珠美に近づいていった。

 私はふたたび久保さんと顔を見合わせた。彼は志島さんを知らないだろう。それでも、口を挟んではいけない雰囲気を感じ取ったのか、彼は小さくうなずいた。

「今夜はとびきり月が綺麗だね」

 それは誰もが知る、唐突な愛の告白だった。恥ずかしげもなくそれを口にした志島さんは、雲の切れ間から現れた大きな月を見上げた。今日は満月のようだ。

「何よ、急に来て……。ほんと、急に……」

 数年ぶりの再会のはずなのに、ブランクを感じさせない彼の距離感に、珠美も飲み込まれたように恨み節をつぶやいた。

「そう言ってほしいって言ってなかったっけ?」
「言ってないわよ……」

 ほんのりほおを染める彼女を見れば、言ったのだとすぐにわかる。茶化すような志島さんの態度もまったく嫌味がなく、彼女との会話を楽しんでいるようだった。

「ずいぶん昔の話で、忘れちゃったよな。もっとはやく会いに来たらよかったよ」
「どうしてたの、今まで」
「まあまあ元気にやってたよ。仕事も忙しいんだけどさ、もう三十五だろ? そろそろ落ち着こうと思ってさ」
「結婚するの?」
「しようかなって気持ちはあるよ」

 志島さんは目を細めて微笑んだ。

「かぐや姫はもう月に帰ったんだろうって、何度も諦めたんだけどね。やっぱり忘れられなかったみたいだ」
「私のこと、まだかぐや姫だってバカにしてるの?」

 珠美はすねるように言う。

 無理難題ふっかけて、結局結婚しなかったかぐや姫。昔の志島さんには、珠美がかぐや姫のように映っていた。

 志島さんは肩をすくめる。

「してないよ。蓬莱(ほうらい)(たま)()が欲しいって言われたら諦めるしかないけどさ、珠美の願いはいつも単純だったよな」
「洋一が複雑にしたって言ってるの?」
「俺たちはドラマチックじゃなかったかもしれないけど、珠美と過ごす時間はロマンチックだったよ」
「何、バカなこと言ってるのよ」
「歯の浮くようなセリフ、好きじゃなかった?」

 おかしそうに彼は笑う。彼女に振り回された過去を懐かしく思えるほどの余裕が、今はあるみたいだった。

 志島さんはさらに珠美に近づいて、そっと優しく尋ねる。

「今夜はもう少し、俺に時間くれる?」
「……付き合ってあげてもいいわよ」

 ぶっきらぼうに答える珠美がなんだか愛おしく見える。自分を理解してくれる男性との出会いが、彼女を輝かせているのだ。

 もう大丈夫だろう。
 志島さんがいてくれるなら、珠美はもう、かぐや姫には戻らない。

 私は少し後ずさり、前を向いて歩き出す。久保さんも黙ってついてくる。

 八福寺商店街を抜け出ると、肩の力が抜けた。

 志島さんなら大丈夫。
 もう一度、心の中で繰り返して前を向く。リリーカフェはもう目前にある。

「さっきの人、知り合いですか?」

 久保さんが頃合いを見計らったように尋ねてきた。

「お客さまです」
「そうでしたか」

 彼の話を聞いたんですか? とは、久保さんは尋ねなかったけど、きっとそれと気づいただろう。

「お話やさんに話を聞いてもらえたら、俺の悩みも解決するのかな」

 そうつぶやくから、少々驚いて久保さんを見上げた。目が合うと、彼はわずかに目を細めて微笑んだ。

「お悩みがあるなら、いつでも来てください。解決のお力にはなれないと思いますけど……」
「では、月曜日に出直します」

 クボックの定休日は月曜だ。ゆっくり話したいのだろうと、私はうなずく。

「今日は世間話でも楽しみましょう。サンドイッチ、かなり美味しいらしいですから」
「楽しみです。本当は、食べてみたかったんです」

 なぜか素直に言ってみようと思えて、言葉にすると、彼はますます笑顔になった。

「ミルクレープも美味しいみたいですよ」
「……両方食べられるかな」
「次に行くときに食べたらいいじゃないですか。俺も付き合いますよ」

 それは、次のお誘いなんだろうか。また会いたいって思ってくれるなら、誘いを受けてもいいかもしれない。

「もし、次の約束の日、来られなかったら連絡くれますか?」

 クボックに行けば会えるのだから、彼は伊坂さんとは違うんだってわかっていたが、どうにも不安がぬぐえなくて、バカな質問をしてしまった。

「……します。ちゃんとしますよ。連絡先、交換しましょうか」

 ほんの少し沈黙した後、久保さんは妙に真面目な表情を見せてそう言った。





【第二話 忘れられたかぐや姫 完】