おしゃべりな雑貨店でティータイムを

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「すみません。もう閉店ですよね」
「お待ちしてました。何か飲まれますか?」
「じゃあ、ホットコーヒーを、ブラックで」

 閉店間際にやってきた志島さんは、申し訳なさそうに眉を下げて、カウンター席に腰を下ろした。

「お忙しいんですね」
「残業続きで参ります」
「お身体には気をつけてくださいね」

 ホットコーヒーに、アキノのクッキーを添えたプレートを、彼の前に差し出す。

「ああ、いい香りだ」

 コーヒーカップを持ち上げてそう言った志島さんは、コーヒーをひと口飲む。「ああ、うまい」などとしみじみ言って、ゆっくりカップを戻す。

「珠美の淹れるコーヒーも、うまかったな。母親譲りだとか?」

 志島さんは懐かしそうに目を細めて笑う。

 穏やかに笑う人だ。頼り甲斐のありそうな風貌で、自信家にも見えるのに、とても優しい表情をする。

「そうかもしれないです。姉も、よくコーヒーを淹れてくれました」
「面倒見がいいところもあるよね」
「私はずいぶん助けられてます」
「俺もそうだったから、わかるよ」

 志島さんはほんの少しさみしそうな目をして、息をついた。

 姉は過去の恋を引きずっている。彼もそうだろうか。

 姉がすごく好きだった人は、今でもすごく好きな人かどうかはわからない。

 だけど、羨ましいと思う。
 私にはそんな出会い、全然なかった。出会う努力すらしてこなかった。

 だからあの日、伊坂さんに私から話しかけたことは、とても大きな出来事だった。

 一緒にカフェへ出かけていたら、私たちはどうなっていたんだろう。恋する感情は生まれたんだろうか。だとしたら、久保さんに恋することはできなかっただろう。

 そう考えて、ちょっとおかしくなってしまった。これではまるで、久保さんに恋したいみたいだ。

「珠美、付き合ってるやつとか、いるのかな」
「どうなんでしょう」
「知ってても言わない?」

 茶目っ気を帯びた口調で、志島さんは尋ねる。

「わからないだけです。いろいろ話してくれる人って、全部さらけ出してるように見えて、誰にも知られたくない本心だけは、言わなかったりしますよね」

 彼はスッと真顔になった。

「珠美はよくしゃべるよな。ああいう恋がしたい。こういう恋もいい。ドラマや映画を見るたびに、夢見る少女みたいになってさ。でも本心は、俺とはそういう恋はできてないって思ってたんだろうな」
「理想が高かったんでしょうか。……志島さんはとても素敵な方に見えますけど」

 おずおずと言うと、彼は目尻にしわを寄せて笑った。

「誤解されるといけないから、そんなこと言わない方がいいよ。男ってさ、都合良く誤解したい生き物なんだ」
「あっ……違います。姉にとっては、ってことです」
「全否定もちょっと傷つくね。妹さんにとっての俺は、そんなに魅力的じゃない?」
「ほんとにすみません。何を言っても墓穴を掘りそうです」

 ぺこりと頭を下げると、いいよって彼は笑う。よく笑う人だ。珠美と賑やかしく過ごす彼は、容易に想像がついた。

「妹さんの言う通り、珠美はさ、理想が高すぎるんだよ。そんな男はドラマの中だけだって何回か言ったことあるよ。かぐや姫にでもなったつもりかってさ」

 ふと思い浮かんだかぐや姫は、長い黒髪の美女だった。それはまるで、珠美のような。

「かぐや姫ってめちゃくちゃモテて、いろんな男から求婚されるだろ。でも、無理難題言って、結局誰とも結婚しない。そんなんだから幸せになれないんだ」
「理想を求めすぎて幸せになれないって、姉に言ったんですか?」
「結婚するのが幸せだなんて、勝手に決めつけるなって言われたけどな」

 クスクスと志島さんは肩を揺らして笑うけど、どことなくさみしげな影を背負っている。

「姉が結婚したいって思ってるなら、決めつけではないですよね?」
「結婚したいのかな、珠美は」
「それは、志島さんが確認されたらどうですか?」
「いいの? 俺が義兄になっても」

 愉快げな瞳の奥に、不安と自信が入り乱れている。

「もし、姉が誰かを待ってるなら、後悔しないでほしいって思っただけです。姉にも、志島さんにも」
「ほんとに優しい妹さんだね。でも、相談に来たのが俺以外の男でも、同じことを言うんだろうね」

 志島さんは皮肉げに笑った。

「恋って、タイミングが少しズレるだけで、違う結果になることもあるのかなって思って。誰か特定の一人を応援するのも違いますよね、きっと」
「まっすぐで、正しいばっかりじゃ幸せになれないよ」
「わかってても、できないことありますね」
「そうだね。俺たち、ちょっと似たもの同士かもしれないね」
「全然似てません」

 志島さんは華やかで自信家で、正しくないこともきっとできる人。もし姉に自分以外の好きな人がいても、奪っていける強さもあるだろう。

 何が幸せでそうじゃないかは、珠美が決めることだ。志島さんと幸せになってほしいと、私が願うものでもない。

「今度は大切にできるように努力するよ」
「大切にされてましたよね、ずっと。だから今でも、姉を好きでいてくれるんですよね。ありがとうございます」

 頭を深くさげると、「まいったな」と、志島さんは少し困ったように笑ってつぶやいた。