***
立て看板を店内へ片付け、シャッターを下ろしていると、後ろから声をかけられた。
「もう、終わりですか?」
振り返ると、スーツを着た男性が立っていた。会社帰りだろうか。有能な営業マンに見える彼をさらりと眺めた後、わずかに濡れた肩に目をとめた。
雨?
そう思った瞬間、パタパタと地面を濡らす雨音が耳を打つ。
「大丈夫ですよ」
シャッターをグイッと押し上げて、彼に中へ入るように促した。その頃には雨は激しくなり、雷が鳴っていた。
「もう梅雨ですね」
「降ったり止んだりでたまりませんね」
彼は苦笑して、ハンカチでスーツをぬぐう。
「ビニール傘ですけど、お貸ししましょうか? すぐに止むと思いますから、ここで雨宿りされてもかまいませんけど」
そう申し出ると、彼は安堵の表情を浮かべて、「待たせてもらいます」とカウンター席に腰を下ろした。
「もう閉店時間ではないですか?」
申し訳なさそうに、彼は辺りを見回す。
話したいときにいつでも、をモットーにしているお話やが来客を断ることはないが、彼は客のようには見えない。それでも私は、にっこりと微笑んだ。
「少しぐらいでしたら大丈夫ですよ」
すると、彼は少々驚いたように眉をあげた。
「全然違うんですね」
「違うって何がですか?」
「珠美の妹さんだよね?」
思いがけない名前が彼の口から飛び出した。
「姉のお知り合いですか」
彼は小さくうなずいて、胸ポケットを探った。そして取り出した名刺入れを、迷った挙句、戻してしまった。名刺を渡すのは得策じゃない。そう思ったように見えた。
「志島と言います。珠美とは仕事関係の知り合いです」
その言葉には違和感があった。仕事絡みの知人なら、姉を呼び捨てにはしないだろう。私の中に、警戒心が生まれた。
「姉とはいつから?」
「もう五年くらいになるかな。最近は会ってないんだけどね」
だから、ここに来たのだろうか。
「もし、姉に会えると思って来られたなら、ご期待には応えられません。御用ぐらいはうかがいますけど」
「すごく素直なんですね。珠美に何か用かーって、怒ってるみたいな言い方される」
志島さんがくすくす笑うから、ほおがわずかに赤くなる。ばかにされた。そういうのはすぐわかる。
「珠美、元気ですか?」
黙っていると、彼はふとさみしげな表情をして、店の外へと視線を動かした。
まだ雨は降り続いているが、雨脚は弱まってきている。
「それを聞いてどうするんですか」
警戒心を隠せていない私に、彼はすぐに目を戻した。愉快げにこちらを眺める瞳は、やはりどこか切なそうに揺れている。
「久しぶりにね。久しぶりに、珠美を見かけた。あいかわらず綺麗でね。元気にやってるのかなって気になったんですよ」
「あいかわらずだとは思います」
妹に見せる姉の顔は、実は珠美のほんの一部でしかない。もしかしたら、志島さんの知る姉は、私が知る姉とは別人かもしれないが、彼はその返答で満足したようにうなずいた。
「週末は妹さんのお店を手伝ってるそうですね。あなたに会えば、何か変わるかなって期待もしたんですよ」
志島さんは口もとに笑みを浮かべると、カウンター上の壊れた貯金箱を手に取った。そこには、小さなポップが貼ってある。
「私は話を聞くぐらいしかできません」
「俺も聞いてもらおうかな。珠美との話」
彼は一話千円の文字を親指でなぞる。
「別れた男の話なんて聞きたくないでしょうけど、聞いてやってくれますか?」
「姉とお付き合いされてたんですか?」
「薄々気づいてたでしょう。それでも確認するなんて、やっぱりあなたは珠美と全然違う。誠実なんですね」
「仕事柄だと思います」
志島さんは微笑むと、財布から千円を取り出し、カウンターの上に乗せた。
「また来週の金曜日に来ます。今度はもう少し早い時間に来ますよ」
そう言い置いて、彼はお話やを出ていった。いつの間にか、雨はすっかり止んでいた。
立て看板を店内へ片付け、シャッターを下ろしていると、後ろから声をかけられた。
「もう、終わりですか?」
振り返ると、スーツを着た男性が立っていた。会社帰りだろうか。有能な営業マンに見える彼をさらりと眺めた後、わずかに濡れた肩に目をとめた。
雨?
そう思った瞬間、パタパタと地面を濡らす雨音が耳を打つ。
「大丈夫ですよ」
シャッターをグイッと押し上げて、彼に中へ入るように促した。その頃には雨は激しくなり、雷が鳴っていた。
「もう梅雨ですね」
「降ったり止んだりでたまりませんね」
彼は苦笑して、ハンカチでスーツをぬぐう。
「ビニール傘ですけど、お貸ししましょうか? すぐに止むと思いますから、ここで雨宿りされてもかまいませんけど」
そう申し出ると、彼は安堵の表情を浮かべて、「待たせてもらいます」とカウンター席に腰を下ろした。
「もう閉店時間ではないですか?」
申し訳なさそうに、彼は辺りを見回す。
話したいときにいつでも、をモットーにしているお話やが来客を断ることはないが、彼は客のようには見えない。それでも私は、にっこりと微笑んだ。
「少しぐらいでしたら大丈夫ですよ」
すると、彼は少々驚いたように眉をあげた。
「全然違うんですね」
「違うって何がですか?」
「珠美の妹さんだよね?」
思いがけない名前が彼の口から飛び出した。
「姉のお知り合いですか」
彼は小さくうなずいて、胸ポケットを探った。そして取り出した名刺入れを、迷った挙句、戻してしまった。名刺を渡すのは得策じゃない。そう思ったように見えた。
「志島と言います。珠美とは仕事関係の知り合いです」
その言葉には違和感があった。仕事絡みの知人なら、姉を呼び捨てにはしないだろう。私の中に、警戒心が生まれた。
「姉とはいつから?」
「もう五年くらいになるかな。最近は会ってないんだけどね」
だから、ここに来たのだろうか。
「もし、姉に会えると思って来られたなら、ご期待には応えられません。御用ぐらいはうかがいますけど」
「すごく素直なんですね。珠美に何か用かーって、怒ってるみたいな言い方される」
志島さんがくすくす笑うから、ほおがわずかに赤くなる。ばかにされた。そういうのはすぐわかる。
「珠美、元気ですか?」
黙っていると、彼はふとさみしげな表情をして、店の外へと視線を動かした。
まだ雨は降り続いているが、雨脚は弱まってきている。
「それを聞いてどうするんですか」
警戒心を隠せていない私に、彼はすぐに目を戻した。愉快げにこちらを眺める瞳は、やはりどこか切なそうに揺れている。
「久しぶりにね。久しぶりに、珠美を見かけた。あいかわらず綺麗でね。元気にやってるのかなって気になったんですよ」
「あいかわらずだとは思います」
妹に見せる姉の顔は、実は珠美のほんの一部でしかない。もしかしたら、志島さんの知る姉は、私が知る姉とは別人かもしれないが、彼はその返答で満足したようにうなずいた。
「週末は妹さんのお店を手伝ってるそうですね。あなたに会えば、何か変わるかなって期待もしたんですよ」
志島さんは口もとに笑みを浮かべると、カウンター上の壊れた貯金箱を手に取った。そこには、小さなポップが貼ってある。
「私は話を聞くぐらいしかできません」
「俺も聞いてもらおうかな。珠美との話」
彼は一話千円の文字を親指でなぞる。
「別れた男の話なんて聞きたくないでしょうけど、聞いてやってくれますか?」
「姉とお付き合いされてたんですか?」
「薄々気づいてたでしょう。それでも確認するなんて、やっぱりあなたは珠美と全然違う。誠実なんですね」
「仕事柄だと思います」
志島さんは微笑むと、財布から千円を取り出し、カウンターの上に乗せた。
「また来週の金曜日に来ます。今度はもう少し早い時間に来ますよ」
そう言い置いて、彼はお話やを出ていった。いつの間にか、雨はすっかり止んでいた。
