「先輩……」
「ん?」
春休みが終わって、寮に戻り三年生に上がった四月。
史苑は必ず夜、連絡をくれた。
彼に嫌われたくない一心で、どうでもいい話ばかりしていたのに、なぜかこの日、史苑に伝えたいと思った。
「先輩、俺、このまま生きてていいのかな」
電話の向こうで、史苑が一瞬、息を呑んだのが分かった。
今まで一度もこんな重い話をしたことはなかったのに。
すると、腕に鳥肌が立ちひんやりした気配を感じると、ハギモリマリアが傍らに立って、光希の首に両手を添えたのが分かった。
光希は助けて、と言いそうになるのを我慢した。
「光希、今すぐ君の所に飛んでいくよ」
「え?」
「俺の写真、持ってる?」
「……あ、はい」
「離れていても、俺がいつもそばにいると思ってくれていいから」
「うん……」
光希が頷くと、今度は目の前にハギモリマリアの顔が現れ、その顔は母の顔と重なって見えた。
ハギモリマリアが鋭い目で自分をギリギリと睨んでいる。
そんな中、史苑の優しい穏やかな声が耳に届いた。
「今、俺たちが生きているのは奇跡なんだって知っていた?」
「奇跡ですか?」
「人が生きている理由って、俺、考えた事があるんだ。宇宙とか不思議な事を考えるのも好きでね」
「はい」
「誰にだって一度や二度、いや、何回も自分はこのまま生きていていいのだろうかって考えると思うんだ。人って、目の前の猫が鳴いただけでもこの世からいなくなってしまおうか、と考える生き物なんだよ」
「……はい」
「だから、生きているのは奇跡なんだ」
「どうしてそう思ったんですか?」
「人間だけが生物の頂点にいるっていう考えをやめたら、俺たちはいつでもゲームセットできることを知ったんだ。生きることって、それくらい大変で苦しい事なんだ。でも、この世には苦しい事だけじゃない」
「先輩、俺の目の前にハギモリマリアがいつもいるんです。俺をあっちへ連れて行こうとしているみたい」
「光希に取り憑いているんだね。何となく怜とそうじゃないかなって話していたんだ。教えてくれてありがとう」
「俺が悪いのかな」
「君は何も悪くないよ」
史苑が真面目な口調で答えた。
「光希、今とてもしんどいかもしれないけど、君にはこれからもずっと奇跡を起こし続けていて欲しいんだ。奇跡を起こし続けていると、きっとハギモリマリアは君の事がまぶしくなって離れていくと思う。すぐにはいかないけど。しんどい時はすぐに俺に言って」
「うざくないですか?」
「うざいだなんて、そんな事思わない。むしろ、光希が可愛くって今すぐそばに飛んでいきたいくらいだ」
「ハギモリマリアは先輩と別れろってばかり言うんです」
「耳を貸さなくていいよ」
史苑の言葉にホッとすると、ハギモリマリアがすうっと消えてしまった。
そう言えば、だいぶハギモリマリアの姿に慣れて来たような気がする。
「いいことを教えてあげるよ。この世界は無数にあるんだ。俺たちが見ている世界は同じじゃない。一人ひとり別の世界に生きていて、俺と光希は今、交流をしていて、生きている世界は実は別なんだ」
何だか難しい話ですぐには理解できない。
「だから、辛くなったり悩んだ時は自分の世界に集中して、自分の中の平和を考えればいいよ」
「自分の中の平和ですか」
「うん。今、物理的に俺はそばにいてあげられないし光希の世界に飛んでいくことはできない。辛くなった時は、一度考えることをやめて、外部と遮断するんだ。繋がりを切ってしまって、一瞬でもいいから君の中の平和を考える。光希の平和はどんなものか分からないけど、雲の上で寝転んでいる君を思い浮かべてもいい。何もしなくていいから。明日も明後日も、君の声が聞きたい。俺にとって奇跡は君と出会えた事だから。この奇跡をずっと守りたいんだ」
自分のために一生懸命話をしてくれようとしている史苑を愛しく思った。
「先輩が好きなんです。会いたいです」
「俺も光希の事が好きだよ。君と一緒に住める部屋を借りたから、休みの日においで、約束だよ」
「はい」
「光希、今度からビデオ通話も利用しようか。君の顔を見ながら話がしたいから」
史苑と約束をして通話を切った。
光希は、肩をぱっぱと払うしぐさをしながら、亡霊なんかに負けないと思った。
先輩の言う、自分だけの平和を考える。
考える癖をつけた方がきっといい。
史苑の写真を取り出し、スマホで彼にメッセージを送った。
『先輩の写真、また新しいのを送ってください』
そう入れると、すぐに返信があった。
『いいよ』
と言って自撮りしたような写真が送られてきた。
お風呂に入って出たのだろうか、首にタオルをかけていて何となく頬が赤い。
ハギモリマリアだの母の事など、一瞬の間でも忘れる事が出来て、光希はほほ笑んだ。
一瞬一瞬を大事に生きていく。
それがこの先も生きていける奇跡なのかもしれない。
光希は今度は自分の写真を撮って、史苑に送った。
史苑からスタンプが送られてきて、光希はニコッと笑った。
終わり

