その好きは隠しておいてね

 このままじゃ史苑と同じ大学へ行く事は絶対に無理な気がした。
 勉強という言葉がのしかかるのと同時に、本当に先輩に会えなくなるという恐怖に駆られた。
 机には史苑が口をつけた炭酸飲料が置かれたままだった。
 それを手に取り、ペットボトルの口元を眺めてぼうっとする。それからハッと我に返った。
 何を考えているんだ、と口を噛んだ。よこしまな考えが史苑を穢しているようで、そんな自分に嫌気が差して泣きたくなった。
 ペットボトルをつかむとそのままゴミ箱へ放り込もうとした。
 できなかった。
 先輩が使った物一つでも愛しく思う。
 病気だ。こんな気持ちでそばにいたら、先輩に嫌われる。
 光希は急いでペットボトルをゴミ箱へ放り込んだ。
 このペットボトルをいつまでも置いていたら、史苑がいぶかしく思うに決まっている。
 ゴミ箱に放り込まれたペットボトルから目を逸らしたが、史苑が口をつけたペットボトルを思い切り捨てた自分の傲慢さに涙が出た。

 何様だよ。好きな人に対して、どうしてこんなひどいことができるんだ。
 すぐにゴミ箱からペットボトルを取り出して胸に抱く。涙がぽろぽろと流れ始めた。
 ごしごしとこするのに止まらなくて困ってしまった。甲斐が戻ってきたらヤバイと思うのに動けない。その時、ドアをノックする音がした。慌てて頬をこすって涙を拭いた。
 甲斐はノックなどしない。誰か来たのだと思い、光希は居留守を使おうと思った。隠れようとする前にドアが開いた。

「光希、言い忘れたことがあって……」

 史苑の声がして、光希を見て驚いた顔になる。光希の手からペットボトルが落ちて床を転がった。バタンとドアが閉まり、史苑がそっと入ってきた。

「何で泣いているんだ……?」
「あの、これは……」

 泣いてないという言い訳はできそうにない。史苑は上げた腕を下ろした。

「もしかして俺のせいで泣いてる?」
「え?」
「最近、光希の様子が少しおかしいから、気になってたんだ」

 そんな事ないですと言おうとして目をこすった。もう隠せない。
 光希は史苑をちゃんと見た。

「先輩……」
「うん」
「俺、ずっと隠していた事があるんです。本当は先輩が卒業するまで言うつもりなかったんですけど」
「何? 全然、想像もつかないんだけど……」

 史苑が困った顔をしている。そんな顔をしている姿も初めて見た。光希はくしゃっと顔を歪ませるとまた、泣きそうになった。
 言うつもりなんてなかったのに。
 まさか、ここにきて急に終わってしまうなんて。

「ごめんなさい……」
「……え?」
「先輩の事、ずっと好きでした。ルール違反ですよね。でも俺、最初からルールなんて守ってなかったんです。だから、辛くて……。騙していて、すみませんでした……」

 ぽたぽたと涙が床に落ちていく。
 史苑は何も言わなかった。目の前で立っている史苑の顔を見ることができない。

「いつから?」
「え?」
「俺を好きっていつからなの?」

 光希は手の甲で涙を拭くと、少し深呼吸して息を整えた。
 打ち明けたら少しだけ楽になった気がする。今なら全部打ち明けられると思う。

「最初です。史苑先輩を初めて見た時から……。みんなと同じですよね。だから、先輩に知られないようにずっと隠していました。だから、俺を怒ってもいいですよ」
「どうしてもっと早く……」
「え?」
「いや、違う。ごめん。光希は何も悪くないよ。俺が言わせないようにしてたんだよな」
「先輩は何も悪くないですよ」

 そう言ったとたん、また泣きそうになった。

「先輩、本当にごめんなさい。俺、もうこれ以上、先輩のそばにいるの辛いです……。だからもう……ここには来ないでください」
「どうして? 俺が好きなんだろ?」
「好きだからですよ。だって、先輩は俺の事好きじゃないでしょ」
「どうしてそう決めるんだ」

 史苑が怒ったように言うので、光希は面食らった。

「だ、だって、怜先輩が好きなんじゃ」
「いつ俺が怜を好きって言ったんだ?」
「違うんですか? え、じゃあ、俺の知らない人……」

 光希は本気で困惑した。てっきり同じ部屋の怜のことが好きなのだと思っていた。

「光希」

 いつもより低い声で史苑が言った。光希は怒られるんだと思ってぎゅっと目をつむった。しかし、史苑は怒りもせず、光希の手をそっと取った。ドキッとして目を上げると真剣な顔でこちらを見ていた。

「俺の方が先に告白するつもりだったんだけど、後になってごめん」
「へ?」

 告白って何、と思う。大学はどこへ行くか知っているし、心当たりはもう何もない。

「先輩は謝らないでください」

 笑ってさよならできたら、それでいいと思って無理に笑う。笑おうとすると泣きたくなるから困ってしまった。

「まだ、俺は告白していない」

 史苑がむっつりした顔でいる。

「はあ……。どうぞ」

 やっぱり史苑を怒らせたようだ。それより手を握られたままだった。

「俺も光希を好きだって言ったら、信じてくれるか?」
「先輩が俺を好き?」

 光希は首を傾げた。史苑は、はあっと大きく息を吐きだした。

「自業自得だと怜に言われた。二年の時、寮で初めて光希を見てから、いいなと思ったから声をかけたんだ。もし、最初に戻れるならあの時の俺を殴りたい。俺は本当に高飛車で高慢だった」
「そんな事ないですよ……」
「まだ、信じてないだろ」

 史苑が恨めしそうな顔をしている。

「信じてますよ。だって、俺に決めたのはそれが理由でしょ」
「それってどういう意味?」
「えっと、俺だったらまわりが納得する? 顔が能面みたいで何考えてるか分からないから、選ばれたと思ってましたけど」

 言いながら、自分って一体何なんだ、と思った。そんなに冷たそうな人間なんだろうか。

「光希」
「はい」

 とにかく史苑は怒っていないようだった。

「どう言えば伝わるんだろ……」

 史苑が困ったような顔になる。

「あの……。俺が好きになっても先輩は迷惑じゃないんですか?」
「嬉しいに決まってる」
「そうですか」

 自分の気持ちが伝わってよかった。

「ありがとうございます」
「光希、俺も好きだって言ってるの理解してる?」

 光希はキョトンとした。

「え?」
「だから、両想いなの。今」
「今?」

 えっ? え? と史苑を前にして目を見開いた。

「先輩、俺が好きなんですか?」
「さっきからそう言ってる」
「嘘……」

 驚きのあまり、手で口を押さえようとしても史苑が両手を握っていて離してくれなかった。

「先輩、手、放して」
「嫌だ」

 史苑はそう言いながらも手を離すと光希をぎゅっと抱きしめた。抱きすくめられて息ができなくなる。
 嘘じゃないよ、と史苑が少し悲しそうに言った。

「ごめん。謝らないといけないのは俺だ」

 ぎゅっと強く抱きしめられる。光希は恐る恐る史苑の背中のシャツをつかんだ。

「俺の……本当の恋人になってくれる?」

 史苑が自信なさげに呟いた。はい、と光希は小さく答えた。

「……お願いします」
「うん……」
「先輩、あの……」
「ん?」

 史苑の声が甘い。
 光希はぞくっとして体を少し離した。