美形有能弁護士はかわいい人気モデルに飼い慣らされる

重たい暗藍色のカーテンの僅かな隙間から、薄青い朝の光が寝室に射し込み、フローリングの床の一部を明るく切り取っている。
 
葵は2人分の熱の籠った布団の中で、薄ぼんやりと目を開いた。

隣で寝ている恋人の蓮の規則正しい寝息を聞きながら、葵は小さくあくびをすると、蓮の顔をまじまじと見つめる。

優秀な弁護士として難解な案件を捌く時の理知的な表情は、今はどこにもない。

端正な男らしさの中に、甘さと幼さを感じさせる蓮の寝顔を見ながら、葵は小さく「よし」と呟くと、布団の暖かさを惜しむ様に静かに抜け出した。

床の冷たさが、裸足の足から全身に伝わり、思わず身震いする。

「さむ…」

葵はサイドテーブルにくしゃりと丸めて置いてある厚手のカーディガンを羽織ると、昨夜脱ぎ捨てたスリッパの行方を探しあて、キッチンへと向かう。

​「……スクランブルエッグ…サンドにするか。」
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キッチンには、昨日の夜のホットチョコレートの甘い香りがまだ残っている。

葵は操作パネルに触れると、小ぶりのフライパンをトッププレートに置き火力を調整し、冷蔵庫から卵4つと個包装のバターを2つ取り出した。
 
落としたバターがジュワッと熱に融け、芳醇な乳の香りがふわりと膨らむ。

そこへ解いた卵を流し入れると、フライパンの中で鮮やかな黄色の花が咲く。
ゴムベラで手早く卵をかき混ぜ、塩と胡椒と少しの砂糖で味を整える。

それを軽く焼いたパンに挟み、包丁を入れる。サクッ、という鼓膜に心地よい音が響いた。

断面から溢れ出す白い湯気をぼんやり見つめていると、背後から抱きしめられた。

蓮の掠れた低い声が耳元で響く。

「いないと思ったら、朝ご飯作ってくれてたのか。ありがと。」

そう言うと蓮は、大きな掌を葵のパジャマの裾からするりと滑り込ませ、直接、彼の柔らかな素肌を捉えた。

​「……っ!おい、蓮、手、冷たいってば。」
​ 
明け方の冷気にさらされていた蓮の指先はひんやりとしていて、葵の熱を孕んだ腹部をなぞるたび、皮膚が小さく粟立つ。

けれど、葵はその冷たさを拒まず、そのまま背中を蓮の胸に預けた。

​「朝ご飯にし…」

言いかけた唇は、すぐに温かくて柔らかな熱によって塞がれた。

「…んっ……」

深い熱を伴う、長いキス。
蓮の舌が入り込み、葵の口内を深く探る。

肌を撫でる指先の凍えるような温度と、口内を焦がすような熱。二つの温度が葵の意識を占め、手元の皿を落としそうになる。

​「……朝から、元気だな。」

「元気だよ。今から3ラウンドくらい、余裕でいける。」
​ 
蓮は唇の端を上げ低い声でそう断言すると、葵の腰を抱き寄せ、本格的に葵を組み伏せようと重心を移した。

薄いスウェット越しに、蓮の熱く硬いモノが、葵の太ももに押し当てられる。

その直接的な反応に、葵は思わず吹き出した。

​「蓮、ダメ。仕事遅れるぞ。」

​葵が笑いながら嗜めると、蓮は葵の肩に顔を埋め、不服そうに言葉にならない唸り声を上げた。

「……夜まで、待てない?」

葵が首を傾げて覗き込むと、蓮は眉間に皺を寄せ、太ももに押し当てていた熱を名残惜しそうに離した。

​「分かった。我慢する。」
​ 
​渋々ダイニングチェアに座った蓮は、葵の手を軽く引っ張り、その膝に彼を座らせた。

「蓮、これじゃ食べにくい。」

葵の小さな抗議を無視して背中を包み込む様に抱きしめると、肩口に顎を乗せて口をパカッと開いた。

「食べさせて。」

「もう…本当に遅刻するってば。」

そう言いながらも葵は、卵サンドを蓮の口へと運び、自らも同じサンドイッチを口にする。

バターの風味が混じり合う、温かく柔らかなパン。

その一片を噛み締めた瞬間、葵の意識は、過去という冷たく濁った水底へと静かに潜っていった。
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​18歳の葵は自室のベッドの端で、手元の白い食パンを見つめている。スーパーの隅で、半額シールが貼られていたものだ。

指先で小さくちぎり、口に含む。パサパサとした塊が舌の上で水分を吸い、ひどく重くなる。

飲み込むことができず、コップに汲んだ水道水で流し込んだ。喉を引っ掻くような硬い痛みと味気なさが、当時の葵のすべてだった。

モデルとして夢の世界へと歩み始めたばかりの頃。葵が未来を信じて踏み入れたその場所で、あの日、すべてが壊れた。

マネージャーに「大事な顔合わせだ」と押し込まれた高級ホテルのスイートルーム。

そこには卑俗な期待を隠さない男の視線が葵を射抜いた。

「失礼のないようにな。葵の将来がかかってるんだから。」
 
そう言い残すとマネージャーは静かに部屋の外に出ていった。

​「葵くん。綺麗な顔をしてるね。写真よりずっといい。」
​ 
男の脂ぎった掌が、葵の太腿を這い上がってくる。拒絶を無視して、その手はズボンの隙間から中に滑り込んだ。

執拗に肌を弄り、ズボンのジッパーに指をかけ、服を剥ぎ取ろうとする。首筋に押し当てられる湿った唇の生々しい不快感に、葵は吐き気を堪え、無我夢中で男の胸を突き飛ばす。

テーブルの上のグラスが倒れて割れる音を背に、葵は裸足に近い状態で夜の闇へと飛び出した。

翌日、葵の手元に残ったのは、不祥事を理由にした即時解雇通知と、到底払いきれない数百万の違約金の督促状。
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モデルという、葵の夢だった仕事は一夜にして消え去り、多額の借金をかかえ、辿り着いたのは慣れない居酒屋での長時間のアルバイトだった。
 
仕事帰りの客で賑わう夕方の店内。
葵は大きな体を不自然に折り曲げ、一心不乱にビールや料理を運んでいた。

ふと、鋭い視線を感じて顔を上げる。

店内の端にいる数人の客と共にテーブルを囲んでいながら、一人だけ場違いな程に静かに座っている男と目が合った。

男の顔を見て葵は、同性であるにも関わらず、その端正な顔立ちと色気に一瞬だけ呼吸を忘れる。

男は葵と目が合うと、慌てて目を反らした。

しかしその後も、明らかに男は葵を目で追っているのだ。
チラリとその顔を盗み見ると、葵を見る男の目は驚くほど純粋で、ひりつく様な熱を帯びていた。

「すみません!こっち、注文お願い!」

男と同席している男性が、葵に手招きをした。
慌てて注文を取りに行く。

「生中2つと砂肝と…」

注文書を埋める間も、葵を見つめる男の視線が痛い。

「おい、瑞野、お前、生中おかわりは?」

「えっ!あ、は、はい!」

"瑞野"と呼ばれた男は、慌てて葵から目を反らすと、小さな声で「同じので」と言い、そのまま下を向いてしまった。
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それから、瑞野という男を、毎日店で見かけるようになった。

決まって一番端のカウンターに座り、そこから葵をじっとりと見つめているのだ。

そんな日が1ヶ月くらい続いたある日、葵がバイトを終えて店を出ると、店の裏口にある街灯の下に、その男、瑞野が立っていた。
いつもは椅子に座っていて分からなかったが、モデルである葵よりも長身だった。

「……あの。こんな所で待ち伏せして、すみません。もしよろしければ、食事に行きませんか?もちろんご馳走させて下さい。」

男は穏やかに、けれど静かな口調で言った。
葵は断る理由が思いつかなかったことに加え、瑞野に少しの興味が湧いていたので、2つ返事で承諾した。

連れて行かれたのはフレンチレストランだった。男はテーブル越しに葵をまじまじと見つめる。

「私は、瑞野蓮といいます。今日はありがとうございます。ずっとお話してみたくて、思いきって声を掛けてしまいました。」

「いえ、こちらこそ…ありがとうございます。あ、俺、葵っていいます。」

しばしの沈黙が流れる間にも、瑞野は葵を熱い目線で見つめているのだった。

気づけば瑞野との食事が、冷え切った日常の唯一の灯りになっていた。そんなある日のこと。

「葵さんて、本当にスタイルいいですよね。お顔もすごく整ってて綺麗だし。モデルさんみたいですね。」

瑞野は耳を赤く染めて、恥ずかしそうにそう言うと下を向いた。

「モデルみたい」
その言葉に、葵は胸がチクリと痛んだ。

「実は、少し前までは、モデルしてました。色々あって、辞めさせられちゃったんですが…。」

​葵の言葉に瑞野は「そうですか。」と言うと、気まずそうに窓の外を見た。

沈黙の中、これまでの瑞野の穏やかな態度に、葵はどうしようもなく、自分に起きた不当な扱いについての話を全部聞いて欲しいという気持ちになり、気がついた時には言葉が堰を切っていた。

枕営業を強制されたこと。ぎりぎりの所で逃げたこと。それがきっかけで仕事を辞めさせられ、多額の借金を背負っていること。

​葵の話を最後まで静かに聞いていた瑞野は、組んでいた指をほどき、葵の手を優しく包み込んだ。

「……葵さん。その違約金、一円も払う必要はありません。」

​瑞野の瞳に、静かな、けれど逃げ場のないほど鋭い光が宿る。

​「私、実は弁護士なんです。明日から私があなたの代理人になって、その不当な請求、すべて白紙に戻します」

​数週間後、瑞野の鮮やかな手腕によって、不当な督促はすべて消滅した。
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​バターの風味が残る口内。葵はふと我に返り、背後から自分を抱きしめる蓮の温もりを確かめるように、その腕に手を重ねた。

​「……瑞野蓮さん。あの時、俺を見つけてくれて、ありがとう。」

その言葉に、蓮は虚をつかれた様に葵を見つめる。

「どうしたんだよ急に。何でフルネーム?」

「ん?蓮と出会った時のこと、ちょっと思い出しちゃってさ。」

「今?遅刻するからお預けとか言ってたくせに?」

蓮は不満げに卵サンドを噛る。

「今夜借りは全部返すから、期待してて。」

​葵の少し生意気で挑戦的なセリフに、蓮は「お、おぉ……分かった」と短く応じ、動揺を隠すように残りのサンドイッチを口に放り込んだ。

「……なんか調子狂うな。片付けは俺がやる。お前は早く着替えてこい。」

​ぶっきらぼうに言って食器を洗い始めた蓮の耳の付け根が、出会ったあの日のように赤くなっているのを、葵は見逃さなかった。

優秀な弁護士も、葵の前では未だに一目惚れした時の熱を隠しきれないらしい。

​葵はクスクスと笑いながら、キッチンを去り際に蓮の広い背中に指先で小さく触れた。

「蓮。大好きだよ。」

​背中越しに「……いいから、早く行け」と、照れくさそうな声が返ってきた。