はなのゆめ

「花弁が付いているよ」

 え、と于子は指先で髪を探る。「もう少し上」と太郎君が言う。けれども場所の見当がまったく外れているようで、花びらは一向に捕まらない。

「あ……あの、さっき、桜の木の近くを通ったのです。だから、きっとそのときに。やはり桜は綺麗ですね、咲いたばかりなのに、もう散っている花びらがあったのです。だから、よのなかにたえてさくらのなかりせばって、」

「上に行き過ぎだ。……失礼」

 え、と于子は息を呑んだ。衣擦れの音とともに二藍色の直衣に景色が遮られ、伽羅が鼻のすぐそばで強く香る。胸の中、隅から隅までを満たした貴い香りに眩暈がして、息が、

 ――息が、止まってしまう。

 手が固く強張って、知らず知らずのうちに衣をきつく握りしめていた。そうして、耳元をくすぐるように髪が揺れて、自分のものではない熱を、薄い膜のような何かの向こう側に感じた。

「はい、取れた」

 衣擦れの音。そうして景色が戻り、伽羅が薄れ、于子ははあと息を吐く。頬のあたりがひどく熱くて、それにうろたえていると、声を上げて太郎君が笑った。

「あ……あのっ、申し訳ございませんっ、ありがとうございますっ」

 慌ててお礼を述べるけれども、なおも太郎君は笑っている。うつむき、失礼いたしますと辛うじて言葉を残し、滑るように踵を返した。けれどもまた、背中に声が掛かった。

「春の心はのどけからまし……」

  よのなかにたえてさくらのなかりせば
  はるのこころはのどけからまし

 咄嗟に口をついて出た名高い歌。当然、太郎君は知っている。まだ熱い頬を両手で押さえ、おそるおそる振り返ると、視線の先のひとは于子の髪から掬い取った花びらを見つめ、手のひらにそっと握り込む。

「花が散ってしまうのはやはり惜しいね。だけども惜しまれながら散って……その上愛らしいひとのもとに舞い降りるなんて。私はお前が羨ましいな」

 声にならない悲鳴のようなものが口から出て、于子は慌てて口を覆う。こちらに向き直った公達の柔らかな眼差しに捉えられると、足に根が張ったように動けなくなった。どくどくと、身体の隅から隅までを、血が駆け抜ける音がする。