「優しい嘘で、私は振られた」

次の日。

 教室のドアを開けた瞬間、視線が一つ、まっすぐこっちに向いた。

 ――また。

 気づかないふりをして、自分の席に向かう。

 鞄を置いて、椅子を引く。

 いつもと同じ動き。
 いつもと同じ朝。

 でも。

「おはよ」

 横から、声。

 顔を上げると、すぐ近くに彼がいた。

 昨日と同じ距離。
 いや、昨日より少し近い。

「……おはよ」

 短く返す。

 それだけで終わらせようとしたのに。

「それだけ?」

 彼が言った。

「は?」

「いつももっとなんかあるじゃん。“眠そうだね”とかさ」

「……今日はない」

「なんで」

「別に」

 会話を切るように、視線を落とす。

 ノートを開いて、ペンを持つ。

 これ以上話す気はない、って態度をわざと見せる。

「……ふーん」

 少しだけ間があって。

 彼は何も言わずに、自分の席に戻っていった。

 その背中を見ないように、私はずっとノートを見つめていた。

 ――徹底する。

 中途半端はダメだ。

 少しでも優しくしたら、また同じになる。

 期待して、勝手に傷ついて。

 そんなの、もう嫌だ。

 だから。

 距離を取る。

 話さない。

 関わらない。

 それが、今の私にできる一番の選択。

 授業中。

 ふと顔を上げたとき、視線がぶつかった。

 彼と。

 すぐに逸らす。

 それだけ。

 それだけのはずなのに。

 なぜか、向こうは逸らさなかった。

 じっと、こっちを見てくる。

 ……なに。

 意味が分からない。

 前は、こんなことなかったのに。

 見られてるだけで、落ち着かない。

 気にしないように、ノートに目を落とす。

 でも。

 数秒後、また顔を上げると、やっぱりまだ見ていた。

 ――なんで。

 休み時間。

 女子たちの声が、少しだけ耳に入る。

「ねぇ、なんかさ」

「うん?」

「あの二人、ちょっと変じゃない?」

 ドクン、と心臓が鳴る。

 聞かないふりをする。

「前もっと普通に喋ってなかった?」

「ねー。最近なんか距離あるよね」

「ケンカしたとか?」

「えー、あの二人が?」

 ……やめて。

 これ以上、何も言わないで。

 知られたくない。

 あの告白も、あのやり取りも。

 全部。

「……」

 ペンを握る手に、力が入る。

 大丈夫。

 何も起きてない。

 そういうことにするんだから。

 放課後。

 今日は寄り道せずに、まっすぐ帰ろうと思っていた。

 鞄を持って立ち上がる。

 教室を出ようとした、そのとき。

「ちょっと待て」

 腕を、掴まれた。

「……っ」

 反射的に振り返る。

 彼だった。

 少しだけ息が上がっている。

 急いできたみたいに。

「……なに」

「話ある」

「ない」

 即答する。

「あるから言ってんだけど」

「私はない」

 そのまま腕を振りほどこうとする。

 でも、離れない。

「……なんでそんな避けんの」

 低い声。

 昨日よりも、少しだけ強い。

「避けてない」

「避けてるだろ」

「気のせい」

「気のせいじゃねーよ」

 食い下がる。

 離さない。

 周りの視線が少しだけ集まっているのが分かる。

 ……やめて。

 こんなところで。

「……離して」

「理由言えって」

「だから、ないって」

「じゃあなんで」

「――」

 言葉が詰まる。

 言えるわけない。

 “昨日あなたに振られたからです”なんて。

 この世界の彼には、何の意味もない言葉。

「……もういい」

 小さく呟いて、私は強く腕を引いた。

 今度は、離れた。

 そのまま一歩、距離を取る。

「ほんとに、なんでもないから」

 それだけ言って、背を向ける。

「おい――」

 呼ばれたけど、止まらない。

 止まったら、また何かが崩れそうだから。

 校門を出て、しばらく歩いたところで。

 足が止まった。

「……なんで」

 ぽつりと、呟く。

 どうして、追いかけてくるの。

 どうして、そんな顔するの。

 あのときは。

 笑ったくせに。

 どうでもよさそうに、終わらせたくせに。

「……意味わかんない」

 胸が、ざわざわする。

 嬉しいとか、そういうのじゃない。

 ただ、分からない。

 理解できない。

 だから、怖い。

 家に帰って、ベッドに倒れ込む。

 天井を見つめながら、深く息を吐いた。

「……もう、関わらない」

 改めて、決める。

 今日で分かった。

 中途半端に避けるだけじゃダメだ。

 ちゃんと、線を引かないと。

 期待させない。

 自分も、期待しない。

 そのためには――

 もっと、冷たくしないと。

 スマホが震える。

 画面を見る。

 ――彼から。

 一瞬、指が止まる。

 でも。

 そのまま、画面を閉じた。

 見ない。

 見たら、揺らぐから。

 ベッドの上で、目を閉じる。

 あのときの光景が、浮かぶ。

 屋上。

 夕焼け。

 笑われた瞬間。

 全部。

「……二度と」

 小さく、呟く。

「好きにならない」

 自分に言い聞かせるように。

 何度も、何度も。

 でも。

 その決意とは裏腹に。

 彼の中で、確実に何かが変わり始めていることを――

 私は、まだ知らない。