「優しい嘘で、私は振られた」

――今日、言うって決めた。

 何度も何度も、心の中で繰り返してきた言葉を、ようやく口にする日が来た。

 放課後。
 教室に残る人はもうほとんどいない。夕焼けが差し込む窓際で、私は一人、スマホを握りしめていた。

 画面には、たった一行のメッセージ。

『今、ちょっといい? 屋上来てほしい』

 送信ボタンを押すだけなのに、指が動かない。

 ――怖い。

 でも、ここで逃げたら、きっと一生後悔する。

 ぎゅっと目を閉じて、私はそのまま送信した。

 数秒後。

『なに? 珍し』

 すぐに返ってきた、軽い一言。

 それだけなのに、胸がきゅっと締めつけられる。

 ああ、やっぱりこの人は、いつも通りだ。

 私は深く息を吸って、立ち上がった。

 屋上は、少しだけ風が強かった。

 フェンス越しに見える街は、オレンジ色に染まっていて、どこか現実感がない。

 ――ここで言う。

 逃げない。

 そう自分に言い聞かせていると、扉がガタン、と音を立てた。

「で? なに急に呼び出してんの」

 振り返る。

 そこにいたのは、いつも通りの彼。

 無造作な髪に、気だるそうな目。
 ポケットに手を突っ込んで、面倒くさそうに歩いてくる。

 それでも。

 それでも私は、この人が好きだった。

「……あのさ」

 声が震える。

 やめたい。逃げたい。帰りたい。

 全部、全部思うのに。

 それでも私は、口を開いた。

「ずっと、前から……」

 彼は、少し首をかしげる。

「なに、改まって」

 軽い口調。
 いつも通りの、からかうような声音。

 ――それでもいい。

 ちゃんと、伝える。

「好き、です」

 言った。

 言ってしまった。

 時間が止まったみたいに、静かになる。

 風の音だけが、やけに大きく聞こえた。

 彼は、一瞬だけ、目を見開いた。

 ほんの一瞬だけ。

 でもすぐに――

「……は?」

 小さく、そう漏らしたあと。

 くしゃっと、笑った。

「なにそれ」

 ――え。

「冗談だろ?」

 軽く、笑いながら。

 まるで、どうでもいいことみたいに。

「そういうノリ、やめろって」

 ……ああ。

 終わった。

 理解するより先に、胸の奥が冷たくなる。

「いや、俺そういうの無理だから」

 続けられる言葉。

 一つ一つが、ちゃんと刺さる。

「てか、お前さ――」

 そこから先は、あまり覚えていない。

 何か言われていた気がするけど、音としてしか聞こえなかった。

 ただ、分かっているのは一つだけ。

 私は、本気にされなかった。

 それだけ。

「……そっか」

 自分でも驚くくらい、普通の声が出た。

「ごめん。忘れて」

 笑えたかどうかは分からない。

 でも、そう言って、私は背を向けた。

「おい、ちょ――」

 何か呼ばれた気がしたけど、振り返らなかった。

 階段を降りながら、やっと実感が追いついてくる。

 ――ああ、振られたんだ。

 いや、それ以前に。

 最初から、恋ですらなかったのかもしれない。

 ただ、私が一方的に好きだっただけ。

 それを、軽く笑われただけ。

 それだけのこと。

 なのに。

 なんでこんなに、苦しいんだろう。

 喉が痛い。息がうまくできない。

 涙が出そうになるのを、必死にこらえる。

 こんなところ、誰にも見られたくない。

 早く帰ろう。

 何もかも、なかったことにしよう。

 好きだった気持ちも、全部。

 ――でも。

 最後に一つだけ、思ってしまった。

 もし。

 もし、あのとき。

 違う言い方をしていたら。

 もっと、ちゃんと伝えられていたら。

 結果は、変わっていたのかな。

 なんて。

 そんなの、意味ないのに。

 家に帰って、ベッドに倒れ込む。

 制服のまま、動けない。

 スマホが震えた。

 画面を見る。

 ――彼からだ。

 一瞬だけ、期待してしまった自分がいた。

 でも。

『さっきのマジ?』

 その一言で、全部消えた。

 ……やっぱり、そうなんだ。

 本気にされてなかった。

 返信はしなかった。

 できなかった。

 そのまま、スマホの電源を落とす。

 もういい。

 終わったんだから。

 全部、終わった。

 そう思って、目を閉じた。

 はずなのに。

 ――目を開けると。

 そこは、見慣れた教室だった。

 朝の光。ざわざわした声。
 いつもと同じ、何気ない日常。

 ……え?

 体を起こす。

 机の上には、見覚えのあるノート。

 日付を見る。

 ――告白する前の日。

「……は?」

 思わず声が出た。

 心臓が、ドクンと大きく鳴る。

 夢?
 いや、違う。

 あまりにも、リアルすぎる。

 手のひら。感触。音。匂い。

 全部、本物だ。

 ゆっくりと、教室を見渡す。

 そこに――

「……おはよ」

 何事もなかったみたいに、彼がいた。

 あのときと同じ顔で。

 同じ距離で。

 同じ声で。

 ――まだ、何も起きていない世界で。

 息が詰まる。

 頭が追いつかない。

 でも。

 一つだけ、分かることがあった。

 私は今、あの告白をする前に戻っている。

 つまり――

 やり直せる。

「……」

 ぎゅっと、拳を握る。

 あの痛みを、思い出す。

 笑われたあの瞬間を。

 全部、全部。

 もう二度と、味わいたくない。

 だったら――

 答えは一つだ。

 私は、静かに目を伏せた。

 そして。

 決めた。

 ――もう、好きにならない。

 絶対に。