「王妃様はこちらへ。別邸をご用意しておりますので」
結婚式──ではなく、契約が終わってルシアン様がリリィ様と退室してすぐ、ルシアン様の傍で控えていた側近がにこやかな笑顔で声をかけてきた。
そう、にこやか。だけど、その奥にある意図は明白だわ。
──目障りだから、離れていろ。
ってことよね?
まったく、分かりやすいこと。
馬車に揺られながら先ほどのことを思い出して、私は小さく笑った。
王妃でありながら、城にすら居場所がない。
普通なら屈辱だろう。
けれど、私にとってはむしろ好都合ね。
干渉されないということは、自由に動けるということ。
仕事はどこにいてもできるでしょうし。
それに────あの城の空気は、少し息苦しかった。
番。番。番。
そればかりが渦巻く場所。
番至上主義の獣人の国らしい空気感。
私には、合わない。
「ここです」
城から少し離れた場所にある大きな屋敷。
私に与えられた別邸は、思っていたよりも広かった。
けれど────。
「使用人は最低限となっております」
迎えに出てくれた執事の早速の言葉に、少しだけ笑いそうになる。
最低限、ね。
見たところ、最低限というか、最低限以下の数人の使用人がいるだけ。
しかもその視線は、町や城内の反応と同じで、明らかに歓迎とは程遠い。
まあ、いい。
人の顔と名前を覚えるの苦手だし。少人数の方が気が楽だわ。
「こちらになります。何かあれば、ベルでお呼び出し下さい」
私の部屋に案内するだけしてから、執事はそそくさと去って行ってしまった。
そんなに私といるのが嫌か。
昔は動物が好きだからという理由で獣耳やしっぽのある獣人族にあこがれた時期があったけれど、なんだか嫌いになりそうだわ、動物。
「はぁ……」
広い部屋に、私一人。──いいえ、違うわね。
迎えに出てくれた人たちの中から一人だけ、執事と私に付いて来ていた人物──。
「……あなたは?」
「護衛騎士、カイルと申します」
振り返ると、一人の男性が壁際に立って腕を胸に当て、敬意を示す。
獣耳や尻尾がない。……この国では珍しい、同胞《人間》。
「王妃殿下の身辺警護を務めさせていただきます」
無駄がない簡潔的な挨拶だけれど、この国に入って初めて敵意が感じられない。
……この人は……。
カイルと名乗った護衛騎士に、なんだかとても興味が湧いた。
感情を表に出さない。
敵意も感じられない。
だけどその奥にあるものは────私じゃない誰かへの、冷たい怒り。
獣人に対してか。
それとも、この国そのものにか。
何にしても、敵じゃなさそうでよかったわ。
「よろしくお願いするわね、カイル。私のことは王妃殿下じゃなく、クリスティと呼んで」
私はそう言ってにっこりと微笑んだ。
この国に入ると同時に付き添いの侍女は国に残らされた。
もうここには、私をただのクリスティと呼んでくれる人はいない。
自分の名前を呼ぶ人間がいないと、いずれ自分の名前がわからなくなりそうで怖かった。
「はい。……クリスティ、様」
短い返事と共に、戸惑ったように遠慮しがちに呼ばれる、私の名前。
うん、悪くない。
この静けさ、この距離感。落ち着き。
あの城よりもずっと心地いい。
窓の外に目を向けると、見知らぬ景色が広がっている。
けれど、その漆黒に煌めく星空はマルボロで見た景色と同じで、私はゆっくりと息を吸った。
大丈夫。
どうにか、やっていけるわ。
「精いっぱい、楽しみましょう」
誰に聞かせるでもなく、私は空を見上げながらつぶやいた。
愛されない王妃。
番ではない”偽物”の妻。
えぇえぇ、それでも結構。
こちらはせいぜい好きに生きさせてもらうわ。
その方がずっと────面白い。



