「クリスティ……まさか……お前が……おれの?」
その言葉とともに、彼が一歩、こちらへ近づこうとする。
え?
俺の?
いや、いやいやいや、まさか、そんなわけ……え、本当に?
「この香り、あぁそうだ、間違いない!!」
興奮したようにそうぶつぶつと口にするルシアン様に、私の中に冷たいものが落ちる。
そして────。
「契約を、忘れましたの?」
ぴしゃり、と、自分でも驚くほど冷たい声が出た。
私のその声に、私の方に歩みを進めるルシアン様の足が止まった。
私は距離を保ったまま、さらに言葉を重ねる。
一つ。
「近づかない」
二つ。
「触れない」
三つ。
「関係を持たない」
ゆっくりと、正確に、誤解など一切残さないように。
「全部、あなたが望んだことですよ?」
その言葉に、ルシアン様の表情が、はっきりと歪んだ。
後悔か、混乱かわからない。けれど──……。
そんなものは、もう私の知るところではない。
「違う……。違う、あれは……っ」
「違いませんわ」
すぐにその希望を断ち切る。
一歩たりとも踏み込ませないように。
だってそうでしょう?
された扱いは、言われた言葉は、消えないんですもの。
結婚よりも先に結ぶことになった、あの妻への侮辱以外の何ものでもない、破られない契約も。
そして私は、ほんのわずかに首を傾げた。
「ねえ、陛下」
出てきたのは、自分でも不思議なくらい、穏やかな声。
「“番”って──何だったのでしょうね?」
「っ……!!」
問いかけた瞬間、胸の奥にあった何かが、静かにほどけた気がした。
そして私は、ルシアン様に背を向けて歩き出す。
与えられた、”別邸”という名の私の城へ戻るために。
次の瞬間──。
「うぁぁあぁああああああああ!!」
空を裂くような咆哮が町中に響き渡った。
ルシアン様の叫びだ。
悲痛で、どうしようもなく取り返しのつかないものを失った者の声。
けれど私はそれを背に、ただ静かにそれを聞いていた。
私が振り返ることは、絶対にない。
だって私は、守っているだけだもの。3つの破れぬ契約を。
その3つの契約を課したのは、あなたですよね? ──ルシアン様。



