3つの契約を課したのはあなたですよね?


 衝突音と共に近づいてくる、悲鳴や怒号。
 そして、獣の低い唸り声。

 「来ましたね……」
 カイルの声が低くなって、すぐに剣に手をかける。
 けれど私は、それを制するように一歩前へ出る。

 「待って」

 喧騒に近づくと、すぐに私に気づいて人垣が割れる。
 その中心にいたのは――一人の獣人だった。

 狼の耳と尾を持つ青年。
 その目は完全に焦点を失っていて、荒い呼吸を繰り返している。
 そしてなんといっても、周囲に向けられるその殺気は異常なものだった。

 「番衝動の暴走だ……!!」
 「近づくな!! 噛み殺されるぞ!!」

 誰かが叫んだのを皮切りに逃げ惑う人々。
 けれど、その中心で暴れる獣人は止まらない。

 「……ああ、なるほど」

 これは“発作の暴走”だ。
 番を求める本能が暴走し、理性を焼き尽くしている状態。
 未熟な青年期の発情期に起こりやすいらしく、だれかれ構わず噛み殺してしまうという。

 「いつも、こうなの?」
 「頻繁ではありませんが……この時期は、珍しくもありません」
 カイルの声が重く響く。

 「鎮めるには力で抑え込むか、番を連れて来るしか……」

 番。
 普通でも見つけるのは困難だという存在なのに、都合よくこの場に現れるはずがない。
 だからこそ、暴走は“災害”になる、というわけか。

 「なるほどね」
 そう小さくつぶやいてから、私は一歩、踏み出した。

 番衝動は一種の発作。
 病か何かと同じようなもの、よね?
 となれば、私の治癒の力って……使えないかしら?
 幸い私には優秀な護衛騎士がいるし…………うん、試してみる価値は、ある。

 「クリスティ様!?」
 カイルが声を上げ私の腕をつかむけれど、私はそれを振り払い、歩みを続けた。
 ゆっくりと、一歩一歩、暴れる獣人へと近づいていく。

 その瞬間、青年の目が私を捉えた。
 ギラリ、と鋭く光る、黄金の目。
 次の瞬間――。

 「っ!!」
 獣人の青年は地面を蹴り、一気に距離を詰めてきた。

 「クリスティ――ッ!!」
 カイルが叫び駆け寄るけれど、私はそのまま、ただ、静かに息を吸い――青年に手を伸ばした。

 「ぐぉぉおぉおっ!!」
 そっとその額に触れる、私の白い指先。
 その瞬間だった。
 ――すう、と、空気が変わった。

 荒れ狂っていた気配が、嘘のように静まっていき、青年の身体から力が抜けた。
 と同時に、金色の瞳の焦点が戻ってくる。

 そして──。
 「……あ、れ……?」
 呆然とした声を出して、その場に崩れ落ちる青年。
 さっきまでの激しい衝動は、完全に鎮まっていた。

 恐怖の声で満ちていた通り全体が、しん、と静まり返る。

 「……え?」
 「今、何が……」
 誰も理解できていないような声がちらほらと上がる。 

 「王妃様……今のは……」
 私は手を引っ込めて、軽く首を振る。

 「えっと……何でしょう、ね?」
 呆けたような私の応えに、いつも冷静なカイルの声が裏返る。

 「何でしょうね、じゃないです!! 番衝動を“触れただけで鎮める”など、聞いたことがありません!!」
 「私だって聞いたことないし、まさか出来ちゃうなんて思わなかったわよ!? その……ただ、衝動的発作での暴走なら、治癒の力でなんとかなったりしないかな、なんて……」
 「なんとかなったりしないかな……って……」
 意味が分からない、という顔。
 まぁそうよね、私もそうだもの。 

 「ほら、この人も落ち着いたみたいだし」
 私はしゃがみ込むと、さっきまで暴走していてた青年に微笑みかける。

 「もう大丈夫よ」
 「……っ、あ……」
 私が言うと、青年は震えながら頷いた。

 さっきまでの狂気はもう跡形もない。
 そして周囲から、ざわめきが広がる。

 「あれは……人間の国から嫁いできた王妃様? 王妃様が……助けたのか……?」
 「今の、何の力だ……?」

 尊敬と、畏怖。
 そして、戸惑い。
 それらが入り混じった視線が、私へと向けられる。だけど──。

 「さて、帰りましょう、カイル」
 私は何事もなかったかのように立ち上がって、歩き出す。

 しばらく歩いて、カイルがぽつりとつぶやいた。
 「……皮肉ですね」
 「何が?」

 「……王城にいない方が……王妃らしい」
 その言葉に私は目をぱちぱちと瞬きさせてから、それから頬を緩めた。

 「ふふ。……本当ね」

 そして私たちは、日が暮れるまで町を探索してから、すっかりと住み慣れた屋敷へと戻って行った。