ディリート うその世界で それでも僕達は生きていた

僕達の生活に少しずつ変化が現れている気がする。

バイトをして帰ってくると、律が僕の為にコーヒーを淹れてくれる。
待っている間のコーヒーの匂いがたまらなく好き。
今迄はソファに座って出てくるのを待ってた訳だけど、最近は少し違くて・・・。
律がコーヒーを淹れている間、僕は律の背後から腰に手を回して、肩の上に顎を置いて見ている事が多くなった。
律が僕の方に振り向いて、
「もう少しだから待ってて」
「うん、分かったよ」
こんな会話が心地いい。

コポコポコポ・・お湯がコーヒーの粉を通過して一滴ずつ落ちていく。
それをただ見ているだけのゆったりとした時間。
こんな事が出来るのもジュンの影響があったのかもしれない。

それに、僕がお風呂から上がると髪の毛を乾かしてくれる事もある。
ぶおおおおお〜〜〜〜っっ
ドライヤーが顔に当たる。
「ちょっとやめてよー」
「あははははは、ごめん、ごめん」
壊れ物を触るみたいに優しく触れるから、髪がなかなか乾かない。
それでも最後まで丁寧に整えてくれる。

あと、朝起こしてくれる時!
今までだって、「ほら起きて」って僕が起きるまで何度も起こしに来てくれてたんだけど、最近は寝てる僕の横に座って「起きろ」って顎をつままれるようになった。
顔が近いってーーー。
これは前の方が優しかったかも?
でも僕は今の起こし方が気に入ってる。

でも最近、律が怒りっぽいよーな気がするんだよね。
僕は別に何もしていない……はずなんだけど。

例えば
熱い日に、髪をかきあげてシャツのボタンを片手で外して「あちーーーっ」ってシャツをパタパタ させる。それだけなのにそれは無しなっ!て注意される。

ジャケットを脱いで、そのまま指先に引っ掛けて歩いていただけなのにそれも無し。袖をまくるのもナシって言われた事もあるな・・・。

耳から首筋にかけてのラインが見える服もナシ。

たまに肘ついて手に顎を乗せて授業を聞いてる時ってあるよね。その時に視線に気づいてちょっと見上げるのもナシ。

僕は背が高いから、高い所にあるものを取ってあげたりするんだけど、「はい、どうぞ」って渡すのも、なんでか分からないけど、ナシ。

この前は、授業を受けてた時に消しゴムを落としてしまって…前の席の子が拾ってくれたから、腕を伸ばしてありがとうってお礼を言っただけなのに、その顔わざとかって怒られた。

うーーーん、どーいう意味なんだろう?
なにも悪い事してなくない?

これに関しては、後々そー言う事だったのか!って分かる出来事があったのはあったんだけど。
状況は意外と複雑で・・


前にも話した事があると思うけど、僕は居酒屋でバイトをしている。
そこには僕より少し先に入ったバイトがいて、こいつがよく絡んできてたんだ。
嫌味な事を言ってきたり、あれやれこれやれって指図してきたり。
嫌な奴だなぁと思ったから、なるべく関わらないようにしてた。
でも、そんな奴だからこそお客さんとのトラブルも多かったんだ。
その日も注文したのと違う料理が運ばれたとか、まだドリンクが来てないとか、そんな類の苦情で揉めだした。
どーも人に頭を下げるのが苦手みたい…な?

店長に知られたら怒られるんじゃないかと思って
僕がコイツに代わってお客さんに頭を下げたんだ。
そしたら、僕を見る目が変わったようで。
バイトしたお金で、家賃を払って自炊してるって事を誰かから聞いたみたいで、それも大きかったらしい。
自分の一方的な勘違いを反省してたって他の人から聞いた。

それに一緒にバイトをしている時間が増えると、お互いの事を知る機会も増えるしね。


ある時、そいつが
「前は嫌な態度とって悪かったな。
単なるお坊ちゃんだと思ってたから。
これ知り合いからもらったんだけど、よかったら誰かと行ってきてよ」
って水族館のチケットを2枚、僕に手渡してきた。

「でもこれって招待券だよ。タダで行けるのに行かないの?」
「水族館ってあれだろう…アザラシとかイルカとかのー。水槽に魚がプカプカ浮かんでる」
「浮かんでるって・・うん、まあ、泳いでるが正しいかも。」
「俺、魚とかよく分かんないし、あっ、お前もあんまり興味なかった?」
「ううん、僕は水族館は大好きだよ」
「じゃあ、行ってこいよ。俺は水族館ってガラでもないし、一緒に行くようなツレもいないから」
「本当に僕がもらっていいの?」
「俺が持ってても結局は捨てることになるから。捨てるよりかは誰かにもらってもらった方が全然いいよ」
「ありがとう、それなら遠慮なく使わせてもらおうかな」
「あぁ、楽しんでこいよ」
ということで、水族館のチケットを2枚ゲットしたってわけ。

僕は、水族館の場所を検索してみた。
イルカやペンギンのいるような大きな水族館は街の中心から少し離れた場所にある…ものだと思い込んでいた。でもそこは、アクセスの良い都心にあるのに驚いた。

こんな都会に水族館なんてあったんだ!!
平日なら割と人も少ないはず。
しかも僕のアパートからも行きやすい!良かったあー、ここなら律と行ける!

部屋に帰って、僕はすぐに律を誘った。

「ねぇねぇ、今度の水曜日、講義が休みだからどこかに出かけない?」
「別にいいけどっていうか、俺はいつでも暇だし」
「水族館のチケットを2枚もらったから、一緒に行こうよ。僕こっちに来てから、水族館なんて一度も行ったことないんだよね」
「水族館かぁ〜いいなぁ。俺も行きたい」
「平日だったらさぁ、そんなに混んでないだろうし」
「でも水族館って、遠くにあるんじゃないの」
「だよね。そう思うよね。でも近くにあるんだよ」
「あっ〜そういえばそんな事聞いたことあるかも」

ー 水族館デート当日ー

その水族館は、駅から驚く程近かった。
「へえー、こんな所にあったんだ」
「俺も初めて来たかも」
「でも見た感じ、建物自体はそこまで大きくはなさそうだね。なんたってこんな都会にあるんだから。
そんなに大きな物を期待する方が間違ってるかぁ〜」

駅から程近いその水族館は、僕が想像していた光が差し込む開放的な空間とはまるで違い、無機質で四角いモダンな建物のように思えた。

「でも、イルカのショーとかもあるらしいよ」

入り口のところにポスターが貼ってある。

ここで?うそだーー、本当に出来るのかな?
ショーの映像が流れてるだけだったりして・・・

「じゃあ入ってみますか?」
僕達は、初めて来る水族館にワクワクしていた。
チケットを係の人に渡して前に進んだ。
入り口は思った以上にひんやりしていた。


うそだぁぁああ!

中は思った以上に広い!
エレベーターで地下に降りて、1階、2階と上がっていく構造みたい。
さっき迄狭いとか、無機質な建物とか思ってごめんなさい。頭を下げたくなる位広い空間がそこには広がっていた。
通常の水族館は横に広いけど、ここは縦に広い構造になってるんだ!その時初めて気がついた。

わくわく、ドキドキが止まらない。
律もきっと僕と同じ気持ちだと思う。顔がそう言ってるから。
エレベーターに乗って下の階に降りた。
海の生き物が、水槽の中でたくさん泳いでいる。
カニとかのよく見かける生き物もいたけど、ハリセンボンなんて毒がある種類もいるなんて信じられない位に可愛かった。
ぐるっと1周見て回って、次の階に行くことにした。

順路を示した矢印に沿って歩いていた時、僕たちの頭上を覆うガラスの向こうで魚たちがゆっくり泳いでいるのに気がついた。

「わーぁ、すごい!」
思わず見とれて足が止まってしまう。
サメやエイがこちらを覗いているかのように頭上スレスレに泳いでいる。その向かい側で、イワシの群れが渦を巻いていた。
「イワシ、食べられちゃわないのかなあ?」
素朴な疑問が湧いた。
「比較的おとなしいサメと一緒なんじゃないかな?
それに、餌も充分与えられてるだろうし」
「そうか、そうだよね。なんたって水族館だし」
でもそのリアルさが、本当に海の中を散歩しているみたいに思えた。

「これってアクアトンネルって言うんだよ」
「えっ、なんでそんなこと知ってるの?すごいなぁ」

アクアトンネルか〜、海中トンネルって言いかけた…(笑)ネーミングさえもおしゃれに感じる。
「だってここに書いてあるから」
「なんだーっ、感心して損した」
僕の感動を返してくれ!!
そんなたわいもない話しをしながら次の展示エリアに進んだ。

その時、1つの水槽に心が奪われた。
砂の中に隠れたり、飛び出したり、目が黒くて丸くて可愛らしいチンアナゴ。
「なんか、律に似てない?」
「そうかな」
「四温にそっくりな生き物が、こっちにいるよ」
「どれ?」
「これだよ」

『カエルアンコウ』

水槽の下に小さく記されていた。
黄色とかオレンジ色とか、、手みたいなのがついてて目がテンってしてる。
おでこの真ん中になんて言うんだっけ?ほら〜おばあちゃんが掃除の時によく使う天井のほこりをパタパタって落とす…ハタキ?みたいなのがついててそれがクルクル回ってる。
しかもポワーンってした顔で泳いでるんだ。
「僕こんな顔してないよ!!」
「そうか〜(笑)」
律が意地悪そうな顔をして僕を見て笑っていた。

「じゃあさぁ、お互いに似たものを探すゲームしようよ!」
「いいよ、じゃあ、ここからが本気のスタート!」

ここから僕達のゲームが始まった。
そう、全部のフロアを見るまでに相手に似たものを探すゲーム。


さっき僕のことを『カエルアンコウ』に似てるって言ったから、仕返しをしてやる。
実は1つ、いいのを見つけてたんだ。似てると言えば似てる。ゆうゆうと泳ぐ姿とか…


ヤバイ・・・

もしかして俺、四温を怒らせたか?
『カエルアンコウ』に似てるなんて言ったから。
でも、悪い意味で言ったんじゃなくて可愛いって事を言いたかったんだけどな。

『カエルアンコウ』ってつぶらな瞳がすごく可愛いかったんだ。
小さくって、丸っこい体でポヨン って水中を漂ってて。
ただの魚じゃなくて、どこか不器用で愛嬌がある。
地面にポスンって、到着する姿が可愛いなぁって思ったんだけどなぁ。
四温は小さくて丸っこい体はしてないけど(笑)
愛嬌があって可愛い。
そこが似てると思って。
でも、なんかちょっと顔が拗ねてたよな。
あっ、気持ちが顔に出るところが分かりやすくて良いところなのかも。
違う似た物がいないか探してみるか〜。


「あれ?こんなところにお土産屋さんがある…」
急に視界に現れたお土産スペースにびっくりして立ち止まってしまった。

水族館と言えば、ぬいぐるみだよな。
ここにも、サメやペンギン、イルカのぬいぐるみにキーホルダー、帽子なんかが並べられていた。
俺は、なんとなく通路から売り場の中に目をやった。
その時、近くのコーナーでぶら下がっていたあざらしのキーホルダーに目を奪われた。

へー、今のキーホルダーってこんな感じなんだ。
1つ手に取って眺めてみた。

「あれ?欲しいの?かわいいね。」

四温がキーホルダーを眺めている俺に気づいて覗き込んできた。
「刺繍のやつだ!刺繍のキーホルダーって珍しくない?」
「そうなの?」
「記念にお揃いで買おうよ。
色違いとか何かないかなぁ…
あっ、ここにポーズの違うのがある!
これ可愛いなぁ。買おうよー」
「いや、俺はいいよ」
「なんでだよ。お揃いとか嫌なの?」
「いや、そーいう意味じゃなくて」
「じゃあいいよね〜、買ってくるね」
四温はポーズ違いのあざらしのキーホルダーを持ってレジに向かった。

お揃いのキーホルダーが嫌とかじゃなくて
俺が四温にプレゼントしたかった。
俺の働いたお金で
なのに、バイトをする事も出来ない
それがなんだか歯痒かった。



思った以上に広い水族館に、なんだか目が疲れてきた。少しゆっくり見れるところがいいなぁ。
僕達は、クラゲの展示エリアに行く事に決めた。

クラゲの展示空間は、薄暗く、青や紫の光が揺れていた。ガラス越しに、クラゲたちがゆっくり上下に漂っているのが見えた。
わー、神秘的…
まるで深海に立たずんでいるような、そんな錯覚に陥いってくる。
そこには、円柱の水槽がいくつも並んでいて、僕達は1つの水槽の前で足を止めた。
「クラゲってこんなに綺麗だったっけ?」
「夏の終わりに海に行くとよく漂ってるよな。
毒があるから触るなってよく言われたけど。こいつには無いのかなぁ?」
「ほぼ無害って書いてあるよ。透明で中が透けて見えるんだね。なんて綺麗なんだろう」
「綺麗だな」
上下するクラゲを追うように、見つめる律の横顔。
その横顔が、青紫に波打っているように見えた。

あっ、この顔、この角度。
律が僕に、よくあの顔ナシって言うのはこういう事なんだって。その時、気づいた。

僕だけの物にしたい。
ポケットからスマホを取り出して、クラゲを取るふりをして律の写真を撮ろうと思った。

ーーーいない。

えっ?

そこに居る姿だけがすっぽりと抜け落ちている。
思わずスマホを下げた。
もう一度スマホを構える。
画面に映るのは、青紫色に光るクラゲだけ。

僕の前には確かに律がいるのに。
クラゲを追う横顔がこんなに美しいのに。
そうか、カメラには映らないんだ・・・

僕はスマホをポケットに押し込んだ。

僕たちは、クラゲの展示エリアを出て、イルカのショーを見ることにした。
「ねえ、律・・・」
「なに?」
「手、繋いでもいい」
「ん?」
「手」
僕は律の手を優しく握った。
強く握ると消えちゃいそうだし、握らなかったら居なくなりそうで。

イルカのショーは水しぶきがすごいことで有名らしい。
もしかしたら映像だけかもなんて思っていた僕たちが恥ずかい。

僕たちは水しぶきを避けるため、1番後ろの席で見ることにした。
青いプラスチック製の椅子に腰をかけた。
イルカショーの開始までは、まだ時間があった。


「僕お腹空いたかも〜。おにぎり食べてもいいかな?」
「あぁ、いいよ」
カバンからおにぎりとお茶を取り出して、おにぎりにかぶりついた。
美味しい〜〜っ、お腹が空いている時のこのひと口が最高だと思う。僕はおにぎりを二箇食べほした。

美味しかったぁー。お腹がふくれたらなんか元気が出て来た。

食べる事が出来ない律には申し訳ないけど、練習次第ではいつか食べるふりだけでも出来るようになるかもしれない。慌てずにゆっくりやっていけばいい。その時の僕はそんな風に呑気に考えていた。


おいしそうに食べてるなぁ。腹減ってたんだろうなぁ。
おにぎりをほおばる四温の顔を見て、そう思った。
俺は腹も空かないし喉も乾かないからなぁ。
そんな俺に遠慮してか四温は俺と出かける時はおにぎりを作ることが多い。
今日は昆布と鮭のおにぎりを握っていたっけ?
匂いもしないから、食欲もわかない。
気づいてやれなくて悪かったなぁ。
でも、いつか四温と一緒に食事をしたい。
四温といると、してやれない事の多さに時々虚しくなる。

「じゃあ、そろそろ似た物を探すゲームの最終結果発表をしようよ!」
お茶の蓋を閉めながら、四温が俺の方に向き直った。

「律は決まったの?」
「あぁ、決まったよ。俺の結果発表・・・
四温は〜ハリセンボン…」
「ハリセンボン?僕が…?」
四温がぷくっつと頬を膨らませた。
「お前、そんな顔したらますますそっくりだぞー(笑)」
「だってー」
「って言いたいところだけど、やっぱり『カエルアンコウ』に決定だな」
「何だよー、結局『カエルアンコウ』なんだ」
「仕方ないだろーっ、あの可愛らしさ〜忘れられないんだよ」
やっぱり最初にいいと思ったものがいいんだと思う。
「『カエルアンコウ』かぁ、まっ、いいけどね、可愛いって事だよね」
「ははは、そうそう。はい、次は四温の番だよ」

「じゃあ、僕はナポレオンフィッシュ!!」
「ナポレオン?・・・あっ、おでこがこぶのように盛り上がった大きな魚?唇の厚い…」

「って言いたいところだけど、律はクマノミかな」

「クマノミ……そんな可愛いのでいいの?」
四温からの逆襲に合うと思って、ある程度の覚悟はしていたのに。

「僕の最終結果発表はクマノミだよ」

「みなさーーーーん、お待たせしました。今からイルカショーの始まりでーーす。」

飼育員さんの挨拶で、僕たち2人の視線は前にむいた。

なんでクマノミなの?
聞かれても聞かれなくても答える気はなかったけど。
クマノミ…隠れるように生きている。

そこが律に似ていると思った。

クマノミって泳いでるな〜って思ってもすぐにイソギンチャクの後ろに隠れるんだよ。イソギンチャクの中を出たり入ったりして。
でも怖いから隠れてるって言うより安心できる場所を拠点にして生きているってどこかで聞いた気がする。
そこが僕だったらいいなぁって思ったんだ。


水族館に行けて楽しかったなぁ。
でも、スマホのカメラロールには残らない僕の大切な人。
ただ目に焼き付ける事しか出来ないのかな?
そんなことを気づかせてくれたデートだった。