あの日を忘れない

 すぐに夕飯になった。しばらく黙って食べていた母さんが、俺を上目遣いで見てきた。

「何?」

 昨日みたいに、冷たい言い方にはならなかった。母さんは顔を上げ、

安達(あだち)くんと、仲直りしたんだね。よかったね」

 花がほころぶように、って言葉があるけど、母さんの笑顔は正にそんな感じだった。

「今度、うちに来てもらいましょう。()()で」
「三人? 陽平(ようへい)と山ちゃんとつっちー、来てもらっていいの?」
「山ちゃんとつっちー? そう呼んでるのね。本当に、仲がいいんだね」

 そう言われて初めて、自分がいつもの呼び名で言ったことに気が付いた。言ってしまったものはしょうがない。俺は苦笑いしてから、

「陽平のおかげ」
「そうか。安達くんのおかげなんだね。いい人と友達になれて、よかった」

 俯く母さん。目元を拭っているみたいだ。また泣かせてしまった。

「よかった……」

 震える声で言われて、俺も涙が出そうになった。そうだ。陽平と友達になれて、よかったんだ。でも……。

 それ以上の関係を望まれている俺は、やっぱりどうしていいのかわからないままだ。

 ベッドに横になると、ほとんど何も考える間もなく眠ってしまった。睡眠不足が祟ったようだ。が、そのおかげで、目覚めはすごくよかった。ベッドで体を起こすと、大きく伸びをした。

 陽平を許せない。そんなことを思っていたはずなのに、別の問題が発生したせいで、忘れかかっていた。だますのは腹立たしいけれど、俺を好きでそんなことをしちゃったなら、許すしかない。そんな気がしてきた。こじれて友達をやめなきゃいけなくなるくらいなら、もうこの話は無しにしよう。

 学校に着くと、昇降口でつっちーと山ちゃんを発見した。

「おはよう」

 声を掛けると二人は振り向き、「おはよう」と言い返してくれる。そんなやりとりに、この二人と本当に友達なんだと確認出来た。

「昨日、何か楽しかったね」

 つっちーが言うと、山ちゃんも、

「陽平の家、初めて見られたし、お兄さんにも会えたしな」
「あの二人、本当に兄弟なんだね」
「そうみたいだな。と言うか、オレはあまり詳しくないけど」

 そうだ。山ちゃんも、テレビは観ない派だった。俺も、動画を観るまでは全然知らなかった。今じゃ、ファンの端くれだけど。

 話しながら教室に入っていくと、陽平が自分の席で何かをじっと見ていた。そばへ行くと、それは楽譜だった。あんまり熱心に見ているせいか、俺たちがそばにいることにも気が付いていないみたいだ。俺は陽平の肩をポンと叩き、

「陽平。おはよう」

 声を掛けると、体をビクッとさせた。俺たちを見上げると、

「あ。おはよう。全然気が付かなかった」

 ヘラヘラした陽平に、俺は安堵した。ようやく陽平らしさが出てきた。陽平は楽譜をカバンにしまうと、

「昨日は来てくれて、ありがとな。また、おいでよ」
「いいの? じゃ、誘ってよ?」

 食いつく俺。つっちーも手を挙げて、「俺も〜」と言う。山ちゃんは、口元だけで笑んでいた。大人っぽくていいな、と感心してしまう。

「そうだ。俺も、母さんに言われたんだ。三人で、うちに来て。母さん、俺に三人も友達がいるのが嬉しいみたいでさ」

 三人が、俺に注目している。そうだ。もう、去年のことについて話してもいいだろう。俺は軽く頷き、

「去年、合唱コンクールの伴奏を任されたんだ。俺が下手なのを知っていたアイツ……って言っても、陽平しかアイツには会ってないけど、嫌なやつがいて、そいつが俺を推薦した。緊張しやすいから、本番は全然ダメで……うちのクラス、最下位になった。それを、俺一人の責任にして、陰口を叩くようになった。俺は学校に行くのが嫌で、たまにズル休みしたりして何とかやり過ごしてた。高校なんか行きたくないって言ってみたり。それも、かなり強く。母さん、よく泣かせた。父さんには怒鳴られた。でも、そうするしかなかったから。で、家から遠いこの学校を受験することにしたんだ」

 俺は、その頃を思い出して溜息を吐いてしまった。よく頑張った。偉いぞ、俺。心の中で、自分を褒めてやった。

「当然、友達なんかいなかったから。それについて親に話したことはなかったけど、友達いないのはわかってたんじゃないかな。だから、三人のことを話したら、すごく喜んじゃって……泣いてた」

 三人は、何も言わずに俺を見ていた。見守ってくれているような、温かい空気を感じた。本当にいい人たちだな、と改めて思った。

「だからって言うのも何だけど……来てくれたら、俺も嬉しい。来てくれる?」

 嫌だって言われたら、結構ダメージが大きくなりそうだ。俺は、三人を順番に見ていった。右手を握り親指を立てていた。それは、『いいね』?

「行くに決まってるだろ? 何で遠慮がちなんだよ。山ちゃん、つっちー。行くよな?」

 陽平が強めに言うと、つっちーが、

「だからさ、親指立ててるだろ? 行くよ。当たり前じゃん」
「もちろん、俺もだよ。で、いつにする?」

 冷静な口調で、山ちゃんが訊いてきた。俺は、もう一度みんなを順番に見て、

「今度の日曜日は? お昼の少し前に来てくれれば、一緒に昼ご飯食べられる。それでいい人は挙手」

 俺の提案に、三人はすっと手を挙げた。決まった。

「ありがとう」

 つい、感謝の言葉が口から出てしまった。