あの日を忘れない

慎也(しんや)。兄貴を好きなのか?」

 普段よりも低い声で言う陽平(ようへい)は、何だか迫力があった。

「慎也。答えてくれよ」
「好きって言うか……二人が微笑ましくて、それで……」

 陽平が俺を凝視してきた。園路(そのじ)さんは、ハーブティーを飲んで表情が柔らかくなっていた。反対に俺は、顔が強張るのを感じていた。何で俺は、こんな思いをしているんだろうか。俺が何かした?

「本当にそれだけか? 慎也、園路が推しだって、あの時……」
「言ったかもしれないけど、それは恋愛感情とかそういうのじゃない。何でもそうやって結びつけないでくれよ。何にも言えなくなるだろ?」

 言い返した自分を褒めてやりたい。陽平は、俺を責めるような勢いで話していたのに、急に覇気がなくなった。さっきまでの園路さんみたいだ。やっぱり兄弟なんだなと思わされた。

 黙ってお茶を飲んでいた園路さんが、首を傾げて陽平を見た。そんな動きをするだけでも絵になるって、羨ましい人だ。

「陽平。中野(なかの)くんのこと、好きなんだ?」

 そんなにストレートに言わなくても。心がいきなり騒ぎ出した。もう、本当に勘弁してくれ。ついていけない。ずっと混乱していて、俺はギリギリなんだから。そのうち、破裂するかもしれない。

 園路さんの発言に陽平は、

「好きで悪いのか? 兄貴。またオレの好きなやつを奪う気じゃないよな?」

 好きなやつを奪う? そんなことを園路さんが、かつてしたというのだろうか。そんなこと、信じられない。

 園路さんは溜息を吐き、

「別に奪ったわけじゃないし。人聞きが悪いだろ」
「兄貴にその気がなくても、『園路みたいに、雰囲気のあるかっこいい人がいい』って言われてふられたんだぞ。兄貴が奪ったのと同じだよ」
「僕は人気商売だから、勝手に好かれることだってあるけど、それは僕のせい?」

 陽平が黙った。唇を噛み締めて、顔を歪めている。辛い目にあったんだな、と同情はするけど、園路さんを責めるのは違う気がした。言わないけど。

「陽平。すねられたら、可愛くて頭撫でたくなるだろ」

 言うが早いか園路さんは、陽平の方に手を伸ばして本当に頭を撫で始めた。兄弟愛、ひとりっ子のオレには眩しすぎる。

「陽平。ピアノ弾いてよ。何でもいいから」
「何でもいいんだな。じゃあ、『花は咲く』だな。今度、合唱コンクールでやる曲」

 さっきと同じパターン。陽平が弾いて、山ちゃんとつっちーが歌う。パワーアップしている気がする。本当にこの三人はすごい。

 園路さんは、曲が終わると拍手喝采。動画の印象と違いすぎて、面白い。こっちが本当のこの人なんだろうなと思った。

「僕も一緒に歌う」

 もう一回やることになり、山ちゃんとつっちーは戸惑いを見せたが、園路さんとともに見事に歌いきった。

「さすがバンドのヴォーカルですね。すごいです」

 つい感想を口にしてしまった。言わずにいられなかったんだけど、やめておけばよかったと後悔した。陽平が、また怖い顔になってしまった。

「慎也。俺と付き合えとは言えないけど、兄貴を褒めまくるのはやめてくれ」
「はい……」

 そう返事するしかなかった。言い返せる雰囲気ではない。

「陽平。だからね、すねると可愛くて頭撫でちゃうって言ってるだろ」

 園路さんが微笑みながら言った。陽平は不機嫌を隠そうともせず、

「やめろよ」

 そう言われても、園路さんは気にしている感じではなかった。俺たちに視線を向けると、

「僕ね、陽平が大好きなんだ。陽平が生まれてきてくれたから、僕は自分は生きててもいいんだなと思えたんだ」

 園路さんも、俺側の人? そんな風には見えないけど。

「僕は、人と上手く接することが出来なくて、クラスで浮いた存在だった。それでも、家に帰れば大好きな陽平がいるからって頑張った。そういう人間だった。バンドのメンバーに会うまで、ずっと。だから、誰だって変われるよ」
「変われますか? 俺も?」

 園路さんが俺をじっと見てきた。印象的なその目で見つめられたら、誰だって心臓が速く打つに決まってる。

「中野くんは、もう、変わり始めてるよ。陽平との出会いがきっかけかな」

 変わり始めてる。納得だ。陽平と靴箱事件で距離が縮まったから、今の俺たちの関係がある。中学時代、あんなに暗く生きてたのに、今は毎日が楽しいと思えている。園路さん、占い師か何かみたいだ。

翡翠(ひすい)くんに会えたから、僕は今歌ってる。だから、翡翠くんが大好きなんだ。陽平も好きだけど、翡翠くんも好き」

 翡翠くんって誰だっけ、と思っているのが顔に出たらしく、陽平が口添えしてくれた。

「『翡翠くん』、オレの推し。ウサギ」
「ウサギ!」

 あの人が園路さんを変えたのか。その時も、ウサギの格好をしていたんだろうか、と、おかしなことを考えてしまった。

「人との出会いって、大切だよね。中野くんも、僕の陽平を大事にしてやって」

 『僕の陽平』。聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらい、真っ直ぐな愛情表現。もっと冷たい感じの印象だったのに、いい意味で裏切られた。

 俺は深く頷くと、「陽平を大事にします」と、宣言してしまった。