「陽平のピアノもすごいけど、二人とも本当に歌が上手だね」
俺は三人を褒め讃えて、もう一度拍手を贈った。何だよ。俺だけが普通の人間か。残念だ。
軽く落ち込んでいる時だった。部屋の外に、人の気配を感じて振り向いた。誰かが立っているのは間違いない。でも、ここのドアは磨りガラスが使われていて、影は確認出来ても、それが誰かということはわからないようになっている。
俺が見ると陽平は立ち上がり、ドアの方へ向かった。そして、重いドアを開けた。そこにいる人が誰かわかって、俺はパニックを起こした。嘘だろっていう、そんな感じだ。
そこにいたのは、陽平のお兄さんこと、園路さんだった。驚くなという方が無理だ。園路さんは部屋に入ってくると、床に座り込んだ。あの動画のような化粧はしてないものの、充分にかっこいい。ただ、疲れ切っているのか、目に光がない。
「兄貴」
陽平が呼び掛けると、園路さんは顔を上げ、
「陽平……」
「何かあった?」
屈んで、園路さんと目線を合わせている。園路さんは陽平に抱きつくと、「疲れた」と呟くように言って、陽平にもたれかかった。陽平も、園路さんの背中に腕を回し、「よしよし」と言いながら擦ってあげている。
「スケジュール、きつい。もう、やだ」
「売れてる証拠だろ? 頑張るしかないじゃん」
陽平の方がお兄さんに思えるくらい、陽平は堂々とした態度だった。というか、園路さんが頼りなくて可愛い存在に思えてきた。それを見て、キュンとするの、やめてくれ、俺。
「兄貴。ここにいる三人は、俺の友人だよ。一人は親友。誰だかわかるか」
園路さんは俺たちをぐるりと見回すと、「この人」と、俺を指差した。何でわかるんだろう。
「陽平の好みくらい、わかるよ。だって、僕は陽平のお兄ちゃんだからね」
「ま、確かにな。当たりだよ。慎也っていうんだ」
紹介されて俺は、「初めまして。中野慎也です」と、丁寧に名乗った。動画で観た人が目の前にいることに、不思議な気持ちになる。園路さんは陽平から離れると、少し頭を下げて、
「陽平の兄で、太陽と言います。よろしくね」
本名を普通に名乗ってくれた。秘密じゃなかったんだろうか。園路さんは、口元に笑みを浮かべると、
「君たちは信用出来ると思ったから、本名を名乗ったんだ。普段は絶対に言わない。だって、僕はこの名前、好きじゃないから」
自分の名前を好きじゃないって、どういうことだろう。オレが思ったまま質問すると、
「まんまだよ。『太陽』って名前が苦手なんだ。僕、太陽のイメージと真逆だから」
確かに、ギラギラしている太陽のイメージはない。どちらかと言うと、月の方が合いそうな気がする。バンドのカラーも黒っぽい感じだし。
「だから、大好きなばあちゃんの名前を芸名にした。それが、『園路』」
自分の名前が苦手だからといって、おばあさんの名前を拝借するものだろうか。不思議な人だ。
「ところで、陽平。ここで何してたの?」
「ここですること、他にないだろ? ピアノを弾いてたんだよ」
園路さんはピアノの方へ移動すると、椅子に座った。誰も動かなかった。動向を伺っている、そんな感じだ。
園路さんは、鍵盤に手をのせたかと思うとすぐに、曲を弾き始めた。これは、モーツァルトのK545だ。軽やかに、何の苦もなく弾いているように見える。全く羨ましい限りだ。
弾き終わると椅子から立ち上がり、お辞儀をした。俺たちは四人で拍手した。園路さんの表情は満足げだったけれど、すぐにさっきまでの落ち込みぎみの人に戻ってしまった。
「僕は何をしてるんだろう。ああ、疲れた」
クタッと床に座り込んだ園路さんを、陽平が抱き締める。
「疲れたんだよな。わかったよ」
「疲れたよ。ライヴが始まる時に必ず雰囲気を作って、『ブラックティーパーティーへようこそ』って低めの声で言ってさ。そこで、お客さんが、わ〜ってなってさ。楽しいけど、今はダメだ」
「そういう時もあるさ。兄貴。元気出せ」
陽平の言葉に、園路さんは首を勢いよく振って、
「元気出すの、無理」
「兄貴……」
「陽平。お願いがあるんだけどさ。ハーブティーが飲みたい。心が落ち着くやつ」
陽平は溜息を吐いた後、「わかったよ」と言って、部屋を出ていった。しばらくして戻ってきた陽平は、お茶のポットとカップを人数分持っていた。陽平が準備したんだろうか。
「兄貴。ラベンダーティーだよ」
「ありがとう。陽平は、優しいよな」
「兄貴を見捨てられないから」
美しい兄弟愛に、俺はまた心が洗われるような気持ちになった。それにしても、園路さんて人は、ギャップがすごい。動画で観た時は、雰囲気のあるかっこいい人って思ったけど、本当は違うようだ。
疲れ切って弟に甘えてる園路さん、可愛い。つい微笑みながら二人を見ていると、つっちーが、
「あれ? 慎也、もしかして……」
ちょっとからかうような言い方だった。でも、相手がつっちーだと嫌な感じはしない。
「もしかして、何だよ」
「言っていいの? もしかして、慎也。園路さんを好きなの? そう言おうとした」
陽平が俺たちの方に振り向いた。その顔には、怒りに似たようなものが浮かんでいた。またややこしいことになりそうな予感がして、頭が痛くなった。
俺は三人を褒め讃えて、もう一度拍手を贈った。何だよ。俺だけが普通の人間か。残念だ。
軽く落ち込んでいる時だった。部屋の外に、人の気配を感じて振り向いた。誰かが立っているのは間違いない。でも、ここのドアは磨りガラスが使われていて、影は確認出来ても、それが誰かということはわからないようになっている。
俺が見ると陽平は立ち上がり、ドアの方へ向かった。そして、重いドアを開けた。そこにいる人が誰かわかって、俺はパニックを起こした。嘘だろっていう、そんな感じだ。
そこにいたのは、陽平のお兄さんこと、園路さんだった。驚くなという方が無理だ。園路さんは部屋に入ってくると、床に座り込んだ。あの動画のような化粧はしてないものの、充分にかっこいい。ただ、疲れ切っているのか、目に光がない。
「兄貴」
陽平が呼び掛けると、園路さんは顔を上げ、
「陽平……」
「何かあった?」
屈んで、園路さんと目線を合わせている。園路さんは陽平に抱きつくと、「疲れた」と呟くように言って、陽平にもたれかかった。陽平も、園路さんの背中に腕を回し、「よしよし」と言いながら擦ってあげている。
「スケジュール、きつい。もう、やだ」
「売れてる証拠だろ? 頑張るしかないじゃん」
陽平の方がお兄さんに思えるくらい、陽平は堂々とした態度だった。というか、園路さんが頼りなくて可愛い存在に思えてきた。それを見て、キュンとするの、やめてくれ、俺。
「兄貴。ここにいる三人は、俺の友人だよ。一人は親友。誰だかわかるか」
園路さんは俺たちをぐるりと見回すと、「この人」と、俺を指差した。何でわかるんだろう。
「陽平の好みくらい、わかるよ。だって、僕は陽平のお兄ちゃんだからね」
「ま、確かにな。当たりだよ。慎也っていうんだ」
紹介されて俺は、「初めまして。中野慎也です」と、丁寧に名乗った。動画で観た人が目の前にいることに、不思議な気持ちになる。園路さんは陽平から離れると、少し頭を下げて、
「陽平の兄で、太陽と言います。よろしくね」
本名を普通に名乗ってくれた。秘密じゃなかったんだろうか。園路さんは、口元に笑みを浮かべると、
「君たちは信用出来ると思ったから、本名を名乗ったんだ。普段は絶対に言わない。だって、僕はこの名前、好きじゃないから」
自分の名前を好きじゃないって、どういうことだろう。オレが思ったまま質問すると、
「まんまだよ。『太陽』って名前が苦手なんだ。僕、太陽のイメージと真逆だから」
確かに、ギラギラしている太陽のイメージはない。どちらかと言うと、月の方が合いそうな気がする。バンドのカラーも黒っぽい感じだし。
「だから、大好きなばあちゃんの名前を芸名にした。それが、『園路』」
自分の名前が苦手だからといって、おばあさんの名前を拝借するものだろうか。不思議な人だ。
「ところで、陽平。ここで何してたの?」
「ここですること、他にないだろ? ピアノを弾いてたんだよ」
園路さんはピアノの方へ移動すると、椅子に座った。誰も動かなかった。動向を伺っている、そんな感じだ。
園路さんは、鍵盤に手をのせたかと思うとすぐに、曲を弾き始めた。これは、モーツァルトのK545だ。軽やかに、何の苦もなく弾いているように見える。全く羨ましい限りだ。
弾き終わると椅子から立ち上がり、お辞儀をした。俺たちは四人で拍手した。園路さんの表情は満足げだったけれど、すぐにさっきまでの落ち込みぎみの人に戻ってしまった。
「僕は何をしてるんだろう。ああ、疲れた」
クタッと床に座り込んだ園路さんを、陽平が抱き締める。
「疲れたんだよな。わかったよ」
「疲れたよ。ライヴが始まる時に必ず雰囲気を作って、『ブラックティーパーティーへようこそ』って低めの声で言ってさ。そこで、お客さんが、わ〜ってなってさ。楽しいけど、今はダメだ」
「そういう時もあるさ。兄貴。元気出せ」
陽平の言葉に、園路さんは首を勢いよく振って、
「元気出すの、無理」
「兄貴……」
「陽平。お願いがあるんだけどさ。ハーブティーが飲みたい。心が落ち着くやつ」
陽平は溜息を吐いた後、「わかったよ」と言って、部屋を出ていった。しばらくして戻ってきた陽平は、お茶のポットとカップを人数分持っていた。陽平が準備したんだろうか。
「兄貴。ラベンダーティーだよ」
「ありがとう。陽平は、優しいよな」
「兄貴を見捨てられないから」
美しい兄弟愛に、俺はまた心が洗われるような気持ちになった。それにしても、園路さんて人は、ギャップがすごい。動画で観た時は、雰囲気のあるかっこいい人って思ったけど、本当は違うようだ。
疲れ切って弟に甘えてる園路さん、可愛い。つい微笑みながら二人を見ていると、つっちーが、
「あれ? 慎也、もしかして……」
ちょっとからかうような言い方だった。でも、相手がつっちーだと嫌な感じはしない。
「もしかして、何だよ」
「言っていいの? もしかして、慎也。園路さんを好きなの? そう言おうとした」
陽平が俺たちの方に振り向いた。その顔には、怒りに似たようなものが浮かんでいた。またややこしいことになりそうな予感がして、頭が痛くなった。


