駅前通りをしばらく行き、右に折れてからまたしばらく歩いた。そして目の前に、広い庭のあるモダンな造りの大きな家が現れた。これが安達家らしい。
陽平は門の前で立ち止まると、「ここ」と言った。こんな立派な家に住む人に、この前ごく平凡なうちを見られてしまったのか。ま、俺はうちが好きだけどね。
「さ、行こう」
促されて、陽平の後に従った。玄関に入ると、広々とした廊下が目に入った。すごいな、と感心してしまう。
靴を脱いで上がると、長い廊下を進んでいった。途中で、陽平のお母さんと思われる女性に会った。その人は、陽平を見て俺たちを見た後、
「お友達?」
「そう。ピアノ聴いてもらおうと思ってさ」
「やめておきなさい」
間髪入れずに否定してきた。なるほど、この人は陽平が音楽することを完全に諦めたんだなと思わされた。それくらい、きっぱりな言い方だった。陽平はヘラヘラしながら、
「遊びで弾くんだからいいだろ? とにかく、弾くから」
その人は、何か言おうとしたのか口を開きかけたけれど、そのまま閉じてしまった。陽平は、「じゃあね」と、その人に言うと、俺たちの方を見て、「行こう。こっち」と言って、歩き出した。
そして着いた場所は、グランドピアノが置かれた防音室だった。こんなちゃんとした設備の部屋は初めてだ。これなら、時間を気にせず練習が出来そうだ。
陽平は俺たちを中に入れると、ドアをしっかりと閉めた。そしてニヤリとすると、
「そこ、座って」
椅子が数脚置かれていたから、それぞれが好きな場所に椅子を置いて座った。俺は、手の動きがよく見える位置にした。去年まではレッスンを受けていたから、つい弾く人の手を見たくなる。もう、全然弾かなくなったのに、そういう習慣って残るものなのか、と驚いていた。
陽平はピアノの前に座ると俺たちの方に顔を向け、
「リクエストは?」
山ちゃん、つっちー、それから俺。順々に見てからそう訊いてきた。リクエストとか言われても、パッと思いつけない。何にしよう。真剣に悩んだ末、思いついて、さっきと同じように挙手した。陽平がオレを指差し、
「はい、慎也くん。どうぞ」
ふざけた感じの口調で言う。
「ベートーヴェンの、ソナタ『月光』は?」
俺が挙手したまま言うと、陽平はあっさり、「いいよ」と了承してくれた。
「第一楽章だけな」
「ありがとう。あの曲、好きなんだよ」
手があまり大きくないし、オクターブ以上がさっと鳴らせるほど出来のいい俺ではないけど、この曲は必死で練習した思い出がある。上手い人が弾いたら、すごくいい曲に聞こえるんだろうな。そう思うと、胸が弾んだ。
つっちーはオレを横目で見ると、
「それ、どんな曲?」
囁き声で訊いてきた。どんな曲と訊かれても、何て説明すればいいんだろう。音楽を言葉で説明するのは難しいことなんだなと学んだ。オレたちのやりとりに、山ちゃんが、
「これから陽平が弾いてくれるから、黙って聴いてようぜ」
つっちーの肩を軽く叩いた。つっちーは頷き、
「ま、そうだね。楽しみだな」
笑顔で言った。俺は二人に微笑むと、正面の陽平の方に向き直った。さっきまでヘラヘラしてたと思ったけれど、弾くとなったら表情が改まった。その真剣な顔つきに、何故だかわからないけれど、心臓が速く打ち始めた。告白なんてされたから、変に意識してしまっているのだと思う。
陽平は目を閉じ、深呼吸を繰り返していた。それから目を開けたと思ったら、すぐに弾き出した。
月夜に静まり返った湖。湖面を息をひそめて眺める人。そんな静謐な感じを、陽平の奏でるピアノの音が表現していた。普段の陽平とは全く違う、誰か別の人のような横顔。
そう言えば、楽譜が置かれていない。完全に頭の中に楽譜が入っているんだろう。オレは、暗譜もあんまり得意じゃなかった。
第一楽章が終わってしまった。オレはいきなり立ち上がり、両手を頭上に持っていくと、大きな拍手を贈った。何だよ、これ。かっこよすぎじゃないか。そりゃ、親だって勘違いしたくなる。ただ正確に弾くだけじゃなくて、表現力もある。だって、心が動いてる。言葉には上手く出来ないけど、こういうのが『感動した』って言う状態のはずだ。
「陽平、すごい。すごいよ」
オレが拍手をしながら声を張り上げて言うと、陽平は目を見開いて、
「え? 俺、褒められてる?」
「そりゃ褒めるだろ? 自分ではわからないのかもしれないけど、素晴らしい演奏だったよ。ごめん。もう一回言うよ。陽平、すごい」
「あ……ありがとう……」
陽平は、それだけ言うと、またピアノに向かった。まだ弾いてくれるんだろうか。流れてきたのは、『花は咲く』の伴奏だった。山ちゃんとつっちーが目を見合わせて頷いている。歌うのかな、と思ったら案の定だった。
各パートに分かれて、ハモりながら歌う二人。その歌声は澄んでいて、聴いている人の心の芥を洗い流してくれるかのようだ。何でこの人たち、こんなに上手いんだろう。
何だか泣きそうになりながら、その音楽を聴いていた。
陽平は門の前で立ち止まると、「ここ」と言った。こんな立派な家に住む人に、この前ごく平凡なうちを見られてしまったのか。ま、俺はうちが好きだけどね。
「さ、行こう」
促されて、陽平の後に従った。玄関に入ると、広々とした廊下が目に入った。すごいな、と感心してしまう。
靴を脱いで上がると、長い廊下を進んでいった。途中で、陽平のお母さんと思われる女性に会った。その人は、陽平を見て俺たちを見た後、
「お友達?」
「そう。ピアノ聴いてもらおうと思ってさ」
「やめておきなさい」
間髪入れずに否定してきた。なるほど、この人は陽平が音楽することを完全に諦めたんだなと思わされた。それくらい、きっぱりな言い方だった。陽平はヘラヘラしながら、
「遊びで弾くんだからいいだろ? とにかく、弾くから」
その人は、何か言おうとしたのか口を開きかけたけれど、そのまま閉じてしまった。陽平は、「じゃあね」と、その人に言うと、俺たちの方を見て、「行こう。こっち」と言って、歩き出した。
そして着いた場所は、グランドピアノが置かれた防音室だった。こんなちゃんとした設備の部屋は初めてだ。これなら、時間を気にせず練習が出来そうだ。
陽平は俺たちを中に入れると、ドアをしっかりと閉めた。そしてニヤリとすると、
「そこ、座って」
椅子が数脚置かれていたから、それぞれが好きな場所に椅子を置いて座った。俺は、手の動きがよく見える位置にした。去年まではレッスンを受けていたから、つい弾く人の手を見たくなる。もう、全然弾かなくなったのに、そういう習慣って残るものなのか、と驚いていた。
陽平はピアノの前に座ると俺たちの方に顔を向け、
「リクエストは?」
山ちゃん、つっちー、それから俺。順々に見てからそう訊いてきた。リクエストとか言われても、パッと思いつけない。何にしよう。真剣に悩んだ末、思いついて、さっきと同じように挙手した。陽平がオレを指差し、
「はい、慎也くん。どうぞ」
ふざけた感じの口調で言う。
「ベートーヴェンの、ソナタ『月光』は?」
俺が挙手したまま言うと、陽平はあっさり、「いいよ」と了承してくれた。
「第一楽章だけな」
「ありがとう。あの曲、好きなんだよ」
手があまり大きくないし、オクターブ以上がさっと鳴らせるほど出来のいい俺ではないけど、この曲は必死で練習した思い出がある。上手い人が弾いたら、すごくいい曲に聞こえるんだろうな。そう思うと、胸が弾んだ。
つっちーはオレを横目で見ると、
「それ、どんな曲?」
囁き声で訊いてきた。どんな曲と訊かれても、何て説明すればいいんだろう。音楽を言葉で説明するのは難しいことなんだなと学んだ。オレたちのやりとりに、山ちゃんが、
「これから陽平が弾いてくれるから、黙って聴いてようぜ」
つっちーの肩を軽く叩いた。つっちーは頷き、
「ま、そうだね。楽しみだな」
笑顔で言った。俺は二人に微笑むと、正面の陽平の方に向き直った。さっきまでヘラヘラしてたと思ったけれど、弾くとなったら表情が改まった。その真剣な顔つきに、何故だかわからないけれど、心臓が速く打ち始めた。告白なんてされたから、変に意識してしまっているのだと思う。
陽平は目を閉じ、深呼吸を繰り返していた。それから目を開けたと思ったら、すぐに弾き出した。
月夜に静まり返った湖。湖面を息をひそめて眺める人。そんな静謐な感じを、陽平の奏でるピアノの音が表現していた。普段の陽平とは全く違う、誰か別の人のような横顔。
そう言えば、楽譜が置かれていない。完全に頭の中に楽譜が入っているんだろう。オレは、暗譜もあんまり得意じゃなかった。
第一楽章が終わってしまった。オレはいきなり立ち上がり、両手を頭上に持っていくと、大きな拍手を贈った。何だよ、これ。かっこよすぎじゃないか。そりゃ、親だって勘違いしたくなる。ただ正確に弾くだけじゃなくて、表現力もある。だって、心が動いてる。言葉には上手く出来ないけど、こういうのが『感動した』って言う状態のはずだ。
「陽平、すごい。すごいよ」
オレが拍手をしながら声を張り上げて言うと、陽平は目を見開いて、
「え? 俺、褒められてる?」
「そりゃ褒めるだろ? 自分ではわからないのかもしれないけど、素晴らしい演奏だったよ。ごめん。もう一回言うよ。陽平、すごい」
「あ……ありがとう……」
陽平は、それだけ言うと、またピアノに向かった。まだ弾いてくれるんだろうか。流れてきたのは、『花は咲く』の伴奏だった。山ちゃんとつっちーが目を見合わせて頷いている。歌うのかな、と思ったら案の定だった。
各パートに分かれて、ハモりながら歌う二人。その歌声は澄んでいて、聴いている人の心の芥を洗い流してくれるかのようだ。何でこの人たち、こんなに上手いんだろう。
何だか泣きそうになりながら、その音楽を聴いていた。


