あの日を忘れない

 その日の授業は、全く頭に入ってこなかった。昼休みも、いつも通り四人で弁当を食べたけど、シーンとしていた。

 陽平(ようへい)は、普段みたいに勢いよく食べず、一口ずつ味わっているかのように、ゆっくりと箸を進めていた。こんな陽平は、初めてだ。

 俺は間違えたんだろうか。でも、俺は陽平に恋愛感情は持ってない。たまに変な反応をしてたのは認めるけど、それは人と接するのが苦手だからこそだと思う。

 陽平のことは好きだけど、陽平のくれる好きとは違うと思う。

 そんなことを考えながら、そっと陽平を見ると、陽平も俺を見ていて、目が合ってしまった。告白されたことがリアルに思い出されて、鼓動は速くなり顔が熱くなっていた。この反応、本当に意味がわからない。

「今日、三人でうちに来てくれよ」

 俺は、山ちゃんとつっちーを見た。突然の誘いの言葉に、二人も驚いているようだ。俺は二人に、

「行ったこと、ある?」

 俺よりずっと長く友人なんだから、一度や二度行ったことがあるだろうと思って訊いたのに、二人は、「ない」と、口々に言った。

「陽平、いつも忙しそうで。うちに来てなんて、今初めて言われた」

 山ちゃんが言うと、つっちーも、

「だよね?」

 陽平は、何故そんなにも忙しそうにしていたんだろう。俺が陽平を見ると、視線をそらされ、

「親が、勘違いしてて……」
「は?」

 何を勘違いしてたんだろうか。謎の発言に、俺は陽平を凝視するばかりだ。陽平は、自分の髪をクシャとすると、

「俺はピアノが上手いんだよ。同じ学年の中では、結構イケてた。俺自身もそう思ってたけど、親はもっとそう思っててさ」

 陽平がそこまで言うと、つっちーが目を丸くして、

「じゃ、あの噂は本当だったんだ。音楽科のある学校を受験するんじゃないかって……」
「そう言えば、そんな噂があったな」

 山ちゃんが、何度も頷きながら言った後、陽平を見た。陽平は、ハーッと息を吐き出すと、

「そう。親は受験させる気、満々で。受験に必要ないろんな勉強をさせられてて。毎日、それを繰り返してた。だから、忙しかった」

 何だか悲しそうな顔をしているように見えて、胸の奥が苦しくなった。その勉強は、それ程までに辛かったんだろうか。

「そんな勉強するより、部活でみんなと汗だくになるとか、そっちの方がずっとよかったのに。それは完全拒否された。で、勉強したけど、もう全てがバカバカしくなって」

 俺たちは、黙って陽平の話を聴いていた。そんな真剣な顔しないで、ヘラヘラ笑っていてほしいのに。

「発表会があって、その時わざと派手にミスした。先生と親が俺のことを諦めてくれるといいな、と思って。大成功だったよ。親は、俺の音楽家人生は諦めてくれた。兄貴は成功して音楽やってるから、それである程度は気持ちが収まったのかも」
「お兄さん、音楽やってるんだ?」

 俺が訊くと、陽平はニカッとして、

「そう。有名人なんだ」
「へえ。すごいね。やっぱり、ピアノ?」
「違う。ロックバンドで歌ってる」

 陽平が右手の小指を立てた。『約束』? それは、どういう意味だろう。

「え?」

 急に閃いてしまった。もしかして。でも、そんなことってあるだろうか。俺は、陽平の顔を食い入るように見て、

「まさか……」
「その、まさか、だよ。わかった人は挙手!」

 オレは手を挙げた。

「いいよ。言ってみな?」
「そ……園路(そのじ)さん?」
「大正解!」

 陽平が、声を上げて笑った。そんな。確かに、どことなく似てるとは思ったけど。が、俺はすぐに目が覚めた。また、だまされてるんだ。俺が似てるって言ったから、それを思い出して、こんなこと言ってる。きっとそれだ。

「陽平。俺をからかって楽しいのか?」

 低く言うと、陽平は表情を改めて、

「これは本当だよ。アイツの本名は、安達(あだち)太陽(たいよう)。世の中に、この名前は公表してない。園路っていう名前は、オレたちのばあちゃんからもらったんだ」

 これは、信じていいんだろうか。俺はじっと陽平を見たけど、今度は視線をそらされることはなかった。

「本当なんだな」
「そう。本当」

 陽平は教室の壁に掛けられた時計に目をやると、「あ」と言って、

「早く食べなきゃ、昼休みが終わっちゃうぞ」

 普段の勢いを取り戻した陽平は、あっという間に食べ終えてしまった。俺も急いで片付けた。先に食べ終わっていた山ちゃんとつっちーは、弁当箱を袋に戻しながら、時々陽平に視線を向けていた。二人も初めて聞かされたんだろうか。

「とにかくさ、放課後、うちに来てよ。何か弾くから」

 俺たちは頷き、それぞれの席に戻った。俺は頭の中が混乱していた。でも、今回はだまされていない。それだけは理解した。

 授業が全て終わって、動画サイトの曲を流しながら、『花は咲く』を練習した。今日も、いい感じだ。

 練習が終わると、陽平が俺たちを見て、「行こう」と言った。先にたって歩き出した陽平の後についていきながら、これから起こることを考え、ワクワクしていた。

「陽平のうちって、どんななんだろう? すっごく楽しみだな」

 笑顔のつっちーが、両手をブンブン振りながら言う。俺も同感だ。何しろ、園路さんも住んでいただろう家だ。きっと立派な建物に違いない。

 浮かれた俺たち二人とは違い、山ちゃんはいつも通り、冷静なままに見えた。