あの日を忘れない

 家に帰ってから俺は、動画サイトで検索してみた。すぐに見つかって、聴いてみる。

「これ、いい」

 心に響いてくる、歌詞とメロディー。これが上手く歌えたら……。と、そこまで考えて、突然去年のことが頭に浮かんできて、気分が落ちていった。思わず溜息を吐いた。

 と、その時、着信音が鳴り出した。陽平(ようへい)の名前が画面にあった。通話にしなきゃと思うのに、驚き過ぎて指が上手く動かなかった。それでも切れることなく鳴り続ける着信音。助かった。

「待たせてごめん。ちょっと……驚いちゃって……」
「何で驚くんだよ。俺たち、親友だろ? 電話で話すのなんか、当たり前じゃん」
「そうかもしれないけど……」

 相変わらず、そうだよね、と言うことは出来ない。はっきりしない奴だな、俺は。

「何か用だった?」

 俺がそう言うと、陽平は大きく息を吐き出した。怒らせた? 俺、変なこと言ったかな? そんなことを思っていたら、

「用がなかったら、掛けたらダメか? 俺たちは……」
「はいはい。親友だって言いたいんだろ? わかってるよ。でも、普通は何か用があって掛けるもんだろ? だから訊いたんだけど」
「用事はないけど、親友だから掛けた」

 また訳のわからないことを言い出した。

「……って言うのは冗談だけど。さっき慎也(しんや)が言ってた曲、今聴いてたんだ。やっぱり、すごくいいな。でもさ、オレ……」

 珍しく、陽平が言葉を濁した。何だか胸騒ぎがしてきた。

「慎也。俺はピアノが弾けないんだ」

 衝撃の事実の発表だった。それなのに、何で伴奏者に立候補したんだろう。意味がわからない。

「それなら何でって思ってるんだろうな。そりゃそうだ。慎也が正しい」
「そうだよ。何で?」

 訊かずにはいられなかった。

「何でかって言うと、誰も立候補しなかったから。それと、ほんの少し習ったことがあったから」
「習ってたんだ? じゃあ……」
「伴奏が出来る程ではない」

 俺が弾くわけじゃない。だから、何ならほっとけばいい。でも、他人事とは思えない。鼓動が速くなってしまうのを、どうにも出来なかった。

「慎也。ピアノ、弾けるよな?」
「何で……」

 知っているのかと訊こうとしたが、

「あ、やっぱりな。そんな気がしただけ」
「陽平、ふざけてる?」
「いや。大真面目だ」

 そう言われても、ふざけているとしか思えない。

「慎也。俺に教えてくれないか?」

 声の調子は、全く真面目な感じだ。が、言ってることはおかしい。俺が陽平に教えるって何だ?

「陽平。俺は、人に教えられる程の腕じゃない。出来ればピアノを弾きたくない」
「まあ、そう言わず。明日から頼むよ。どうせ、あの曲に決まるから。何でって? 『宿題』を真面目にやってくる奴なんて、俺たち以外いないから」

 陽平が笑った。ここは笑うところなんだろうか、と思ったが、言わなかった。

「それに、あの曲感動的だし」
「大震災のあった時に作られた曲みたいだね」
「そうみたいだな。俺、あの曲が気に入ったから弾きたい。でも、教えてもらわないと無理だ。だから、頼む。明日から、慎也の家でレッスン開始。じゃあ、また明日」

 言うだけ言うと、陽平は通話を切ってしまった。とんでもないことになってしまった。

「人に教えるなんて、無理に決まってる」

 下手くそ過ぎて、去年どんなことになったか思い出せ。でも、あれは本当に俺だけのせいなんだろうか。この前再会してしまった例の奴がそう言ったからといって、それが真実とは限らないんじゃないか?

 一年近く経って、ようやくほんの少し冷静に考えられている気がする。

 去年の今頃だった。中学最後の合唱コンクールの為に、指揮者と伴奏者と曲を決めなければならなかった。誰も立候補なんかしない。教室は静まり返っていた。その時、例の奴が手を挙げた。立候補かと思いきや、推薦だった。しかも、俺を伴奏者になんて。

中野(なかの)がいいと思います。ピアノが上手いって噂を聞いたことがあります」

 どこでそんな噂が流れたんだよ。絶対嘘に決まってる。クラスメイトだって、そんなことはわかっているはずだ。それなのに、誰も反対しない上に、拍手喝采。あの時も逃げられなかった。だから、仕方なく練習をしまくった。

 努力は一応の成果を見た。クラスの練習の時なんか、落ち着いていい感じに弾けていた。それなのに当日は、最悪だった。

 元々、緊張しやすい性格だ。ピアノ教室の発表会の時も、そのせいで酷い演奏をしがちだった。本番に弱いにも程がある。そんな俺が、全校生徒が集まっている空間で、普段通りの演奏なんか出来るはずもなかった。俺の伴奏のせいなのか、うちのクラスは最下位になってしまった。

「中野の伴奏のせいで」
「そうだよ。俺たちは悪くない。中野のせいだよな」

 そんなヒソヒソ話が耳に入ってきては、俺の心は傷つけられた。学校に行くと、表面上は普通。でも、っていう態度を取られる。それが辛くて、学校に行きたくなくなった。高校にも行きたくないと思うようになった。

 そんな俺に何を教わろうとしているんだろう。陽平が理解出来なかった。