Scene 19.
粹廷が小さな蝶番の扉を押して入ってきた。薄汚い住宅団地が遠くに見えるカフェに入った粹廷がしばし周囲を見回してから、待っていた軽い正装姿の惟碩(ユイセキ)に向かって歩いてきた。惟碩が座っていた席の向かいに座った粹廷に、あらかじめ頼んでおいたコーヒーを一杯すっと押しやった。粹廷は特に言葉もなく手に持っていた薄い卷子(トゥルマリ)を惟碩に渡した。飲んでいた冷たいコーヒーを置いた惟碩が、粹廷の手にあった卷子を受け取った。少しずつ開きながら中身を黙って確かめた後、無表情に頷いた。視線を卷子に固定したまま、粹廷に短く尋ねた。
惟碩 : で。どうだった。
粹廷 : 意地になってる人間だよ。ちょうどよかった。世の中ぜんぶ諦めた女とは違って、行儀も悪いし。ろくに躾もされてない女、うまく選んだね。でも行ったこともないオッパが、そんな女をどうやって知ったの?
惟碩 : そんなのは重要じゃないから。
粹廷 : まあね。とにかくオッパの砂も無事に飲ませたし。飲ませた砂もぜんぶ受け入れたでしょ。明け方には。
惟碩 : 廃棄、任せていいよな?
粹廷が頷いた。
粹廷 : 勝手に明日の朝までに壊れもするだろうし。どうせ期限も来てるし。死んだ身体で遺物を受け入れることはできないみたい。新しく上げたあの売女が、言うこと聞かないあの女よりましかどうかはわかんないけど。惜しくないの? それでもまた造るのは簡単じゃないだろうし。今回新しく造った死体は大民官(ダイミンカン)で気づかれたみたいだし。これからはもっと造りにくくなるよ。
惟碩 : あんな間抜けどもに気づかれたところでな。どうせ報告は俺が上げる。必要なものだけ上げればいい。
粹廷 : だから、オンニの頼み通りに造った、今日のことだけお伝えしたわけだし?
惟碩 : 俺が集賢館(シュウケンカン)の館長の考えを高く買ってるし、あの人の明晰さを羨みはするけど、俺だって保険をかけないわけにはいかないだろ。いざって時に足を抜くことも考えなきゃならないんだから。
粹廷 : あのオンニ、絶対に損しないよ。
惟碩 : わかってる。俺もほどほどに保険かけといただけで、敵に回すつもりはない。
惟碩がコーヒーを空けた。卷子を巻いてテーブルに置いた。気分を変えるかのように、惟碩が腰をまっすぐに伸ばし、大きく息を吸い込むとともに自分の考えを粹廷に伝えた。
惟碩 : ダンチョウの別動隊(ビョルドンデ)が動く前に収拾できるといいんだけど。別動隊の隊長キム・スア、あまりにも堅物だからな。
粹廷 : 心配しないで。
惟碩 : そうか。
粹廷 : オッパは。
席を立とうとしていた惟碩がしばし立ち止まった。
粹廷 : これから、ヨンヒ、どうするの? 今日本当に死ぬかはわかんないけど。
惟碩 : 俺が何をどうすると?
惟碩が薄い笑みを浮かべた。深い思惑を秘めた笑みに、粹廷は自分が考えた推測を確信に変え始めた。
粹廷 : 死体使ってヨンヒを最後まで消そうとしてたでしょ。ヨンヒが思ったより人をうまくなだめるから、あの女が言うこと聞かなくなり始めたんで廃棄するんでしょ。で、もしヨンヒが死ななかったら、今造った死体でヨンヒをもっと締め上げるのか、今回のあの死体でヨンヒを片づけるのか聞いてるの。
惟碩が首を横に振った。
惟碩 : もう十分だ。裏に何かがあるってことも確認はしたからな。これから引き出さないと。でも、あの死体ではやらない。俺が出て管理する必要もないし。
粹廷 : 意外だね?
惟碩 : 知っての通りあの死体は俺が造ろうとしたものじゃないからな。わざわざ俺がやらせて得になることもないだろうし。
粹廷 : まあね。オンニが言ってたよね。
なかなかもっともらしいとばかりに頷いた。しかし深い胸の内では腑に落ちない気分が粹廷の頭の中に残り続けていた。
粹廷 : まあ、どこか別のところに使うつもりがあるのね。でも、オッパがやるんでもなければ、直接管理するって?
惟碩 : いや。
惟碩の否定に、粹廷がしらけた面倒くささを見せた。
粹廷 : あ、私忙しいんだけど。ほんと、身体は一つなのに。
粹廷のぼやきは気にも留めず、惟碩が座っていた席から立ち上がりながら卷子を再び粹廷に渡した。
惟碩 : 逃亡者は? 連絡ついた?
粹廷 : あ、だからオッパが使う死体がもう一つ必要なわけね? 逃亡者を探ってみろって言ってたもんね。
粹廷の問いに惟碩は答えなかった。粹廷がまだ飲み干していない自分のコーヒーを置いて席を立ちながら、外へ出て行く惟碩を見送った。惟碩がしばし立ち止まって粹廷をちらりと振り返った。惟碩が何か思い出したのか、固く結んでいた口元をわずかに上げた。
惟碩 : 噂がけっこう立ってたぞ。
粹廷 : どんな?
惟碩 : 集賢館の館長とお前。
粹廷がしばし呆けた表情を浮かべてから狂ったように笑い始めた。冷たいが落ち着いていた粹廷には似つかわしくない軽薄な笑いだった。落ち着いていたカフェの静寂が一気に砕ける感じだった。惟碩がそんな粹廷の調子に合わせ、もう少し濃い笑みを返した。笑いをしばし収めた粹廷が、息を整えながら答えた。
粹廷 : 私は、自分でも男女気にしないほうだとは思うけど、しょうがないじゃん。うちのダン(단)の中には女ばっかりなんだから。その手で育ったんだし、仕方ないでしょ。でも、それは違う。あんな小綺麗なだけのお堅い人は私の好みでもないし。融通きかない人、勘弁。
笑いの引かない粹廷がどうにか堪えながら吐いた言葉だった。惟碩がそんな粹廷の言葉に軽い同意を返した。
惟碩 : で、付き合ってる人はいるのか?
粹廷 : は。時間がどこにあるのよ。あれだけ仕事押しつけといて。ダンチョウにしても、オッパにしても。それと、オッパを小さい頃から見てきて互いに近いのは確かだけど、私のプライベート、あんまり掘り返さないで。巫女ばっかりだから、後ろ指さされることじゃないとはいえ、誇示したいわけじゃないから。
粹廷の言葉を後に惟碩が頷きながら先にカフェを出た。粹廷は惟碩をもう見送らなかった。粹廷が席に再び座ってからどこかに電話をかけた。カフェの外に出た惟碩も歩を進めながらどこかに電話をかけていた。
Scene 20.
瑞娥が出て行った後の空間には陰湿な気配だけが残っていた。じめついた地下室だった。冷たく冷えた死体たちと、肉が死にゆくように腐り始めた連曦、そして瑞娥を行かせるほかなかった知暎だけがいた。揺れる天井の照明がときおり照らし出す残酷さは、血と肉片にとどまらなかった。連曦を腕に抱いたまま、自分のせいだとばかりに、深く押し寄せる怒りをじっと堪えていた。ふっくらした唇を噛んだ後、手を払うように軽く振った。知暎の左手首にある黒い腕輪が澄んだ音とともに細かく砕け、細い鉄糸を四方に散らした。床に倒れたまま肌が黒く焦げ始めた連曦を助け始めた。乱れた髪と衣服を整えてやったが、知暎の腕に凭れるように抱かれた連曦は次第に薄れゆく息遣いを漏らすばかりで、肌を紫色に染めていく毒物を退けることはできそうになかった。床に落ちた柄を拾い、連曦の服の袖の一部を切り裂いた。思いのほか深く入り込んでいるようだった。紫色に死にゆく連曦を支えるように抱いた知暎が、手首をもう一度軽く払った。黒い鉄糸が見えないほどさらに細く砕けた。意識を失った連曦の腕と脚に突き刺さっていった鉄糸の先端。遅れて痛みを感じた連曦が知暎に抱かれたまま身体をびくりとさせた。すべての毒を鉄糸で引き抜こうとするかのように、意識を失ったままかろうじて息だけを繋いでいた連曦の肌を掻き分けて入った鉄糸が、血管に沿って肉の内を目まぐるしく巡った。意識を失った連曦の口から黒ずんだ血が流れ出し始めた。肌の内を掻き回していた鉄糸を力いっぱい引き抜くと、肌の中にあった紫色の毒物が外へ一斉に噴き出した。青ざめていた顔色が次第に安定を取り戻していった。もう少し離れたところに転がった、肉片だけが残った誰かの下半身から着信音が鳴った。まだ意識の戻らない連曦をそっと下ろした後、散らばる鉄糸を腕輪に戻した。電話に向かって歩いた知暎が、下半身だけ残った人間のポケットをめくっては血に塗れた電話を取り出した。
惟碩 : 出るの遅いな。
知暎 : 全員死んだから。
Scene 21.
薄暗い駐車場を横切り、停めておいた自分の車に近づいた惟碩が、歩をぴたりと止めた。容易く成功するはずがないとは思っていたが、憎悪を含んだ見知らぬ声に、怪訝さが先に感じられた。
惟碩 : 俺の知ってる声じゃないな。
電話の向こうの人間がこれ以上通話する価値はないとばかりに、電話を切った。電話を持っている理由がなくなった惟碩が、薄い溜息と笑みを浮かべたまま、電話をポケットにしまった。
Scene 22.
電話を床に置いてからヒールで荒々しく踏み潰した。意識を失っていた連曦が身体を辛うじて起こすと、立っていた知暎が急いで連曦に向かって近づこうとした。ここに長くいるわけにはいかないとばかりに、意識の戻った連曦にもう少し近づいたが、連曦は近づいてきた知暎にも怯えたように、不自由な身体を懸命に動かして知暎からできるだけ遠ざかろうとした。マスクを被りキャップまで目深に被ったまま、他人の血を浴びた知暎が怪しく見えるのも無理はなかった。意識をかすかにでも取り戻した連曦が、怯えた表情のまま自分を介抱しようと手を差し伸べていた知暎をゆっくりと見つめた。知暎は何も言わなかった。ぼんやりした意識の向こうに見えていた誰かの助けがふと思い浮かんだ。少し前から助けてもらっていたその誰かの風体そのままだった。知暎を見つめた後、遅れて済まなそうな様子を見せた。
連曦 : す、すみません。
知暎は連曦の狼狽を大したことではないと見なした。今しがた中毒からかろうじて脱したばかりの連曦が、短い挨拶を最後に再び意識を失った。このまま連曦を置いて去るわけにもいかなかった。知暎が連曦を急いで背負い、素早くその場を離れた。
粹廷が小さな蝶番の扉を押して入ってきた。薄汚い住宅団地が遠くに見えるカフェに入った粹廷がしばし周囲を見回してから、待っていた軽い正装姿の惟碩(ユイセキ)に向かって歩いてきた。惟碩が座っていた席の向かいに座った粹廷に、あらかじめ頼んでおいたコーヒーを一杯すっと押しやった。粹廷は特に言葉もなく手に持っていた薄い卷子(トゥルマリ)を惟碩に渡した。飲んでいた冷たいコーヒーを置いた惟碩が、粹廷の手にあった卷子を受け取った。少しずつ開きながら中身を黙って確かめた後、無表情に頷いた。視線を卷子に固定したまま、粹廷に短く尋ねた。
惟碩 : で。どうだった。
粹廷 : 意地になってる人間だよ。ちょうどよかった。世の中ぜんぶ諦めた女とは違って、行儀も悪いし。ろくに躾もされてない女、うまく選んだね。でも行ったこともないオッパが、そんな女をどうやって知ったの?
惟碩 : そんなのは重要じゃないから。
粹廷 : まあね。とにかくオッパの砂も無事に飲ませたし。飲ませた砂もぜんぶ受け入れたでしょ。明け方には。
惟碩 : 廃棄、任せていいよな?
粹廷が頷いた。
粹廷 : 勝手に明日の朝までに壊れもするだろうし。どうせ期限も来てるし。死んだ身体で遺物を受け入れることはできないみたい。新しく上げたあの売女が、言うこと聞かないあの女よりましかどうかはわかんないけど。惜しくないの? それでもまた造るのは簡単じゃないだろうし。今回新しく造った死体は大民官(ダイミンカン)で気づかれたみたいだし。これからはもっと造りにくくなるよ。
惟碩 : あんな間抜けどもに気づかれたところでな。どうせ報告は俺が上げる。必要なものだけ上げればいい。
粹廷 : だから、オンニの頼み通りに造った、今日のことだけお伝えしたわけだし?
惟碩 : 俺が集賢館(シュウケンカン)の館長の考えを高く買ってるし、あの人の明晰さを羨みはするけど、俺だって保険をかけないわけにはいかないだろ。いざって時に足を抜くことも考えなきゃならないんだから。
粹廷 : あのオンニ、絶対に損しないよ。
惟碩 : わかってる。俺もほどほどに保険かけといただけで、敵に回すつもりはない。
惟碩がコーヒーを空けた。卷子を巻いてテーブルに置いた。気分を変えるかのように、惟碩が腰をまっすぐに伸ばし、大きく息を吸い込むとともに自分の考えを粹廷に伝えた。
惟碩 : ダンチョウの別動隊(ビョルドンデ)が動く前に収拾できるといいんだけど。別動隊の隊長キム・スア、あまりにも堅物だからな。
粹廷 : 心配しないで。
惟碩 : そうか。
粹廷 : オッパは。
席を立とうとしていた惟碩がしばし立ち止まった。
粹廷 : これから、ヨンヒ、どうするの? 今日本当に死ぬかはわかんないけど。
惟碩 : 俺が何をどうすると?
惟碩が薄い笑みを浮かべた。深い思惑を秘めた笑みに、粹廷は自分が考えた推測を確信に変え始めた。
粹廷 : 死体使ってヨンヒを最後まで消そうとしてたでしょ。ヨンヒが思ったより人をうまくなだめるから、あの女が言うこと聞かなくなり始めたんで廃棄するんでしょ。で、もしヨンヒが死ななかったら、今造った死体でヨンヒをもっと締め上げるのか、今回のあの死体でヨンヒを片づけるのか聞いてるの。
惟碩が首を横に振った。
惟碩 : もう十分だ。裏に何かがあるってことも確認はしたからな。これから引き出さないと。でも、あの死体ではやらない。俺が出て管理する必要もないし。
粹廷 : 意外だね?
惟碩 : 知っての通りあの死体は俺が造ろうとしたものじゃないからな。わざわざ俺がやらせて得になることもないだろうし。
粹廷 : まあね。オンニが言ってたよね。
なかなかもっともらしいとばかりに頷いた。しかし深い胸の内では腑に落ちない気分が粹廷の頭の中に残り続けていた。
粹廷 : まあ、どこか別のところに使うつもりがあるのね。でも、オッパがやるんでもなければ、直接管理するって?
惟碩 : いや。
惟碩の否定に、粹廷がしらけた面倒くささを見せた。
粹廷 : あ、私忙しいんだけど。ほんと、身体は一つなのに。
粹廷のぼやきは気にも留めず、惟碩が座っていた席から立ち上がりながら卷子を再び粹廷に渡した。
惟碩 : 逃亡者は? 連絡ついた?
粹廷 : あ、だからオッパが使う死体がもう一つ必要なわけね? 逃亡者を探ってみろって言ってたもんね。
粹廷の問いに惟碩は答えなかった。粹廷がまだ飲み干していない自分のコーヒーを置いて席を立ちながら、外へ出て行く惟碩を見送った。惟碩がしばし立ち止まって粹廷をちらりと振り返った。惟碩が何か思い出したのか、固く結んでいた口元をわずかに上げた。
惟碩 : 噂がけっこう立ってたぞ。
粹廷 : どんな?
惟碩 : 集賢館の館長とお前。
粹廷がしばし呆けた表情を浮かべてから狂ったように笑い始めた。冷たいが落ち着いていた粹廷には似つかわしくない軽薄な笑いだった。落ち着いていたカフェの静寂が一気に砕ける感じだった。惟碩がそんな粹廷の調子に合わせ、もう少し濃い笑みを返した。笑いをしばし収めた粹廷が、息を整えながら答えた。
粹廷 : 私は、自分でも男女気にしないほうだとは思うけど、しょうがないじゃん。うちのダン(단)の中には女ばっかりなんだから。その手で育ったんだし、仕方ないでしょ。でも、それは違う。あんな小綺麗なだけのお堅い人は私の好みでもないし。融通きかない人、勘弁。
笑いの引かない粹廷がどうにか堪えながら吐いた言葉だった。惟碩がそんな粹廷の言葉に軽い同意を返した。
惟碩 : で、付き合ってる人はいるのか?
粹廷 : は。時間がどこにあるのよ。あれだけ仕事押しつけといて。ダンチョウにしても、オッパにしても。それと、オッパを小さい頃から見てきて互いに近いのは確かだけど、私のプライベート、あんまり掘り返さないで。巫女ばっかりだから、後ろ指さされることじゃないとはいえ、誇示したいわけじゃないから。
粹廷の言葉を後に惟碩が頷きながら先にカフェを出た。粹廷は惟碩をもう見送らなかった。粹廷が席に再び座ってからどこかに電話をかけた。カフェの外に出た惟碩も歩を進めながらどこかに電話をかけていた。
Scene 20.
瑞娥が出て行った後の空間には陰湿な気配だけが残っていた。じめついた地下室だった。冷たく冷えた死体たちと、肉が死にゆくように腐り始めた連曦、そして瑞娥を行かせるほかなかった知暎だけがいた。揺れる天井の照明がときおり照らし出す残酷さは、血と肉片にとどまらなかった。連曦を腕に抱いたまま、自分のせいだとばかりに、深く押し寄せる怒りをじっと堪えていた。ふっくらした唇を噛んだ後、手を払うように軽く振った。知暎の左手首にある黒い腕輪が澄んだ音とともに細かく砕け、細い鉄糸を四方に散らした。床に倒れたまま肌が黒く焦げ始めた連曦を助け始めた。乱れた髪と衣服を整えてやったが、知暎の腕に凭れるように抱かれた連曦は次第に薄れゆく息遣いを漏らすばかりで、肌を紫色に染めていく毒物を退けることはできそうになかった。床に落ちた柄を拾い、連曦の服の袖の一部を切り裂いた。思いのほか深く入り込んでいるようだった。紫色に死にゆく連曦を支えるように抱いた知暎が、手首をもう一度軽く払った。黒い鉄糸が見えないほどさらに細く砕けた。意識を失った連曦の腕と脚に突き刺さっていった鉄糸の先端。遅れて痛みを感じた連曦が知暎に抱かれたまま身体をびくりとさせた。すべての毒を鉄糸で引き抜こうとするかのように、意識を失ったままかろうじて息だけを繋いでいた連曦の肌を掻き分けて入った鉄糸が、血管に沿って肉の内を目まぐるしく巡った。意識を失った連曦の口から黒ずんだ血が流れ出し始めた。肌の内を掻き回していた鉄糸を力いっぱい引き抜くと、肌の中にあった紫色の毒物が外へ一斉に噴き出した。青ざめていた顔色が次第に安定を取り戻していった。もう少し離れたところに転がった、肉片だけが残った誰かの下半身から着信音が鳴った。まだ意識の戻らない連曦をそっと下ろした後、散らばる鉄糸を腕輪に戻した。電話に向かって歩いた知暎が、下半身だけ残った人間のポケットをめくっては血に塗れた電話を取り出した。
惟碩 : 出るの遅いな。
知暎 : 全員死んだから。
Scene 21.
薄暗い駐車場を横切り、停めておいた自分の車に近づいた惟碩が、歩をぴたりと止めた。容易く成功するはずがないとは思っていたが、憎悪を含んだ見知らぬ声に、怪訝さが先に感じられた。
惟碩 : 俺の知ってる声じゃないな。
電話の向こうの人間がこれ以上通話する価値はないとばかりに、電話を切った。電話を持っている理由がなくなった惟碩が、薄い溜息と笑みを浮かべたまま、電話をポケットにしまった。
Scene 22.
電話を床に置いてからヒールで荒々しく踏み潰した。意識を失っていた連曦が身体を辛うじて起こすと、立っていた知暎が急いで連曦に向かって近づこうとした。ここに長くいるわけにはいかないとばかりに、意識の戻った連曦にもう少し近づいたが、連曦は近づいてきた知暎にも怯えたように、不自由な身体を懸命に動かして知暎からできるだけ遠ざかろうとした。マスクを被りキャップまで目深に被ったまま、他人の血を浴びた知暎が怪しく見えるのも無理はなかった。意識をかすかにでも取り戻した連曦が、怯えた表情のまま自分を介抱しようと手を差し伸べていた知暎をゆっくりと見つめた。知暎は何も言わなかった。ぼんやりした意識の向こうに見えていた誰かの助けがふと思い浮かんだ。少し前から助けてもらっていたその誰かの風体そのままだった。知暎を見つめた後、遅れて済まなそうな様子を見せた。
連曦 : す、すみません。
知暎は連曦の狼狽を大したことではないと見なした。今しがた中毒からかろうじて脱したばかりの連曦が、短い挨拶を最後に再び意識を失った。このまま連曦を置いて去るわけにもいかなかった。知暎が連曦を急いで背負い、素早くその場を離れた。
