胡蝶別曲 (나비별곡) : 乱れ蝶の詩 (みだれちょうのうた)

本作は現在、MUNPIA、Royal Road、エブリスタ、ノベマ!、Purrfiction、アルファポリスにて、著者本人が直接連載を行っている公式原稿です。


Scene 01.

閑寂な居処にて、薄い두루마기(周衣:トゥルマギ)を羽織りながら庭へ踏み出した버선(襪:ポソン)の足が一つ。落ち着いた手つきで出てきた部屋の戸を閉じた後、古い木の縁側から歩を進め、운혜(雲鞋:ウンヘ)が置かれた댓돌(堦石:デッドル)へ向かった。履きやすい位置に据えられた雲鞋を履いた後、長い치맛자락の佇まいを整えた。堦石の前庭にて、유석(惟碩:ユイセキ)が수정(粹廷:スジョン)と희진(熙珍:ヒジン)を伴い、共に團長の歩みを出迎えていた。

團長 : 早くから出ておったな。

惟碩 : はい。本日より候補者を追う予定です。もしや、別途ご指示なさることがおありかと思い、早くに参じました。

團長が惟碩の言葉をしばし噛み締めるように思案した後、静かに微笑みながら惟碩を激励した。

團長 : ただ、無理はしないでほしいものだ。皆。


Scene 02_虚像.

ある洗練された大理石が床を覆い尽くした廊下。おびただしく死んだ人間の数は、数えることすらできぬほどに転がっている。지윤(智胤:ジユン)は目の前でしゃがみ込まされたまま恐怖に震える一人の女を前に立っている。

智胤 : いい加減メソメソ泣くな。悔しいのはわかるけど、あたしもどうしようもないんだよ。

シャンデリアの向こうに大理石が飾られたホテルのロビー。入口ロビーからさほど遠くない距離で繰り広げられる惨状に、用事のためロビーへ出ようとした宿泊客たちが悲鳴と共に来た方へ慌てて引き返した。智胤が呆れた嘲笑を細めた目と共に投げた。従業員であることを示す名札の上へ、跪いた女の涙が落ちた。智胤が銃口をちらつかせ、女に智胤自身を無理やり見させた。

智胤 : 生きたい? 生かしてあげよっか?

化粧が涙でぐちゃぐちゃになった女の頭が、必死に頷いた。智胤が唇を尖らせながら自分の腰元へ銃を差し込んだ。

智胤 : 三つ数えてあげるから。あたしの目に映らないように逃げてみな。目、閉じてるから。

銃を差し込み目を閉じるよりも前に、女が慌てて身を起こしロビーの出入口へ身を走らせる。智胤は数を数えることすらせず、すぐさま自分の腰元から銃を抜き、逃げていた女の脚を撃ち抜いた。

智胤 : ちぇっ。目ぇ閉じたら走んなきゃ。

二歩ほど進んだだけの女が、力なくロビーに置かれたソファの脇へうつ伏せに倒れた。ポケットに入っていた電話を見て時間を計った後、これではいけないとばかりにうつ伏せの女の方へゆっくりと歩を進める智胤。女は必死に、自分に向かって近づく智胤から遠ざかろうと入口のガラス扉へ這い始めた。智胤は獲物を弄ぶような悠然とした足取りで銃をちらつかせ、女の鈍い動きに合わせて軽い口笛と共に歩を進めた。女の手がいつしかガラスで造られた出入口に辿り着いた。大きなガラスで成る出入口を絶望的な手つきで押してみるが、押し開かれた出入口から立ち上がることもできない女は、外へ出ることができなかった。女が諦めたように振り向いて座り、自分に向けられた銃口を見つめた。がらんとしたロビーへ智胤の靴音と嘲りの混じった笑い声だけが響いた。その静寂を打ち砕いたのは智胤の手に握られた銃口であった。悲鳴を上げる間もなく貫かれた女の頭。流れ出る血を慣れた手つきで智胤自身の親指に押し付けては、懐から取り出した瓶の中へ丁寧に収めた。口笛と共に歩を進め、悠々とホテルの外へ抜け出す智胤。今日は仕事が二つも控えているため、素早く動かねば次の場所へ辿り着けないだろう。このホテルの雰囲気を堪能したかった智胤は、惜しい未練が残るように出入口の扉を押し開けたまま振り返り、わずかに顔をしかめた。智胤が押し開けた出入口の中へ、黒い韓服姿の정현(正賢:ジョンヒョン)が入ってきた。

智胤 : あ、正賢オンニ。久しぶりじゃん?

正賢が智胤の嬉しげな挨拶にも何一つ応えようとしなかった。長身の正賢が無愛想な表情でホテルのロビーを横切った。四方が血に染まった内部を見渡しては、手に持っていた小さな瓢箪の蓋を開け、床に落ちた血痕を収めた。智胤が正賢の背後で嘲るような罵声を含んだ。

智胤 : あ、シバル女が。相変わらずだね。人を無視するのは。

正賢 : 死体と口をきく気はないから。黙って失せろ。密室(密室:ミッシツ)に引きずり込む前に。

智胤 : 事務長の兄上がそれを黙って放っておくって?

正賢 : 團長が知れば、お前の首を放ってはおかないだろうな。ただの雇われ風情として報せてあるから、事務長も空気を読んで、加減して暴れるだろうよ。だから、死体の分際であまり調子に乗るな。

正賢が手を振ると白い紙が一枚、正賢の手に生まれた。正賢があらかじめ仕掛けておいたカメラの前の紙片。内部に据えられたすべての閉回路カメラに被さっていた紙が一斉にカメラのすべてを壊した。軽い手振りを送ると、散っていた紙片がすべて燃え上がり、痕跡すら残さずに消え去った。正賢が振り返った後、嘲り続ける智胤を見て嗤った。

正賢 : それにしても、お前もいかさまは相変わらずだな。くだらない死体になってからも。

智胤 : 褒め言葉でしょ? それ。

正賢がもう一度手を振ると、四方から巨大な紙の束が降り注いだ。ホテルのロビーに染みた赤い血を紙がすべて吸い込み、やがてすべての殺戮現場を綺麗に拭い去った。ガラス扉を押そうとしていた、すでに死んでしまった女の死体も紙に覆われたまま潰れるように縮み、いつしか跡形もなく消えた。ホテルに漂う時間が立ち止まった。正賢が再び手を振ると、すべての紙が青く燃え上がり床に軌を描いた。軌から立ち昇る青い煙がホテルのロビーをしばし満たす間、ロビーの時計が緩慢に動きながら逆回りするように動いた。正賢の手が再び振り払われた時、すべての軌と紙の痕跡が消えた。内部カメラを壊していたすべての紙も青く燃え上がり、灰の一片も残さずに消え去った。

智胤 : オンニはトッケビと相変わらず仲クソ悪いみたいだね? インブルも使えないの見ると。

正賢 : トッケビ如き。知ったことか。

智胤 : あはー。そうですかー?

正賢が智胤の低俗な嫌味にも格別怒りを見せはしなかった。

正賢 : お前のような低俗な體術士(體術士:チェスルサ)に何がわかる。呪術士の足元にも及ばないのだから、事情を知るはずもない。お前のような低俗な死体にはよくわからないだろうよ。裏の事情など。

智胤 : あー、はいはいー。裏の事情たっぷり抱えて犬みたいに吠えてくださいよ。犬の務めでもきちんと果たしてくれないと、こぼれ落ちるエサも舐められないでしょうからね。

智胤が嘲りと共に場を離れた。正賢は最後まで嘲笑を含んだまま、何事もなかったかのように普段通りに動くホテルのロビーの待合席へ近づき腰を下ろした。ポケットから煙草を一本取り出し口に咥えた。영민(永敏:ヨンミン)が後に続いて入ってきた後、正賢の煙草を取り上げた。

永敏 : 最近、大抵の場所は全部禁煙だよ。

正賢 : 咥えてるだけだよ。やめてからいつになると思ってんの。

永敏 : 他人がそんなの気にしてくれるわけでもないし。

正賢 : 朝っぱらから死体と絡んだら、地味にクソだるいわ。

永敏 : それでも昔みたいにカッとならないんだ? 意外だね?

正賢が長いストレートの髪をかき上げながら身を正して座った。

正賢 : あの妹をぶっ殺すまでは少し、自重するつもり。そのとき牙を剥いても遅くないし。

永敏 : あ、逃亡者? 最後まで追うの? もう死んでるかもしれないのに。

正賢 : 家の有様が話にならなかった。あのクソ女のせいで。仮面を被ってへつらって、やっと飯にありつける始末だったから。

永敏 : でも、反乱起こしたのはあんたとあんたの親父でしょ? それを止めたのは成賢(成賢:ソンヒョン)だし。あんたが怒る理由があるの?

正賢 : 成功しなきゃいけなかったからだろ? ご立派な正義感でそれを阻んで失敗させたからだろ? おかげであのシバル囁きだか何だかっていう女はどこかへ消えて死にやがったし、あたしらだけ泥を被ったのに、怒らないわけがないだろ?

永敏が正賢のソファの向かい側へ席を移して座った。

永敏 : それでも、復讐の機会をくれてやるつもりで、事務長が逃亡者に格下げしたじゃない? あんたは生き残って、あの교정관(敎正館:キョウセイカン)の長にまで座を得たし。

正賢 : 座? 周りに座を得た女たちを見てみなよ。姉貴を筆頭にまともな女がいるか。せいぜい何、都連曦? 宋熙珍? あ、筋肉バカの鄭伊仙? あの三人以外は全部あたしレベルじゃん。これ、いつでもまとめてあたしらの首を刎ねるって話じゃないの? それに感謝しろっていうの?

永敏 : まあねー。中位の家門か下位の家門程度にしかならない미연(美延:ミヨン)とか、주희(珠希:ジュヒ)、예주(藝珠:イェジュ)を見ると、その腹積もりの方が大きそうだよね。

正賢 : コンが、せこく頭転がすの見てやるのも限界があるっつーの。

永敏 : コンが限界を超えたらどうするっていうの? あんた如きが。

正賢が永敏と荒い話を交わした。正賢の意気込んだ覚悟に、永敏が嘲るように嗤ったが、正賢にもこれといった方法が浮かんでいなかった。納得するように頷いた正賢が、身を起こした。

正賢 : 一番クソなのが何かわかる?

正賢が口に火のない煙草を咥えたまま、そっとフィルターを噛んだ。

正賢 : あいつなりには全部やってやったと恩着せがましいことをしたってことだよ。あたしらにはピクリとも文句を言わせずに。


Scene 03.

연희(連曦:ヨンヒ)がホテル内部のモニタリング室にて、起こしていた흰 모래(白砂:フィンモレ)を収めていた。連曦の傍らには智胤が確かに殺したはずのホテルの女性従業員が、血の一滴も流れていない姿で静かに眠るように意識を失ったまま倒れていた。モニタリングをしていたすべての職員もしばし身を伏せたまま、浅い眠りに落ちたように見えた。連曦がモニターの向こう側でいがみ合っていた永敏と正賢が姿を消した様子をすべて見届けていた。内部の防犯カメラはただの一つも壊れてはいなかった。すべての姿と音まで確かめていた連曦が、二度目の患難を言及していた正賢の言葉を噛み締めようとした刹那、微かな頭痛が感じられた。連曦が手で横の髪をそっと撫でた。二人が席を空けた様子を再び確かめた後、青い雲鞋を運びモニタリング室を離れた。最後の手振りを送りながら扉を閉じると、眠りに落ちていた全員が驚いた面持ちで伏せていた身を起こした。