Scene 05.
早い夜明け前だった。日付を越えたばかりの刻。暁の闇深くに据わる暗がりの中で、子供のように母と一緒に眠っていた知暎(知暎:ジヨン)が、静かに身を起こした。深く眠る以心(以心:イシム)が目を覚まさぬほどゆっくりと動いた知暎が、扉を開けて居間へ向かった。静かに居間の浴室へ入った知暎が、扉に鍵をかけ、洗面台の上に手首の腕輪を外して置いた。片方の手には、まだ癒えぬ傷を手当てするために巻かれた包帯が据わっていた。洗面台を両手で力いっぱい掴み、かろうじて身を支えていた知暎の肩が震えた。知暎が一人、密かに泣いた。誰にも聞こえぬほど小さく、息を殺して泣いていた。いつも気丈な姉、あるいは娘、誰も知暎の内に垂れた影に気づかぬほどに、普通の人間でいると決めたゆえに、外に表れる感情は極力隠そうと努めていた。しかし、いざ所姬が後悔しないと決めたというあの覚悟が、その結果が、知暎の胸の堰と恐れと悲しみを呼び起こした。崩れゆく堰は、今のようなすべてが残り少ないことを告げていた。浴室で声すら立てずに顔を強張らせた知暎が、己の泣き声を隠していた。母にも悟られまいと、ヒョンサと呼ばれる遺物(イブツ)まで外しておいた。状況と感覚を共有するがゆえに、知暎の今を母に知らせてしまうことは明らかだった。ひとりでに足の力が抜け、知暎がタイルの上にへたり込んだ。身を鞠のように丸め、溢れる涙を堪えずに泣いた。一人残された知暎が、さらに深く身を縮めた。知暎にできることは、ただ大丈夫だと自分に言い聞かせる誓いと暗示だけだった。浴室の扉の向こうから聞き馴染んだ声が聞こえてきた。いつまでも恋しい母の声だった。優しい声だった。
知暎。
知暎 : お母さん。
知暎の幼子のような嗚咽は、隠しようもないほど崩れた感情をそのまま扉の向こうへ伝えた。けれど母が扉を開けないでほしかった。以心もまた、知暎が乗り越えると信じていた。扉の向こうから聞こえてくる以心の柔らかな声が続いた。
どれほど辛いだろうね。うちの長女。
知暎 : うん。そう。私。ほんとは。大丈夫じゃない気がする。
扉に近づいた声が、少しだけ近くに聞こえた。知暎が近づいた気配へ向けて、少し急いた声を投げた。
知暎 : 開けないで。お願い。ただ、出て行って、出て行って見てて。今は。堪えられない。どんどん出てきちゃうから。
ええ。待ってるわ。
知暎の目から涙が止まらなかった。すすり泣きを零しながら、向こう側から聞こえてくる柔らかな声を感じていた。
長い時間だったわね。うちの知暎がお母さんを大切にしてくれて。お母さんが一番よく知ってる。だからうちの知暎が一番辛いでしょうね。誰の前でも表に出すまいとするから。一番辛くて悲しいはずなのに。ごめんね。お母さんがそんな荷物を渡してしまって。あなたが大丈夫だよって笑って私の手を握ってくれた時も、お母さんがどれだけ申し訳なかったか、あなたにはわからないでしょうね。何一つ大丈夫じゃないはずだから。重い荷を背負うことになったと知った時、近づいてくる別れとその重さを受け止めなければならないと知った時、うちの長女の知暎は「死ぬ人が一番悔しいよ、生きて残った人が何を悔しがるの」って。いつも笑ってお母さんから先に慰めてくれたこと、お母さんはちゃんとわかってるよ。
以心が浴室に座り、泣き止まぬ知暎へ穏やかな励ましを伝えた。
ほんとはお母さんも、うちの娘たちと最後まで一緒にいたい。でも時間はだんだん迫ってくるのよ。だからもっと一生懸命に生きることにしたの。うちの長女を見ながら。あんな幼い子でさえ後悔したくないってあんなに頑張ってるのに、お母さんが振り回されちゃだめよねって。
知暎が、埋めるように伏せていた頭をゆっくりと上げた。
うちの長女、姜知暎。あなたが出てきたい時に出てきて。お母さんもうちの娘を悔いなく見つめていたいから。
知暎が腰を屈め、幼子のようにのそのそと這い、閉ざされていた浴室の扉をゆっくりと開いた。もう何の音も聞こえなかった。すすり泣くように零れていた自分の涙も、胸の奥深くに残っていた怒りの代わりに据わっていたやるせなさも。何も感じられず、何も聞こえなかった。
Scene 06.
始緣(始緣:シヨン)が己のバイクを荒々しく駆った。暁の空ぶ通りを時折すれ違うのは、清掃を進める車両と、配達を遅らせまいと急ぐ軽トラックばかりだった。始緣の薄い上着が、速く走るバイクの風に容赦なく翻っていた。長い車線を掠めるように過ぎ、点滅信号の彼方へ素早く消えてゆくバイクの排気音。始緣が繁華なとある通りの片隅でバイクを唐突に止めた。早い時間にもかかわらず、相当数の人間が酔いに任せた足取りで行き交っていた。一歩退いて他人の目線で眺めることができた。多くの思いが掠めるように過ぎた。始緣が腰に差した銃器を片手で撫で、バイクのエンジンを切って歩道へ降り立った。始緣が手で銃器を取り出し、スライドを引いた後、中に残る装弾数を確認した。手慣れた手つきだったが、まだ始緣は自分でもぎこちないと感じていた。銃器を再び腰に挿し込んだ後、ヘルメットを外してバイクの座席の上に置き、手首に掛けておいた所姬の帽子を深く被った。殺す気はまったくなかった。出くわしたくもなかった。死んだ場所にもう一度戻ってみただけだった。始緣が歩を進め、自分の血痕がまだ残っているように見えるあるホテルの入口へ向かった。高級な大理石が馴染み深かった。始緣がロビーへ続く大理石の上に静かに立ち、膝を下ろした。大理石の上はきれいに拭き取られていたが、その隙間に残る血痕が始緣の目にはっきりと映っていた。死んだという事実は知っていたが、自分の血痕を実際に目にする行為は、また別のやるせなさを呼んだ。後悔はしなかった。確信が必要だった。そしてその確信を得た以上、始緣は長く留まるつもりはなかった。始緣がゆっくりと身を起こし背を向け、自分のバイクへ再び歩き出そうとした時、聞き覚えのある声が始緣の背後から聞こえた。
成賢(成賢:ソンヒョン) : 始緣オンニ??
始緣の歩みがその場に止まった。迷った。悩んだ。このまま行っても構わないことだった。だが、自分がまだ死んでいなかった頃の記憶を持つ者の声を聞いた途端、始緣は迷わずにはいられなかった。背後から近づいてくる成賢の足音が、少し速く動く音を立てた。こつこつと鳴るヒールの音すら馴染み深かった。始緣が決心したように、止めていた歩みを再び進め、自分のバイクへ向かった。成賢が始緣の気配を見誤ったかと思い、訝しむばかりで、それ以上始緣を追わなかった。
Scene 07.
昨夜、気力が尽きるほど泣いた知暎の大きな目がぱんぱんに腫れていた。以心が丁寧に韓服を着こなした後、自分のベッドで深く眠る知暎を見つめた。不安が押し寄せたのか、知暎はめいっぱい身を丸めたまま赤ん坊のように眠っていた。丸まった眠りを求める知暎が、以心には背の高い赤ん坊のようにしか思えなかった。行くという挨拶をするか迷った以心。すぐ明日消えるわけではなかったゆえに、知暎の眠りをもう少し守ってやることにした。襪(ポソン)のまま足を運び、静かに暁の扉を出た。しばしの後、知暎がめいっぱい丸まったまま布団の中で身を起こした。実は、一睡もできていなかった。母が出て行く瞬間まですべてを浅い眠りの中で感じ取っていた知暎が、以心が外へ出ると寝返り一つなく、丸めた身をゆっくりと伸ばし、ベッドに身を起こした。低い溜息をこぼした。声を上げて泣いた昨夜の時間のおかげで、知暎は自分を鎮めることができた。知暎にも時間が必要だということを、以心が知らぬはずはなかった。枕元に書き置きが一つ、置かれていた。
-以心 : 所姬、時間できたって。遊園地。行くわよ。行くから。行くっていうの。いい? そのかわりあなたもご飯食べてから出なさい。絶対。腕輪で見張ってるから。-
妙な恨めしさを込めた以心の文字だった。そのいたずらめいた恨めしさを感じた知暎が、思わず明るい笑みを浮かべた。
早い夜明け前だった。日付を越えたばかりの刻。暁の闇深くに据わる暗がりの中で、子供のように母と一緒に眠っていた知暎(知暎:ジヨン)が、静かに身を起こした。深く眠る以心(以心:イシム)が目を覚まさぬほどゆっくりと動いた知暎が、扉を開けて居間へ向かった。静かに居間の浴室へ入った知暎が、扉に鍵をかけ、洗面台の上に手首の腕輪を外して置いた。片方の手には、まだ癒えぬ傷を手当てするために巻かれた包帯が据わっていた。洗面台を両手で力いっぱい掴み、かろうじて身を支えていた知暎の肩が震えた。知暎が一人、密かに泣いた。誰にも聞こえぬほど小さく、息を殺して泣いていた。いつも気丈な姉、あるいは娘、誰も知暎の内に垂れた影に気づかぬほどに、普通の人間でいると決めたゆえに、外に表れる感情は極力隠そうと努めていた。しかし、いざ所姬が後悔しないと決めたというあの覚悟が、その結果が、知暎の胸の堰と恐れと悲しみを呼び起こした。崩れゆく堰は、今のようなすべてが残り少ないことを告げていた。浴室で声すら立てずに顔を強張らせた知暎が、己の泣き声を隠していた。母にも悟られまいと、ヒョンサと呼ばれる遺物(イブツ)まで外しておいた。状況と感覚を共有するがゆえに、知暎の今を母に知らせてしまうことは明らかだった。ひとりでに足の力が抜け、知暎がタイルの上にへたり込んだ。身を鞠のように丸め、溢れる涙を堪えずに泣いた。一人残された知暎が、さらに深く身を縮めた。知暎にできることは、ただ大丈夫だと自分に言い聞かせる誓いと暗示だけだった。浴室の扉の向こうから聞き馴染んだ声が聞こえてきた。いつまでも恋しい母の声だった。優しい声だった。
知暎。
知暎 : お母さん。
知暎の幼子のような嗚咽は、隠しようもないほど崩れた感情をそのまま扉の向こうへ伝えた。けれど母が扉を開けないでほしかった。以心もまた、知暎が乗り越えると信じていた。扉の向こうから聞こえてくる以心の柔らかな声が続いた。
どれほど辛いだろうね。うちの長女。
知暎 : うん。そう。私。ほんとは。大丈夫じゃない気がする。
扉に近づいた声が、少しだけ近くに聞こえた。知暎が近づいた気配へ向けて、少し急いた声を投げた。
知暎 : 開けないで。お願い。ただ、出て行って、出て行って見てて。今は。堪えられない。どんどん出てきちゃうから。
ええ。待ってるわ。
知暎の目から涙が止まらなかった。すすり泣きを零しながら、向こう側から聞こえてくる柔らかな声を感じていた。
長い時間だったわね。うちの知暎がお母さんを大切にしてくれて。お母さんが一番よく知ってる。だからうちの知暎が一番辛いでしょうね。誰の前でも表に出すまいとするから。一番辛くて悲しいはずなのに。ごめんね。お母さんがそんな荷物を渡してしまって。あなたが大丈夫だよって笑って私の手を握ってくれた時も、お母さんがどれだけ申し訳なかったか、あなたにはわからないでしょうね。何一つ大丈夫じゃないはずだから。重い荷を背負うことになったと知った時、近づいてくる別れとその重さを受け止めなければならないと知った時、うちの長女の知暎は「死ぬ人が一番悔しいよ、生きて残った人が何を悔しがるの」って。いつも笑ってお母さんから先に慰めてくれたこと、お母さんはちゃんとわかってるよ。
以心が浴室に座り、泣き止まぬ知暎へ穏やかな励ましを伝えた。
ほんとはお母さんも、うちの娘たちと最後まで一緒にいたい。でも時間はだんだん迫ってくるのよ。だからもっと一生懸命に生きることにしたの。うちの長女を見ながら。あんな幼い子でさえ後悔したくないってあんなに頑張ってるのに、お母さんが振り回されちゃだめよねって。
知暎が、埋めるように伏せていた頭をゆっくりと上げた。
うちの長女、姜知暎。あなたが出てきたい時に出てきて。お母さんもうちの娘を悔いなく見つめていたいから。
知暎が腰を屈め、幼子のようにのそのそと這い、閉ざされていた浴室の扉をゆっくりと開いた。もう何の音も聞こえなかった。すすり泣くように零れていた自分の涙も、胸の奥深くに残っていた怒りの代わりに据わっていたやるせなさも。何も感じられず、何も聞こえなかった。
Scene 06.
始緣(始緣:シヨン)が己のバイクを荒々しく駆った。暁の空ぶ通りを時折すれ違うのは、清掃を進める車両と、配達を遅らせまいと急ぐ軽トラックばかりだった。始緣の薄い上着が、速く走るバイクの風に容赦なく翻っていた。長い車線を掠めるように過ぎ、点滅信号の彼方へ素早く消えてゆくバイクの排気音。始緣が繁華なとある通りの片隅でバイクを唐突に止めた。早い時間にもかかわらず、相当数の人間が酔いに任せた足取りで行き交っていた。一歩退いて他人の目線で眺めることができた。多くの思いが掠めるように過ぎた。始緣が腰に差した銃器を片手で撫で、バイクのエンジンを切って歩道へ降り立った。始緣が手で銃器を取り出し、スライドを引いた後、中に残る装弾数を確認した。手慣れた手つきだったが、まだ始緣は自分でもぎこちないと感じていた。銃器を再び腰に挿し込んだ後、ヘルメットを外してバイクの座席の上に置き、手首に掛けておいた所姬の帽子を深く被った。殺す気はまったくなかった。出くわしたくもなかった。死んだ場所にもう一度戻ってみただけだった。始緣が歩を進め、自分の血痕がまだ残っているように見えるあるホテルの入口へ向かった。高級な大理石が馴染み深かった。始緣がロビーへ続く大理石の上に静かに立ち、膝を下ろした。大理石の上はきれいに拭き取られていたが、その隙間に残る血痕が始緣の目にはっきりと映っていた。死んだという事実は知っていたが、自分の血痕を実際に目にする行為は、また別のやるせなさを呼んだ。後悔はしなかった。確信が必要だった。そしてその確信を得た以上、始緣は長く留まるつもりはなかった。始緣がゆっくりと身を起こし背を向け、自分のバイクへ再び歩き出そうとした時、聞き覚えのある声が始緣の背後から聞こえた。
成賢(成賢:ソンヒョン) : 始緣オンニ??
始緣の歩みがその場に止まった。迷った。悩んだ。このまま行っても構わないことだった。だが、自分がまだ死んでいなかった頃の記憶を持つ者の声を聞いた途端、始緣は迷わずにはいられなかった。背後から近づいてくる成賢の足音が、少し速く動く音を立てた。こつこつと鳴るヒールの音すら馴染み深かった。始緣が決心したように、止めていた歩みを再び進め、自分のバイクへ向かった。成賢が始緣の気配を見誤ったかと思い、訝しむばかりで、それ以上始緣を追わなかった。
Scene 07.
昨夜、気力が尽きるほど泣いた知暎の大きな目がぱんぱんに腫れていた。以心が丁寧に韓服を着こなした後、自分のベッドで深く眠る知暎を見つめた。不安が押し寄せたのか、知暎はめいっぱい身を丸めたまま赤ん坊のように眠っていた。丸まった眠りを求める知暎が、以心には背の高い赤ん坊のようにしか思えなかった。行くという挨拶をするか迷った以心。すぐ明日消えるわけではなかったゆえに、知暎の眠りをもう少し守ってやることにした。襪(ポソン)のまま足を運び、静かに暁の扉を出た。しばしの後、知暎がめいっぱい丸まったまま布団の中で身を起こした。実は、一睡もできていなかった。母が出て行く瞬間まですべてを浅い眠りの中で感じ取っていた知暎が、以心が外へ出ると寝返り一つなく、丸めた身をゆっくりと伸ばし、ベッドに身を起こした。低い溜息をこぼした。声を上げて泣いた昨夜の時間のおかげで、知暎は自分を鎮めることができた。知暎にも時間が必要だということを、以心が知らぬはずはなかった。枕元に書き置きが一つ、置かれていた。
-以心 : 所姬、時間できたって。遊園地。行くわよ。行くから。行くっていうの。いい? そのかわりあなたもご飯食べてから出なさい。絶対。腕輪で見張ってるから。-
妙な恨めしさを込めた以心の文字だった。そのいたずらめいた恨めしさを感じた知暎が、思わず明るい笑みを浮かべた。
