胡蝶別曲 (나비별곡) : 乱れ蝶の詩 (みだれちょうのうた)

Scene 02.

희진(熙珍:ヒジン)が、自分を待ちながら眠りに落ちたらしい정인(貞仁:ジョンイン)のもとへ、隣の椅子に置かれた두루마기(周衣:トゥルマギ)を手に取り、起こさぬほどにそっとかけてやった。落ち着いた空間の집현관(集賢館:シュウケンカン)には、かなり多くの種類の書籍が並べられていた。熙珍が貞仁の眠りを覚まさぬよう、木の床の上を音もなく歩いた。うつ伏せて眠っていた貞仁が気配を感じたらしく身じろぎしたが、熙珍の足音にもかかわらず相当深い眠りについていた。熙珍が書架の間に設けられた狭い通路に沿って道を辿った。幾重にも迷路のように並んだ書架の間を手慣れた足取りで歩いた熙珍が、梯子を持ってきて高い場所にある一冊の書を取り出した。書というよりは두루마리(卷子:トゥルマリ)に近い形だった。びっしりと埃の積もった書冊を取り出した熙珍が、梯子にそのまま寄りかかるように座ったまま、中身を慎重に確かめた。いつ崩れてもおかしくないほど危うく見える布の切れ端が、熙珍の手が動くたびにかさかさと音を立てた。今の漢字でもハングルでもない、古い文字だった。熙珍が卷子を膝にいったん載せ、懐から小さな手帳を取り出して、まだ解読の終わっていない残りの文を確かめていた。手帳に記された古い言語の記号を一つずつ照合しながら読み下した文言には、いわゆる案內者と称される予言者たちの特徴が記されていた。特徴というのは長所ばかりではなかった。案內者が持つ先天的な限界や短所も記録されていた。熙珍が手帳の上に黒い文字を書き加えながら、卷子の内容を書き写していた。向こうからがさがさと音が聞こえた。深く眠り込んでいた貞仁が背伸びとともに体を思いきり伸ばし、目を覚まそうとする気配を知らせた。熙珍は見ていた文書をゆるりと巻いて再び元の場所に戻し、梯子からそろそろと足を下ろしていった。貞仁が背後に感じた熙珍の気配にうつ伏せていた体を起こした。思いきり背伸びをしながら歩を進めた貞仁が、目を擦って溜まっていた目やにを取りながら近づいてきた。熙珍が梯子をすべて下り終えたとき、貞仁が寝ぼけた声で熙珍に挨拶を送った。

貞仁 : お帰りですか。

熙珍 : 起こさないように静かにしてたんだけど。

貞仁 : まだ決裁もらえてない書類もありますし。ちょうど実録も読み終わったところで。ちょっと目を閉じてただけなんです。

熙珍 : 週末なのにまた仕事してたの。

貞仁が両腕を伸ばし、背伸びをめいっぱいに引き上げた。熙珍も小さくない背丈だったが、貞仁も熙珍とほとんど同じ体格をしていた。長い腕が隣の書架を無意識に触れたとき、貞仁がはっと驚いて背伸びを途中で止め、熙珍の軽い叱りに答えを返した。

貞仁 : 最近、雰囲気も物騒ですし、鍵がどうのこうので、どんどん仕事が回らなくなってる気がするんですよ。また手頃なのが集賢館ですから、仕事が押し寄せたらもうどうにもならないじゃないですか。

熙珍が軽く笑いながら貞仁の判断を尊重する一方で、自分の優柔不断な外見上の振る舞いに申し訳なさをにじませた。

熙珍 : 私が断るべきときに断ってあげなきゃいけないのに。ごめんね。

貞仁が驚いた表情を浮かべた。そういう意味ではなかったということは熙珍も当然分かっていたが、否定を伝えなければ貞仁の言葉が事実のように残りかねなかった。貞仁が両手を懸命に振って熙珍の謝罪を押しとどめた。

貞仁 : あ、そういうことじゃなくて、ただ週末に仕事する件数を考えると、それが。ええと。特に出かけて遊ぶ場所もないし。散歩も飽きるし、登録してたユーチューブも全部見ちゃったし。それと。ええと、あの。

貞仁のしどろもどろに熙珍が軽く笑いながら貞仁の肩を掴み、体を後ろへ向けてやった。その場から離れようという勧めを自ら体で示した熙珍が、貞仁の肩を包むように後ろから押しながら、集賢館の狭い書架の間を抜け出た。


Scene 03.

所姬が始緣の手を離し、始緣を横たえようとした。始緣がするりと離れた所姬の手を最後まで見つめていた。所姬が始緣のぼんやりした表情を見て、素っ気ない叱りを投げた。

所姬 : 何してんの。横になって。

始緣 : え、ん? ん?

所姬 : まだ酔いが覚めてないの。

始緣 : アニ、シバル。あたしがあんなひ弱に見える?

始緣が愚痴混じりの悪態とともに体を床へ横たえた。大の字に寝転がった始緣にふと気になることが浮かんだ所姬が、横たわる始緣の傍へ腰を下ろした。

所姬 : 気にならないの?

始緣 : 何が。

所姬 : 私の言うこと、なんで全部やるの?

始緣 : んー。

所姬 : 私があんたを殺しちゃったりしたらどうすんの。

始緣 : もう死んでるって言ったじゃん。

所姬 : いや、何かまずいことになるかもしれないでしょ。痛いかもしれないし。

始緣 : 痛いの?

所姬 : 正直、私にも分かんない。

始緣 : ほらね。

所姬 : 先に訊くこともできるのに、なんで訊かないのかって。なんで文句なしにやるの?

始緣 : 知らね。ただやるもんなんだろ。あたしがそんなの分かってやると思う? ただ逃げないでほしいって言葉、初めて聞いたってのもあるし。必要なんでしょ。あたし、生きてきてそうやってあたしを必要とするやつらもいなかったし。いい人たちの役に立つの、悪くなかったよ。

始緣の深い本心がふと覗いた。あまりに多くの内面をさらけ出してしまったと思った始緣が、態度を一変させ、所姬を再び詰った。

始緣 : それにさ、大人の話だって? あるときは口挟むなってジラルしといて。今度は訊かないってジラルだもんな。

所姬 : 拗ねてんの?

始緣 : なだめてくれんの?

所姬 : いいえ。

始緣 : ほらね。

所姬が呆れた笑みを浮かべたとき、玄関のドアが再び開いた。