胡蝶別曲 (나비별곡) : 乱れ蝶の詩 (みだれちょうのうた)

Scene 09.

慶瑞が赤く褪せた声で、舌すらも定位置を見つけられぬまま、呂律の回らない発音を始緣に投げかけた。始緣が腕を組んだまま、慶瑞の言葉を右から左に流すのにも疲れ果てたかのように、まるで別のことを考えていた。

慶瑞 : あにぃ、だがらぁ。おい。かんがえでみろっでの。あだしがあのいがれだ大民官(ダイミンカン)のぉ、ケンカ売りのクソみでぇなシバルな女ぁ見だら頭にくるがこにゃいが。

始緣 : お前の舌は酔っ払ってるな。

慶瑞 : ちがうっでシバル。まじぃ。おい!! 酔っでにゃいっでのぉ?

始緣 : あぁもう。このシバルイカれ女、お前酒どこで覚えてきたんだよ?

慶瑞 : 酒もおしえでくれるどごあるぅ? あだしそごいっだら博士のしかぐもらえるぅ? えへへ あだしそういう教授すりゅ? おまえがさせでくりぇる?

始緣 : いいわ。シバル。おい。寝ろ。もう。なんでシバル四杯飲んでぶっ壊れる女と一緒に酒飲んだあたしがイカれ女だっ——

始緣の言葉は最後まで出きらなかった。インターホンが鳴った。ふらつく慶瑞を押しのけ、始緣が玄関へ歩みを運んだ。所姬だろうと思いドアを開けて背を向けたとき、見知らぬ気配を感じた慶瑞が、始緣の向こうに静かに立っている晶善(ジョンソン)を顔をしかめるように見つめた。

慶瑞 : どぉなだざまですかぁ?

始緣が何気なく振り返ったとき、見知らぬ人間が立っていることを確認すると、素早く腰に差しておいた銃を抜いて構えた。晶善がわざとらしいほどの驚きを隠せずにいた。

晶善 : あ、ここ。つまり。ここ。趙所姬さん。いや、李始緣さんがお住まいのところ。

始緣 : 誰。

始緣の警戒に、慶瑞がすっかり酔った頭をあちらこちらに揺すりながら、始緣の向こうを覗こうとした。

慶瑞 : なにぃ、おまえもしんにゃい人ぉ?

晶善が両手を少し上げ、敵意がないことを示しながら家の中へそっと歩を進めようとした。

始緣 : 来るな!! 誰かって聞いてんの!!

晶善 : そ、それが、ちょっと長い話でして。私、よろしければ、少し中に入って。

慶瑞 : あ。うぢら宗教ありましゅよ。カルトじゃにゃいれすよ。ふぉ教はよその家。よそぉ。うん。

晶善の逆鱗に触れた言葉に、晶善のおどおどしていたぎこちなさが一瞬にして消え失せ、嘲るような笑みとともに怒りを露わにし始めた。食卓の上に置いてあった始緣の電話機が猛烈な振動を鳴らしていた。

晶善 : 何だと? このシバル女が。

晶善の激しい反応に、始緣がむしろ銃を手にしたまま、今の怪しい状況を持て余し始めた。電話を取りに行かねばならなかったが、一触即発の今この状況をまず何とかしようと、銃を構えたまま進むことも退くこともできない躊躇いをたっぷり抱え、しばし見守るばかりで立っていた。

慶瑞 : うぅん? あだしぃ? あだし? シバル女ぁ? あだし?

晶善 : もう一度ほざいてみろ 犬みたいな團(ダン)の女が。

始緣が真ん中で妙な方向に転がっていく状況に適応すらできずにいるとき、始緣の電話機が切れ、続いて慶瑞のポケットから電話機の振動音が鳴り始めた。思い切り顔をしかめて電話を取ろうとしたが、ふわつくように締まりのない手つきで、慶瑞の電話機が床に落ちた。電話機を拾おうとした慶瑞の目の前へ、韓服の裾をまとった襪(ポソン)の足が瞬く間に迫った。酒に漬かるだけ漬かった慶瑞ではあったが、自分の額を膝で蹴り上げようとする晶善の足捌き程度はたやすくかわせた。慶瑞が目一杯体をまっすぐに立てて晶善の足捌きをかわした後、突っ込んできた晶善の首を掴み、後ろへ軽く流すように押しのけ、あっさりと倒した。始緣が銃を手にしたまま進むことも退くこともできないでいる間、床に落ちた慶瑞の電話機がけたたましく鳴り続けていた。

晶善 : 犬みたいな團の女の分際で、どこの身分でカルトだと!!?

晶善が鼻息荒く立ち上がり、怒りを抑えきれずに再び蹴りを立て続けに浴びせた。慶瑞がなかなかに鋭い蹴りを手で弾くように打ち払ったが、依然として酒に浸った目はぼやけた視界を固定することすらできずにいた。食卓の上に置かれていた始緣の電話機が再び鳴った。二人が争う最中にも、始緣が急いで駆け寄り電話機をひっ掴むと、いきなり問うた。

始緣 : おい! これ全部何なんだよ!!

すでに滅茶苦茶になった家の中の有様だった。

所姬 : おい! とりあえず止めて!

始緣が所姬の電話を受けると、ええいもう知るかとばかりに、手に持っていた銃を再び腰に突っ込み、慌てて晶善と慶瑞の間に身を投げた。


Scene 10.

所姬が溜め息をつきながら、ずきずきする頭を鷲掴みにした。以心が電話機をしばし見下ろしながら舌を巻いた。知暎は黙って肉と飯を変わらず食べながら、二人の器にも肉を載せてやっていた。

以心 : 慶瑞、だいぶ飲んだみたいね。あの子、ちょっと飲んだだけで前後不覚になるのに。あたしの電話も取れないくらいなら。もう結構入ってるんだろうね。

所姬 : かろうじて始緣が止めました。

以心 : よかった。じゃああたしたちも続き食べましょうか。

ほんの一時の騒動に過ぎなかったかのように、所姬が押さえていた額から手を離し、残りの肉を焼いた。ずきずきする所姬の頭痛にも構わず、知暎は空腹を宥めることに集中しようと、しきりに肉と飯を食べ続けていた。


Scene 11.

慶瑞が始緣の部屋に大の字になったまま、気絶に近い眠りに落ち始めていた。見た目には無事な顎を、じんじんすると言わんばかりに撫でさすりながら、始緣が自分の部屋から歩いて出てきた。晶善が申し訳ない表情を隠せぬまま、椅子をそのままに膝を床に折って座り、出鼻から台無しにした初対面の挨拶とあわせて始緣を案じた。

晶善 : あの、申し訳ありません。初対面で。顎を粉砕するつもりは無かっ——

始緣 : いいよ。どうせすぐ治まるから。で、お前は何者?

晶善 : あ、私。それが。うん。つまり。始緣さんが欠片をお持ちになれるよう、その、助力者。はい。助力者くらいに思っていただければ。

始緣 : あたし、そんな難しい言葉分かんない。何、助けに来たの? あいつみたいに?

晶善 : あんなくだらない者共がやるよりはマシですよ。

始緣 : お前とあいつ、同じところじゃないの? 韓服も似て見えるけど。

晶善 : 絶対に。一緒にしないでください。あんなゴミみたいな愚かな女共と、私たちは質が違います。

始緣 : あたしの目には同——

晶善 : 違います。

始緣が唇の横を指でそっと掻いた。しばし居座っていた気まずさを退けると、自分の部屋の扉を閉めようとしたが、寝ている間に派手な身じろぎを見せていた慶瑞は、いつの間にか敷居まで這い寄り、体を半分ほど乗り掛けていた。始緣がドアを閉めるのを諦めたまま、膝をついて座る晶善の腕を掴んで立ち上がらせた。空いた椅子に晶善を無理やり座らせた後、向かいの食卓椅子に座った始緣が腕を組みながら晶善に尋ねた。

始緣 : まあ。何。じゃあ。何、どうすればいいの? 戦い方を教えてくれんの? それとも、何、呪術? みたいな?

晶善 : いえ、あの、私は今日、自分の死を覚悟して重い心で訪ねてきたのですが。出だしがどうしてこう。

始緣 : なんで、お前死ぬの? あたしみたいに?

晶善 : はい! 私が始緣さんのようになります。始緣さんは。もっとすごい存在におなりになります。

始緣 : あたしは十分今でもすごいと思うけどね。クソみたいだし。もっとすごくなったらもっとクソみたいになるんじゃないの?

始緣の何でもないような問いに込められた鋭い懸念に、晶善がしばし悩む気色を浮かべた。

晶善 : うん。私どもの主教(シュキョウ)がおっしゃったことも似てはいるのですが。来るものがあれば去るものがある、と。

始緣 : 本当にやらなきゃいけないのか聞いてからでもいい?

晶善 : まあ、お聞きになるところがおありでしたら。まあ。はい。でも、お聞きにならなければいけませんか?

晶善の問いに始緣が素っ気ない返事で頷いた後、電話機をしばし確かめた。ふと浮かんだ疑問に、電話よりも先に晶善へ問いを投げた。

始緣 : 飯は食ったの?

晶善 : え?

始緣 : 飯食ったかって。あたしら飯食ってる最中なんだけど。あたしが電話してる間に食え。食ってないなら。

晶善 : あ、それが。私、最近痩せてる最中で。

始緣 : おいこのシバル。食え。黙って。

晶善に無理やり杯を押し付けた後、注いでやった。あらかじめ温めておいたコンビニの煮豚を取り出し、晶善に差し出した。