胡蝶別曲 (나비별곡) : 乱れ蝶の詩 (みだれちょうのうた)

Scene 08.

思ったより早く着くことができなかった。二つの家の切り盛りは容易ではないと思っていたが、もうそれなりに歳を重ねたせいか、戻りの車の中でも素面を保つのが難しかった。深く居眠りしていた團長(ダンチョウ)を起こしたのは、駐車まで済ませた後、ドアをそっと叩いた수행기사――임 기사(林 技師:イム・ギシ)だった。

林技師 : ダンチョウ。

居眠りしていた体を慌てて起こした後、薄く溜め息をついた。大きく伸びをした後、後部座席から身を降ろした團長が、袖口にある黒い腕輪をさらりと鳴らしながら習慣のように撫でた。濃い藍色の雲鞋(ウンヘ)を土の道に下ろし、力を込めて体を外へ押し出した。そんな團長を出迎えたのは他ならぬ粹廷(スジョン)だった。無傷の姿で腰を折り、戻った團長にまず挨拶を伝えた。

粹廷 : お帰りなさいませ。

團長 : 変わりはなかったかい。

粹廷が軽く微笑みながら、穏やかな答えを返した。

粹廷 : はい。

團長 : では、入ろうか。

次第にじめじめと暑くなる陽気に、薄い周衣(トゥルマギ)を腕にかけた團長が、先に歩を進めて自らの居処へ向かった。粹廷が後に従い歩き始めた。その姿を、近くはない距離から永敏(ヨンミン)が見つめていた。


Scene 09.

床に敷かれた韓紙の上に、血がべったりと滲み出ていた。言葉をとても継げない粹廷(スジョン)の肌が傷を抱えていた。その傷の上へ잿가루(灰粉:ジェッカル)を振りかけると、長く露わになっていた傷が素早く鎮まった。美延(ミヨン)の足が、倒れた粹廷の肩を嘲るように傾けて踏みつけた。

美延 : 楽に話せって言ってるでしょ。私たちが何、自分たちだけ得しようと突っかかると思う? 鍵が見つからなきゃみんな終わりじゃない。一緒に手を貸すって言ってるのに、何でこう間抜けみたいに振る舞うの?

美延の嫌味が終わるなり、入口で気配が感じられた。正賢(ジョンヒョン)が韓紙で覆った扉をしばし見つめていると、外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

永敏(ヨンミン) : 開けろ。

硬く強張った声だった。正賢が襪の足を運び、近くはない扉へ歩み寄って韓紙をめくり、固く閉ざされていた扉を開けた。永敏が中に入り、今の有様を見届けた後、溜め息をついた。

永敏 : あれは偽物だ。

正賢 : 何?

永敏がいきなり壁に掛かっていた刀を一振り抜き取り、大股で中へ入って粹廷を嬲っていた美延を突き飛ばした。倒れていた粹廷の首へ長い刀を力任せに突き入れると、噴き出るはずの血がきらめく鏡の破片に変わり、粹廷だった体が砕け散るように周囲へ弾け飛んだ。信じがたい表情でしばし言葉を失った美延と正賢が、互いの顔色を窺った。

永敏 : 言ったでしょ。確実にやれって。下手に口実を与えかねないんだから。

正賢 : こんなの、どうやって。

永敏 : 道理で。あんまり簡単にあんたたちの手に落ちたと思ったら。

永敏が独り言を吐いた後、手にしていた刀を床へ軽く放り置いた。これ以上見る必要もないとばかりに、身を翻して入ってきた扉へ向かった。

正賢 : どこ行く!

永敏 : ジムチョウのところ。


Scene 10.

古めかしい佇まいの電話機だった。유석(惟碩:ユイセキ)が有線電話を耳に当て、かかってきた電話を受けていた。早朝。陽射しが肌を刺すように降り注ぐ自らの執務室で、黙々と電話を受けていた惟碩が、頷いた。

粹廷 : ご準備なさって、すぐお越しいただければと存じます。

惟碩 : 分かりました。ところで。

粹廷 : はい。

惟碩 : ダンチョウにはお変わりございませんでしたか。

粹廷 : 何事もなかったご様子でした。お伺いいたしましょうか。

惟碩 : 本日少しお遅かったものですから伺ったまでです。すぐ参ります。

惟碩と粹廷の短い通話が終わった。そしてその様子を見て立っている永敏が、かなりの長身で事務長執務室の戸口に体を斜めにもたせかけて立っていた。見向きもしなかった惟碩が、机に置かれていた卷子(トゥルマリ)と書類の一部を手にしながら尋ねた。

惟碩 : 朝からどうなさいましたか。ザイムカンチョウ。

永敏 : 少しお話しませんか。大事な件です。

惟碩 : やたらとハエがたかるのを見ると、陽気が暖かくなってきたようですね。

永敏 : 長くはかかりません。

惟碩が返事もせず戸口へ歩み寄った。惟碩が出ようとした入口に立ちはだかった永敏が、惟碩の行く手を譲る気はないとばかりに身を翻して惟碩をまっすぐ見据えた。呆れた表情を浮かべた惟碩に、ぶっきらぼうな言葉を投げた。

永敏 : 独り占めしてどうするの。次のダンチョウの座でも狙ってるわけ?

惟碩 : はっ。まったく、考えることまで自分そっくりなのは相変わらずだな。退け。

永敏 : 「独り占めしてるのは認める」ってことでいいのね。今の返事。

惟碩 : それでお前にどうする気だ。取るに足らない亜流の分際で。

永敏 : 何?

惟碩 : 砂を宿した萩の木風情が。俺たちの砂がなければお前たちの木も死ぬだけだろう。お前が登れる木くらい選べ。どこにでも這い上がるな。

永敏 : シュウケンカンチョウとつるんでるでしょ?

惟碩 : なんだ? 今度はあの人を潰すのか? できるつもりか? お前たちごときが?

永敏 : そもそも中位の家門や上位の一部の家門を、この役職まで引き上げたのはオッパとあの女じゃない? 私たちを上げずに自分たちだけ好き勝手やるならそうすりゃいいのに、わざわざ上げて私たちをジラルに巻き込んでどうしたいの?

惟碩 : 何もしないでいてほしかったから?

永敏 : 何?

惟碩 : 言われたこともできない連中だからな。使い捨ての手駒くらいにはちょうどいいと思ったんだ。それに、そうしてこそ綺麗に掃除もできる。よく考えてみろ。お前たちごときが消えた後、ここがどれほど良くなるか。そのためにはせっせとお前たちを引き上げてやらないとな? そうすればお前たちみたいなのを周りにもっと多く置くだろう。そしたら、そこだけ切り取ればいい。わざわざ探し回って潰す必要もないだろう。

惟碩が穏やかな笑みを浮かべながら、真っ青になった永敏をじっと見下ろした。唖然とした永敏に、惟碩がすっと腰を屈めて耳元に囁いた。

惟碩 : まさか、本気で、お前たちが優秀だからあの地位に就いたとでも思っているのか?


Scene 11.

連曦(ヨンヒ)の足が廊下でぽつんと止まった。自分に向かって歩み寄る惟碩の足取りを見て、遅れて押し寄せる恐れを覚えた。しかし努めて平静な表情で、ジムチョウという役職に相応しい礼をまず示した。腰を折った連曦に惟碩が歩み寄った。

惟碩 : キョウムショチョウ、お体の具合が悪かったと伺いました。

連曦 : 大丈夫です。

惟碩 : 昨日お休みなさったと。

連曦 : 申し訳ございません。私からお伝えすべきでした。

惟碩が腰をもう少し深く屈め、連曦の耳元へ小さな声を寄せた。

惟碩 : ずっとお休みいただくこともできますよ。

惟碩が腰を元に戻した。恐れを見せたくなかった。連曦が強張った表情で惟碩にしばし言葉をかけられず、じっと立っていた。

惟碩 : キョウムショチョウの背後にいらっしゃるどなたかを、こちらでも少々探しております。なかなか掴みにくいものでしてね。しかし、近いうちに私がこの目で見ることができれば分かるでしょう。それでは。

惟碩が先に腰を折った。連曦も惟碩の挨拶に合わせて挨拶を返した。

惟碩 : ご自愛くださいませ。

惟碩が先に歩を進めた。連曦は立ったままの姿勢を容易に解けなかった。連曦の凍りついた姿勢を解いたのは、朝に会った他部署の慶瑞(ギョンソ)だった。

慶瑞 : まったくあのクソ野郎は。

慶瑞の軽い悪態に遅れて我に返った連曦が、慶瑞をしばし見つめた。

連曦 : 全部見てたの?

慶瑞 : 当たり前でしょ。いつ消えるか待ってたんだから。

連曦 : そういえば、どうしたの。

慶瑞 : 飲みに行こうよ。最悪な時は酒が一番。連曦オンニの風邪も追い払うついでに。延秀も時間あるって。

連曦 : はあ。先に妹を抱き込んでおけば、私が断れないってわけね。

慶瑞 : あの子が先に買うって言ったんだよ。初任給もらったからって。

連曦 : アニ、あの子は、初任給もらったならちょっとは節約ってもの——

慶瑞が連曦の腕を掴んだ。連曦のそう遠くない執務室まで連曦を連行しながら、時間と約束を擦り合わせていた。


Scene 12.

空っぽだった始緣(シヨン)の家に、幸い家具が一つずつ揃っていた。それらしいハンガーラックも入り、始緣が散らかさなくても済む程度の収納は可能だった。服を整理していた始緣が、同じく服の整理を続けていた所姬(ソヒ)の様子をちらりと窺った。始緣がしばし考えた。所姬のそっけなく不器用な親切は悪くなかった。そんな所姬の本意がむしろ気になった。始緣が整理していた手を一旦止め、不器用な親切さで問いを投げた。

始緣 : ねえ、てかさ、あんたは私をいつ見たからって全部手伝うわけ?

確かに答えた問いだったが、まだどこか腑に落ちない始緣に返す答えを選び直そうとするように、所姬もしばし服の整理を止めて軽い思案を覗かせた。ちょうどいい答えを見つけたのか、再び服の整理を続けた。服を整理しながら始緣にぶっきらぼうな答えを返した。

所姬 : いつ見たかが問題じゃない。どれだけ見届けるかが問題なの。

始緣 : じゃあ、どれだけ見届けるの?

所姬が言葉の代わりに軽い笑みを浮かべてみせた。始緣が整理していた服をしばし置き、黑水がべったりとこびりついた電話を取り出してかかってきた電話に出た。ちらりと所姬の様子を窺うと、所姬が構わないとばかりに頷いて通話を促した。

始緣 : 何。

粹廷からの電話だった。何か話をしばし聞いていた始緣が立ち上がり、昨日粹廷がいつの間にか置いていった卷子を取り出してきた。山のように積まれた包装紙の間に入っていた卷子を探し出して広げた。リストをざっと目を通し、携帯に届いたメッセージを確認した。短い返事を聞いた後、始緣が携帯を下ろしてポケットに仕舞い直した。ぶつぶつ言いながら席に戻って座り直した始緣が、所姬をしばし窺った。所姬は始緣が電話を受けている間に服を整理し直していた。

始緣 : 誰だか分かってたみたいだね。

所姬 : 今夜から早速始まるだろうけど、辛いよ。どのみち。

始緣 : 殺すって分かっててそう言うのか。

所姬 : あんたはもう見えない。言った通り私には生きている人しか視えないから。あんたに仕事を与える人は、いずれ私と会うことになるから、その道を今から視ることができる。あんたに関わる生きた人間を通じて道を視ることはできるの。

始緣 : 話が長い。分かりにくいし。

所姬 : つまり、あんたがやらかすことは、他人の目を通してだけ、事が起きた後の結果としてだけ視える。

始緣 : で、その結果は何なの?

所姬は口にできなかった。所姬の沈黙を尊重した始緣が、それ以上は問い詰めなかった。所姬が話している間も止まらなかった整理だった。服をすべて整理してハンガーラックとその下の収納棚に入れた後、数着の服を手にして立ち上がった。

始緣 : なんで全部入れないの?

所姬 : 何着かは、私が持って帰る方がいいの。ここにそう長くはいられないだろうから。

始緣 : なんで?

始緣の子供じみた問いに、所姬が軽くむっとして面倒そうに声を荒げた。

所姬 : いい加減なんでって聞くのやめてくれない。もう。毎回分かりきった答えなのに、わざわざなんでって。

始緣 : おい、私がなめられてんのか? 何ジラルしてんだよ??

所姬 : 一度もそうじゃなかったことはないけど。

陽射しが濃い黄昏を落とした。窓の向こう、玄関の方へ移った光が、日没までいくらも残っていないことを告げていた。所姬が片づけを終え、立ち上がった体を玄関の方へ向けた。

所姬 : 行くね。気をつけて。辛かったら、電話して。番号残しておいたから。その代わり、終わったらここに来て。上には来ないで。待ってるから。あの女。

所姬の長い言葉を聞いて頷いた。まともに深い眠りを取れなかった始緣だったが、疲労はそれほど酷くなかった。所姬が出ていった後の家の空っぽな感じがむしろ気に障った。出かける支度をしていれば忘れられるだろうと思った。整理された衣類を手に、浴室へ無造作に歩を運んだ。