胡蝶別曲 (나비별곡) : 乱れ蝶の詩 (みだれちょうのうた)

Scene 10.

미연(美延:ミヨン)が足早に歩を進めた。暑い夏の盛りにかけて、袖なしの短い改良韓服を纏った美延が、怒りを隠そうともせず歩を運び、窓戶紙(チャンホジ)で拵えた木戸を押し開けた。落ち着いた手つきで書類を読んでいた수정(粹廷:スジョン)は、美延を見もしなかった。美延が机を叩きつけると、ようやく視線を移した粹廷。溜息をつきながら、美延の怒りをしばし窺った。

粹廷 : 朝っぱらから何。

美延 : 何がよ。独り占めする気?

粹廷 : 何の独り占め?

美延 : ジムチョウにべったりくっついて、目に何も映らなくなったのかしら、オンニも?

粹廷 : あら、その前に私はサクシだという事実を忘れてもらっては困るわ。むしろ、ジムチョウが私にくっついてきているのよ。

美延 : ごちゃごちゃ言わないで。どこまで追ったの。

粹廷 : だから、一体何を。

美延 : 鍵のコウホシャ。オンニが追っているんでしょう?

粹廷 : あなたに知らせる理由があるかしら?

美延 : 私が公にすれば全員群がるけど?

粹廷 : どうぞ。それなら。忙しい荷が少し減るわ—

粹廷は素っ気ない肯定を示した後、再び自分が見るべき두루마리(卷子:トゥルマリ)に目を落とした。美延を透明人間のように立たせたまま、山のように積まれた卷子の検収を始めると、美延の顔色がむしろ余裕を帯びた。

美延 : 怖いのね? オンニ?

粹廷は皮肉る美延の問いにあえて答えなかった。ただ、目に入ってこない文言を懸命に追うばかりだった。

美延 : 亡くなったアンナイシャがオンニは短命だなんて言わなければ、こんな死に物狂いで走り回りはしなかったでしょ? 何を望んでやってるの? どうせ早死にする人が。ジキ・ダンチョウの座でも狙ってるの?

粹廷 : 興味ないわ。そういうの。

泰然とした粹廷の言葉に、美延はそれまで纏っていた余裕を引き剥がし、粹廷の傍へ身を寄せた。短い銀粧刀を取り出し、粹廷の顎を静かに持ち上げた。粹廷は素直に美延の意に従う気がないとばかりに、蠅を追い払うような素振りで手を軽く振り払った。

美延 : オンニ最近、噂よくないわよ。それも公にしようか? うちの裏金が回ってるところ、しょっちゅう出入りしてるみたいだけど? ダンチョウはその資金源もご存じないんでしょう? 全部公に—

粹廷 : どうぞ。いくらでも。お願いだからやって。もうすぐダンチョウがお出ましになるから、いい加減消えてくれないかしら。鬱陶しく周りでブンブン喚かないで。でなければ私の代わりに朝礼でもやったら。

依然として書類から目を離さない粹廷に、美延が嘲笑を送った。手を静かに上げ、粹廷の短いボブを穏やかに撫で整えるように梳いた。

美延 : 裏金の出所。首都にある色街。そうでしょう? ちょくちょく出入りしてるみたいだけど。

粹廷が読んでいた書類を鬱陶しげに閉じた。その粹廷の言葉を代わりに伝えたのは、유석(惟碩:ユイセキ)の気配だった。

惟碩 : 俺が行かせたんだが、何か。問題でもあるのか?

惟碩の登場に、美延はそれまでの落ち着いた嘲りをひとまず収め、腰掛けていた机から降り、惟碩に向かって腰を折った。

美延 : いらっしゃいましたか。ジムチョウ。

惟碩 : 一緒にやりたいなら、それだけの価値を見せろ。公論化はむしろ俺としてはなお歓迎だ。人手が多いに越したことはない。お前が別の腹を抱いていないのならな。

美延 : 別の腹は、私が抱いたのではなく、ジムチョウとサクシが—

床に向けて頭を下げた美延の視界の前に、검은 모래(黒砂:コムンモレ)の粒が現れた。美延がしばし口を閉ざし、静かに立ち止まった。

惟碩 : 確かだと思ったときにだけ口を開け。

惟碩の静かな脅しが、じわじわと美延の息の根を締めるように激しい気を降ろした。

美延 : 申し訳ございません。

辛うじて零れ出た謝罪の意に、惟碩が黒砂をすべて収め、美延に親しげな声を送った。

惟碩 : 下がれ。ダンチョウのところへ行くから。でなければ、一緒に行って公論化でもしてみるか。


Scene 11.

正午を過ぎたばかりの午後。執務室の隣に設えた小さな部屋へ食事が運び込まれていた。惟碩と粹廷が遅れて入り、空いていた部屋に席を取った。すべての食事の支度が終わった後、惟碩と粹廷に挨拶を送った수라간(水刺間:スラガン)の職員たちが席を外した。粹廷が固く閉じられた戸を見た後、惟碩に口を切った。

粹廷 : 今日。ヨンヒ出てこなかったわ。いや、もう出てこれないのかしら。

古風な韓食と器を整えた後、飯をひと匙掬い入れた惟碩が、口元に微笑を浮かべた。

惟碩 : そうでもなさそうだったけどな。

粹廷 : ああ、そうだ。あの死体、失敗してたっけ。

惟碩 : お前があそこに連れて行ったんだろ。聞かなかったのか? そっちのほうがよっぽど不思議だが。

粹廷 : どうせ、本気で殺す気だと分かった以上、わざわざ聞く必要はなかったから。

惟碩 : とにかく、今日は休んでるみたいだったな。報告もなしに。

粹廷 : 暇があるわけないでしょう。

粹廷がひとりごちた。腑に落ちない気持ちに、おかずを飯の上に載せた粹廷が、しばし食事の手を止めて惟碩に訊いた。

粹廷 : ところで、何を得ようとしてるの? ヨンヒが抱いた家主のイブツ?

惟碩 : 遺物なんぞ欲しけりゃ余りものをいくらでも持っていい。今だって資材倉庫に突っ込まれて腐っていく残り滓がどれほど多いか。

粹廷 : フィンモレほど質の高いゲンリュウがどこにあるのよ。あのイブツを得れば家主の座に就くこともできるし。ヨンスやオッパが持つジリュウのコムンモレよりは格段に上なんだから。それを狙ってるんじゃないの?

惟碩 : 家主だなんて今の時代に。お前こそなぜ探るんだ。俺の妹にでも色気を感じたか? 手を出さないでくれると助かるんだが。

惟碩の問いに、粹廷が嘲笑を含んだまま口の端を歪めた。

粹廷 : あんな善い子を食い物にして祟りでも来たらどうする気。言ったでしょう。私は箱入り趣味じゃないって。

惟碩 : なら? なぜ聞く。

粹廷がしばし箸を置き、何かを思案した。

粹廷 : 何をさらに引きずり出そうとしてるの?

惟碩 : 帳の向こうの人間たちだ。

惟碩は粹廷が思案しようがしまいが、静かに動かしていた箸を止めなかった。

粹廷 : いきなりヨンヒを理由もなく掻き回すはずがないとは思っていたけど、裏にまだ誰かいるとは思わなかったわ。心証だけなんでしょう? まだは。

惟碩 : 確証があったなら、こうして座って証拠を探そうと躍起にはなっていない。

粹廷が再び箸を動かした。

惟碩 : だから、少し待ってみろ。

粹廷 : 後頭部を殴られさえしなければね。

惟碩 : どうせ短命なんだ、後頭部を少し殴られたところでどうだ。戻ってくればそれまでだろう。

粹廷 : 面と向かって聞くと不愉快ね。

粹廷が軽い溜息をつき首を横に振った。

惟碩 : それで、来る途中にスヨンの墓にも寄ってきたのか?

粹廷が動かしていた箸をぴたりと止めた。軽い溜息とともに水の杯を取り口を湿した後、言葉を続けた。

粹廷 : コウホシャとして見出された後、最初の患難で死んでいった者たち、全員ジャンソンゴクへ行かずに墓ができたのは、まあ、悪くなかったわ。初めてのことだったから。それは、ダンチョウに本当に感謝しているし。でも。

粹廷が浮かんだ考えに食欲を失ったように、手にした箸で飯粒をつつき回していた。

粹廷 : コウホシャたちが死んだじゃない。本物の鍵を見つけて殺さなければ。もうすぐ見つかるんでしょう。それだけ終えて死ねたらいいのに。短命だという道が。せめてそこまでは続いてほしい。そうすれば死んで向こうへ行ったとき、顔くらい見て詫びの挨拶くらいできるでしょう。面目ないじゃない。ただ手ぶらで行ったら。

惟碩 : そうだろうな。お前なりには。

粹廷 : 言ったけれど、どのみち、私が死ぬのは確かなことよ。生き延びようと足掻きもしないから、手ぶらで行きさえしなければいい。上がってくるものは上がってくるとして。


Scene 12.

連曦(ヨンヒ)がまだ癒えぬ記憶の傷に、眠っていた身を急に起こした。既に西へ傾いた陽が連曦の部屋へ押し入ってきていた。額に滲んでいた冷や汗がきらめいた。その姿を見ていたのは、学校から戻った妹・연수(延秀:ト・ヨンス)の呆れ果てた表情だった。連曦が乱れた長い髪を軽く掻き上げ、力なく笑みを浮かべて大丈夫だという素振りで身を寝台から下ろした。ふらつく連曦を延秀がそっと支えた。連曦の足取りが次第にしっかりと落ち着くのを見届けてから、ようやく力を込めて支えていた手の力を少し緩め、連曦が自力で立っていられる程度にだけ支えた。

延秀 : このままだと、オンニ死ぬよ。

連曦 : 寝すぎただけ。あんたは、ご飯食べた? 学校で何もなかった?

延秀 : 私の話聞いてるの? このままだとオンニ死ぬって言ってるの。

連曦 : 死なないよ。

延秀は連曦よりもずいぶんと背が高かった。連曦がそんな延秀の肩を宥めるように撫でた。

連曦 : ご飯食べてないなら、用意するよ。一緒に食べよう。私も食べてないし。

延秀 : 食べてないんじゃなくて食べられなかったんでしょ。

連曦 : 何もないってば。この子は。

連曦の袖に巻かれた包帯をまじまじと見つめた延秀が、呆れたような表情を向けた。包帯を指先でトントンと引きながら、連曦の言葉に込められた嘘を皮肉った。

延秀 : これは、何。飾り?

連曦 : これは、ちょっと。

延秀 : もう庇うのやめなよ。あいつが何やらかして歩いてるか誰だって分かってるのに、何でオンニだけあいつを庇いきれなくてやきもきしてんの。もう何回目よ。オンニがこんなボロボロで帰って—

連曦 : 庇ってるんじゃない。はっきりしないのに家族同士で疑うわけに—

延秀 : 違うと思いたいんでしょ。でも、当たってるものをいつまでも隠さないで。

延秀の小言を懸命にいなし、連曦が黙って延秀を宥めた。まだ力のない足取りだったが、支えてもらうほどではないとばかりに、連曦が居間へと歩を向けた。

連曦 : 今日は授業終わったの?

韓屋の居間だった。長い歳月の木の香が染みついた居間に出た連曦が、流し台の水を出した。食事の支度をしようとする連曦に延秀が寄って手を添えた。連曦は延秀のぶつぶつ言いながらの手つきを拒まなかった。

延秀 : うん。

連曦 : どうだった?

延秀 : 別に。まだ2年になったばっかだし。何がどうってことないよ。酒飲んだりしてるだけ。どうせもうすぐ休みだから授業もほとんどないし。

連曦 : 舞踊はやっていけそう?

延秀 : 授業はつまんない。合ってもないし。

連曦 : あんまり皆と離れて過ごさないでね。

延秀 : オンニみたいに悪口言われながら通う自信ないから心配—

連曦 : 私が何の悪口言われて通ってるの。

延秀 : ハブられたり濡れ衣着せられたり。毎日一人で泣きながらひっそり通って。私がオンニより歳上だったら全員殺してたよ、あのシバル女ども。

連曦が濡れた手で延秀の二の腕を、宥めるように行儀よく叩いた。

延秀 : あ、何で~!

連曦 : 言葉遣い。

延秀が唇を尖らせながら食器を洗い終えた。庭の向こうに構える大きな門のインターホンが鳴った。連曦が拭いていた食器をいったん置き、居間へと歩を運んだ。居間の入口に据えたインターホンを点け、門に置かれた宅配の箱を確認した。

連曦 : ヨンスや。あんた、何か頼んだ?

延秀 : え? 何を?

延秀のしらばくれた問いが返ってきた。怪しんだ連曦が玄関を開け、庭を横切って門へ出た。門の下に置かれた小さな箱を手に取り、再び家へ戻った。

連曦 : 私の名前だ。何も頼んだ覚えないけど。

連曦が返送するつもりで玄関に立ったまま宅配を開けもしないでいると、もどかしくなった延秀が連曦に歩み寄った。

延秀 : いいから、オンニの名前で届いたなら開けてみてよ。ねえ。

連曦 : 私は頼んだ覚えないし。誰かの誤配でしょ。返送しなきゃ。

延秀 : ちょっと!!

延秀の初めての給料日が遠くないことを知っていた連曦だった。延秀がむきになった姿を見て、ようやく満面の笑みを浮かべ、延秀の意のまま、包みをそっと開けてみた。

延秀 : オンニが初めてバイトして私にパジャマ買ってくれたじゃない。だから。まあ、私も初めてのお給料で。

連曦が包みを開けるなり、慌てて閉じた。

連曦 : ちょっと。これは。

延秀 : この暑さに肌着は買えないでしょ。見ないからあとでサイズ合うかだけ教えて。大体合うと思うけど。

連曦 : あ、ありがとう。いや~でも。これは。

下着のセットだった。思ったより華やかな柄らしく、連曦は受け取った箱をまともに開けることもできないまま、どうしていいか分からずにいた。

延秀 : まさか、エッチだから返送するとか言わないよね。