元・同室後輩イケメンは、別室でも俺を独占したいらしい

 早朝。
 今日も清瀬は忍びのように俺の部屋にやって来て、息をするように甘い言葉を吐いている。
 
「……先輩。昨日も帰りが遅くて、あんまり話できなかった」
「ああ、そうだな」
 
 文化祭の準備に追われる生徒会長。清瀬の帰りは遅く、話せる時間が限られている。

「俺、もう1年早く生まれたかった。そうしたら、文化祭の準備も受験勉強だって先輩と一緒にできるのに……」

 はあ、とため息をつくと「もっとこっち」と、まるで抱き枕みたいに俺の体を抱き寄せた。
 
「先輩は文化祭の準備、何の係ですか?」

 ――キター!
 
 この質問がなかなか来ないから、油断していた。ずっと心づもりをしていたはずなのに、咄嗟に言葉が詰まってしまう。
 
「俺は、か、買い出しとか、そんな感じ……」
「へえ、てっきり先輩も浴衣を着るのかと思ってました。残念だなあ」
「この間、実家で久しぶりに着てみたらサイズが合わなくて。ごめんな」
「いいですけど……」

 なるべく視線が合わないように、清瀬の腕の中でうつむくと、頭の上ですうっと深く息を吸い込む音がした。
 
「いい匂い」
「やめろって。風呂あがりならまだしも」
「風呂あがりならいいんだ」

 クスッと笑いながら、さらに腕に力がこもる。これが「終わり」の合図。
 
「じゃ、先輩」
「あ、うん」
 
 今日は一緒に起き上がる。そっとドアを出て行く清瀬を見送ると、クローゼットを開けた。中には吊るされた洋服で隠すように置かれた紙袋。
 放課後の準備で使うから、清瀬に見つからないよう学校へ持っていかなければならない。
 
 
 * 
 
 
 文化祭まであと四日。
 放課後の教室には、少しピリついた空気が漂っていた。
 
 うちのクラスの出し物は和風カフェ『まったり茶屋』。
 
 出し物を決めるホームルームは二転三転したが、最終的に誰かが放った「やっぱさ、浴衣とか着たくね?」というひと言に女子が「えー、それいい!」と食いつき、男子も「まあ、いいんじゃない」と内心ガッツポーズで賛成した。
 
 他クラスと被らないか心配の声もあったが、お隣はメイド喫茶だったので一安心だ。
 さっき通りかかったら、男子のフリフリのエプロンにミニスカート姿が見えて、思わず二度見してしまった。
 
 夏休みから準備をしていた他クラスとは違い、短期決戦を決め込んだうちのクラスは、そのツケが回ってきている。
 
「ふかみん、衣装の打ち合わせ始めよっか」

 桜井さんが肩までのボブヘアを揺らして俺の隣に来た。

「そうだね。じゃあ、端に机を寄せて、その上に広げようか」
「うん」
「朝比奈ー、こっちも始めるよ!」

 衣装担当兼、店員役の朝比奈は絵の巧さを買われて装飾担当から離れられない。
 俺の呼びかけに「いま行くー」と応えてはいるが、なかなか手が離せないみたいだ。

 店員役のメンバーが集まると、教室の隅に並べた机の上に持参した浴衣を広げていく。
 清瀬には今朝「着ない」といったが、お盆に帰省したとき持ってきていた。
 
 店員は全部で八人。と言っても、自前の浴衣を持っている男子は少なかったから、男は俺と朝比奈の二人だけだ。
 当日は四人ずつ交代で店に立つことが決まっている。

「ふかみんの浴衣、素敵だね。落ち着いた紺色ですごく似合いそう」
「本当だね。これ、いい生地だよね」

 桜井さんの隣で浴衣を覗き込んで褒めてくれたのは、彼女と一番仲が良い竹ノ内さんだ。
 
「それで、女子の方で帯が足りないかもしれないんだっけ?」
「そうなの。航平くん、何か予備とか持ってる?」
「うん。家からいくつか持ってきたよ。一応、着付けの時に使えそうな小物も一通りあるから」
 
 予備の帯を出そうとしたとき、ようやく手の空いた朝比奈が紙袋を手にこちらへやってきた。
 
「お待たせ。俺の浴衣はこんな感じだよ」

 朝比奈がさらりと取り出したのは、少し光沢のあるグレー地に淡い模様が入った浴衣だった。中性的な整った顔立ちの朝比奈なら、洗練されたデザインの浴衣姿も相当さまになりそうだ。

「わあ、朝比奈くんって感じ! おしゃれだね」
「この色、朝比奈くんの髪色に絶対合うよ」

 女子たちが朝比奈の浴衣を囲んで盛り上がる。俺も「いいな、それ」と感心して見ていると、隣の桜井さんが、ふと思い出したように言う。

「ねえ、航平くん。さっき言ってた予備の帯、見せてもらってもいい?」
「ああ、いいよ。これなんだけど」

 紙袋から取り出そうとしたとき、桜井さんと肩が軽くぶつかった。
 
「あ、ごめん」
「ううん、私こそ」
 
 互いに頭を下げた拍子に、今度は頭が触れそうになる。

「あ、マジごめん」
「ううん……」
 
 俺たちの間にすっと流れ込んできた妙な空気に、ドキリとする。顔を上げると、周りの女子たちの目元がニヤけていた。

 ――やばっ。

 ふわふわとした雰囲気に焦り始める。

 ――『和香先輩が航平先輩のことが好きだからですよ!』

 いないはずの清瀬の声が脳内で再生され、慌てて桜井さんと距離をとった。その弾みでぶつかりそうになった朝比奈が「オッ」と小さく声を上げる。
 
「ごめん、朝比奈」
 
 みんなに動揺を隠すように着付け用の小物を手を伸ばす。そのとき、聞き慣れた声が背後から響いた。

「失礼します。実行委員の方はいらっしゃいますか」
 
 ――嘘だろっ!

 清瀬、なんでよりによって、いま来るんだよ!
 咄嗟に机の上に広げている浴衣を雑にまとめ、紙袋を上に被せた。
 
「えっ、ふかみん、どうしたの? 浴衣ぐしゃぐしゃだよ」
「あ、ううん、何でもない!」

 ――桜井さんとのアクシデント、見られてなかったか?
 
 近づいてくる足音に、心臓が痛いほど脈打つ。
 それに、せっかくここまで隠せてた浴衣を今ここで清瀬に見つかるわけにはいかない。

「あ、清瀬くん。実行委員なら、さっき買い出しに行ったよ」

 隣にいた桜井さんが清瀬の方へ駆け寄っていった。桜井さんのおかげで清瀬の足が止まり、ほっと息を吐いた。

「そうですか。書類に不備があったので、戻ったら生徒会室に来るように伝えてもらえますか」
「うん、伝えておくね。お疲れさま!」
「いえ。……ところで、和香先輩は何の担当なんですか?」

 清瀬の声が、こっちに投げかけられた気がした。
 
「いま衣装の準備してるの。うちのクラス、和風カフェで浴衣を着ることになってるでしょう? だから、ふかみんが旅館の――」

 ――終わった……。

 完全に清瀬にバレたと思ったとき、苛立ちの募った声が教室に響いた。

「ああ、もう! なんで三年で文化祭なんだよ、マジで時間ねえ……!」
 
 窓際で作業していた飾り付け班のぼやく声。
 それに同調するように「だよな!」「受験生だっての」と溜息が重なり、教室の空気が、ずしりと重くなった。

「あ、ごめん清瀬くん。引き止めちゃったね」

 桜井さんが、その空気に慌てて会話を切り上げ、清瀬も察したようにすぐ教室から出て行った。

「航平、俺、デコ班手伝ってくるわ。絵を描ける奴がいなくてみんなイラついてるから。衣装の方は任せたよ」
 
 朝比奈が装飾担当の輪に混じり、「大丈夫だ、俺が来た!」なんて手のひらをひらひらさせている。
 
「なに、朝比奈。オールマイトのつもりかよ」
「オールマイトってなに?」
「え、ヒロアカ知らないの? ヒーローだよ、平和の象徴」
 
 クラスメイトがスマホを差し出し、画面を朝比奈に見せる。
 
「はあ!?  俺、こんな筋肉ムキムキのおっさんキャラじゃねえし!」

 朝比奈のノリの良い返しに、教室中に笑いが弾けた。さっきまでの停滞した空気が、嘘のように霧散していく。朝比奈のファインプレーに心の中で喝采を送りながら、俺は隠した紙袋の端をぎゅっと握りしめた。これで清瀬も、これ以上は追及してこないはずだ。
 そう思って、ふと教室の入り口の方へ目を向ける。
 
「!!」

 廊下で立ち止まっていた清瀬と視線がぶつかった。
 整った顔立ちに浮かんでいる笑っていない瞳に無言の圧を感じる。途端に心臓がバクバクと音を立てる。
 
 ――怒らせた……? いや、完全に詰んだかもしれない……。

「ふかみん?」
「あ、ごめん。打ち合わせの続きだね」

 寮に帰ったらどうやり過ごすかで頭がいっぱいになり、その後の打ち合わせの内容はほとんど右から左へと抜けていった。

 
 * * *

 
 「胸が苦しいです」
 
 夜、机に向かっていると届いた清瀬からのライン。俺は心臓を掴まれるような心地で部屋を飛び出し、階段を駆け下りて201号室のドアを勢いよく開けた。
 
「清瀬! 大丈夫か!?」
「……遅いです。死ぬかと思いました、……嫉妬で」
「は……? 嫉妬って、なんで?」
 
 ベッドに腰かけていた清瀬の姿に膝の力が抜ける。隣に座ると清瀬の目は完全に怒っている。
 
「先輩が和香先輩とあんなに楽しそうにして。何か俺に隠してませんか? ずっと心臓が痛いんです、先輩のせいで。……責任、取ってください」

 まじか。完全にばれてるよな。どうする、俺……。
 でも、やっぱりサプライズにしたい。
 夏に電話で「先輩の浴衣姿、見たいです」と言われたことを思い出し、咄嗟に嘘を重ねてしまう。

「ごめん、心配させて。でもそんなんじゃないから。俺の家、旅館だろ? 浴衣の帯を持って来てほしいって言われてたから、合わせてたんだよ。お、俺は着ないけど」
「そうだったんですか。でも、触ってください。ほら、こんなに速い……先輩のせいです」

 トク、トク、と速く波打つ清瀬の心臓の鼓動が手のひらに伝わる。
 こいつ、マジで嫉妬してんじゃん。
(かわいいな)
 
「え?」
「あ、やべっ。つい心の声が」
「漏らしてます」
「だから、言い方!! おもらしみたいに言うな!」
「じゃあ、責任取ってくれますか? あんなに楽しそうに和香先輩と笑ってたの思い出したら、俺……」
「そんなんじゃないよ。ごめん、自販機でレモンティ買うから一緒に」
「イヤです。そんなんで誤魔化さないでください」

 清瀬の強い口調に、しばらく沈黙が落ちる。
 
「…………」
「……清瀬?」
「先輩。俺のこと、名前で呼んでください」
「名前って、いつも呼んでるだろ」
「『清瀬』じゃなくて。……名前で」

 そう言われてみれば、俺は今までこいつを「清瀬」としか呼んだことがない。逆にこいつは、いつだって俺を「先輩」か「航平先輩」と呼んでいた。

「り、りょ……」
「え? 聞こえません」

 至近距離で、稜の真っ直ぐな視線に射抜かれる。この状況で名前を呼ぶなら、やっぱり呼び捨てだよな。
 
 ――稜。
 
 でも、いざ呼ぼうとすると急に恋人感が増して喉の奥に言葉が引っかかる。
 
「先輩?」
 
 焦らすような稜の目に、耐えきれなくなって思わず言い返した。
 
「清瀬から呼べよ」
 
 投げやりな俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、稜の唇が綺麗な弧を描いた。
 
「え、航平?」
 
 その瞬間、笑顔から目に見えない爆風が吹きつけてきた気がして、俺はたまらず目をつむった。名前を呼ばれただけで、全身の血がぶわりと熱くなる。

「……っ、おまえ、さらっと呼ぶなよ!」
「俺の胸の苦しみの責任取ってくれるんですよね? ほら、航平早く」
「……っ、う、うるさい。急かすなよ……りょ……う」

 早口の中に、やっとの思いで名前を混ぜた。たったそれだけのことなのに、心臓の音がうるさくて堪らない。

「え? なんて言いました? 聞こえなかったからもう一回」
「……っ、稜って言ったんだよ! 一回で聞き取れ!」

 わざとらしく聞き返してくる清瀬の顔を、まともに見ることができない。本当はもっと、恋人らしい甘い雰囲気を期待されているんだろうけど、今の俺にはこれが限界だ。

「ごめん、許せ。夕食の時間終わっちゃうから、早く行くぞ」
「ふふっ。わかりました。でも、今度はもっとゆっくり呼んでくださいね。航平」

 不意打ちの呼び捨てに肩が跳ねる。
「行くよ!」と背中を向けた俺の後ろで、稜が満足そうに笑ってる気がした。
 頬の熱が引かないまま、俺たちは賑やかな食堂へと向かった。