「……遠距離恋愛ですね」
「ん? どういうこと?」
「俺と先輩ですよ。別室になるのもイヤなのに、二階と三階に離れるなんて……」
「まあな」
清瀬と別室になる日、こんなやり取りをした。遠距離恋愛なんて大げさなやつだなと一瞬頭をよぎったが口にするのはやめた。実際、遅かれ早かれ、その日は来るのだから……。
俺は、ひとり寂しく朝の支度をする日々が始まるのかと思っていたが、別室になった夜は清瀬の部屋へ俺が忍び込み、そして今は――。
「おはようございます。起きてください」
「き、清瀬っ、いつの間に」
え……っ、と目をこすりながら時計を見ると、まだ六時前。起きるには早すぎる。
「もう、ほんとに朝弱いんですから。俺が起こしに来ないと朝ごはんゆっくり食べられませんよ」
「やだ。もう少し寝かせて……」
清瀬に剥がされたタオルケットを強引に奪い返し、背を向け壁際に寄った。けれど、すぐにギシッとベッドの軋む音がして、逃げ場を塞ぐように清瀬の体温が背中にぴったりと重なる。
「きーよーせー……」
「こうして欲しいってことですよね」
ああ、もう!
コイツが毎朝早く起こしに来るのは、絶対にこれがしたいからだ。
新学期が始まって一週間。清瀬は寮生がまだ眠りの中にいる早朝、わざわざ三階の三年専用フロアまでやって来ては、こうして俺のベッドに潜り込んでくる。
「でも、こうするのもあと少しで終わりにします」
「え、なんでっ」
壁を向いていた体を勢いよく反転させると、ふふっと楽しげに笑う清瀬と視線がぶつかった。
「だって、受験が近くなるじゃないですか。万が一、俺が無自覚にウイルスを運んできて、先輩にうつしちゃったら嫌なんで」
背中に腕を回して、ぎゅうっと胸に引き寄せられると、清瀬の匂いがする。安心する香りを清瀬に気づかれないように、静かに深く吸い込む。
「あ、ちょっと。寝ないでくださいよ」
深呼吸を寝息だと勘違いしたのか、清瀬が密着していた体を少し離して俺の目を覗き込んできた。
「寝てないよ」
「その代わり、我慢するんで。先輩が合格したら、ごほうびください」
「えっ、ごほうび?」
ニヤリとした清瀬の表情に、あらぬ想像が頭をよぎる。
――もしかして、俺とそういうことをしたいってこと……?
ほんの少し考えただけで、ぶわっと顔が火照った。恋愛経験ゼロの俺に、そんなことができるのか。
「ごほうびって、なに?」
「それは……先輩がいま想像したこと、全部です」
「ぜ、全部って俺がなに考えてるか、お前に分かんのかよ」
「まあ、全部とまではいかないかもしれませんけど。でも、確実に分かってることがひとつありますよ」
「なんだよ」
「両想い」
至近距離で、鮮やかな笑顔を向けられた。しかも、「両想い」のあとにはピンクのハートマークまで(見えた気がした)。
清瀬のキラキラ感の凄まじさに、俺が思わず目を細めていると、枕元に置いてあるスマホからアラーム音が流れ始めた。
「そろそろ俺、部屋に戻りますね」
「そうだね。気をつけて」
「はーい」
清瀬はベッドから抜け出すと、シワになったTシャツをパンパンと手で叩いて整えた。
もし他の三年に見つかったとしても、アイツのことだ、きっと上手く言い訳して誤魔化すだろう。それでも、俺の立場を考えて、なるべく誰にも見つからないよう寮生たちが起き出す前に、清瀬はいつもそっと帰っていく。
音も立てずに部屋を出ていく清瀬の後ろ姿を見るのは、きゅっと胸を掴まれるような感じがする。部屋が別れただけでこれなら、卒業したら俺、どうなってしまうんだろう……。
* * *
「航平、待って!」
登校途中、後ろから呼ぶ声に足を止めた。振り返ると、バスケ部エースの井上がこっちに走ってくる。マジで足が速いし、190センチ近い身長は嫌でも目立つ。
「井上、おはよう」
「おはよう。航平、最近朝早くね? いつも遅刻すれすれだったのに。やっぱり愛の力かぁ~」
井上はニヤニヤと楽しそうに頷きながら、俺の隣を歩き始める。デカい。
こいつには清瀬とこじれたとき、散々相談に乗ってもらった手前、今さら嘘をつくこともできない。
「あいつさ、マジで朝早く忍びみたいにお前の部屋に来てんだろ」
「え、井上気づいてたの?」
「まあな。俺も朝トレで走りに行くから早いんだよ。あいつ、マジでヤバいよな」
「頼む、井上! このことはここだけの話に!」
「当たり前だろ、誰にも言わねぇよ。俺、人の恋愛事情を言いふらす趣味はないし。でもさ、あいつがなんで毎朝わざわざお前の部屋に行くか、気づいてる?」
「え……」
そんなの、自分から言ったら「のろけ」とか「調子に乗ってる」みたいで言葉にできるわけないじゃないか。
「お前に誰かが近づいていないか、毎朝チェックしてんだよ」
「は?」
「だから、お前がちゃんと一人で寝てるかどうか」
「へ!?」
予想の斜め上を行く井上の言葉に、頭の中でクエスチョンマークが乱舞する。
「そんなわけないだろ。清瀬はそんなに疑い深くないし。それに、心配されるならむしろあいつの方だよ。あんなにモテるんだから」
「甘いな、ミスター鈍感。あいつの目は笑ってねーぞ。完全に見張られてるな、お前」
「そうか?」
清瀬、そんなに俺のこと心配しているのか?
そういえば、昨日の夜……食堂で夕食をとってるとき榎田から電話がきて。気づいたらすぐそばに清瀬がいて「誰ですか」とか「その人、好きな人に告白したんですか」とかいろいろ聞いてきた。
――もしかして、あいつ……ヤキモチやいてたのか?
それって、めっちゃ俺のこと好きじゃん。
なんだ、清瀬。よかった……。
――……よかった?
ほっとする自分に気づいて我にかえる。いやいや、おかしいだろ、俺! 見張られて安心するなんて! ……俺、あいつに相当おかしくされてるな。
「お、噂をすれば。あそこにいんじゃん」
井上の声に前を向くと、校門をくぐった先に生徒会のあいさつ運動で立っている清瀬の姿が目に入った。
登校してくる生徒たちに爽やかな笑顔を振りまくその姿は、以前よりも表情が柔らかくなった気がする。
「なんだろ、清瀬って冷たそうな印象だったけど、今は明らかに違うよな」
「やっぱり井上もそう思う?」
「なんていうか……航平に似てきたんじゃね? あ、来る」
「え?」
俺たちに気づいた清瀬が、つかつかと「生徒会長の笑顔」のまま目の前までやって来た。
「航平先輩、おはようございます」
「あ、うん。おはよう」
「あの、先輩のクラス、文化祭の委員に昼休み生徒会室に来るように伝えてもらっていいですか? 備品の使用申請書がまだ届いていなくて」
「あ、うん。わかった」
「先輩、ネクタイ曲がってますよ」
ふわりと清瀬の手が俺の首元に触れた。うっすらと頬を緩ませた清瀬と目が合った。
「……はい、これで大丈夫です」
「ありがとう」
見つめ合って微笑んでいると、「あーもう」と井上の呆れた声が降ってきた。
「あのさ、お前ら俺がいるからって油断し過ぎ! 朝からまったく」
「ごめん」
「すみません、つい」
井上は額に手を当てて空を仰ぐ。それにつられて俺も清瀬も、三人で空を見上げる。
どこまでも澄んだ青い空が気持ちいい。隣の清瀬を見ると見上げるあごのラインが綺麗で見惚れてしまう。
「清瀬、文化祭の日、晴れるといいな」
「はい、晴れたらベンチで写真撮りましょうね」
「もうふたりとも、いい加減にしろ! 航平、行くぞ。清瀬は戻れ」
井上に急かされ、俺は清瀬に手を振って歩き出した。
ふと、クローゼットの奥に隠してある「秘密」に思いを馳せる。
文化祭の準備が始まれば、あいつはもっと忙しくなる。生徒会長として、みんなの清瀬として、俺から離れる時間が増えるだろう。
――でも、当日は驚かせてやるんだ。
どこまでもスマートな後輩に、今度は俺から仕掛ける。想像するだけで、緩んでくる頬に手を当てながら必死に真顔を作る。
「なーにニヤニヤしてんだよ」
「してないって。ほら、早く行こう。今日から文化祭の準備だな」
「なんだよ、急にやる気出しやがって。ミスター鈍感もいよいよ卒業か?」
井上のからかいを「うるさい」と笑って受け流す。
まだ夏の匂いが残る青空の下、俺は軽やかな足取りで校舎へ入る。
――待ってろよ、清瀬。
文化祭当日、今までドキドキさせられっぱなしのお返しを今度は俺が仕掛けてやる。


