帰宅した俺は、とりあえずシャワーを浴びて、晩メシを食うことにした。
焼きそばでも作ろうかと冷蔵庫を開けたけど、途端に怠くなって、お湯を沸かし、カップ麺の蓋を開ける。
お湯が沸くのを待つ間、
カップ麺の出来上がりを待つ間。
ふと頭を過ぎるのは、先程のカゲヤンの言葉。
──えっち、したいっちゅうことやろ
「……っいやいやいや。一旦、考えるのはやめだ。……そうだ、この前の続きでも観よう」
出来上がった味噌ラーメンをローテーブルに置き、リモコンを操作する。
この前、千冬と一緒に見たアクションアニメを選択して、再生ボタンを押した。
前回までのあらすじを流し見しながら、ラーメンを啜る。
あの晩、何度も聞いたイントロが流れ出し、千冬の腕の中の感覚を呼び起こす。
千冬の腕の力、体温、匂い、眼差し、声…。
「………」
食べかけのカップの上に箸を置き、ビーズクッションに深くもたれかかって身体を沈めた。
「…ふぅ」
スマホを開き、検索エンジンの画面に、迷いながら文字を打ち込む。
『男同士 』
そこまで打ち込み、一度手が止まる。
やや悩んでから、単語を追加した。
『男同士 はじめて えっち』
ゆっくりキーボードから指を離し、検索ボタンに指をかざす。
無意識に、息を止めた。
「………はぁ」
少し躊躇ったけど、結局俺は、検索ボタンをタップせずにスマホを閉じる。
「………そんなこと調べて、どうすんだよ…」
誰もいない部屋に、再び重いため息が落ちた。
問題は、そこじゃない。
「千冬は、本当に俺と…したい、のか…?」
俺は、千冬と…、
…したい……か…?
*
水曜の午後。マロ知将の采配により、俺は駅近くにある映画館併設のショッピングモールに来ていた。
今日、観に来たのは、例のアクションアニメの劇場版。
映画の後に、さりげなく柚月とカゲヤンを2人にしてやるという作戦だ。
平日の映画館は、人もまばら。
映画館のロビーのベンチで、大きな窓の外を眺めていると、マンティスにスマホで肩を突かれた。
「伊織。早いな」
「おー」
「千冬氏は一緒じゃないのか?来るんだろ?」
「家逆方向だし。現地集合」
「…喧嘩でもしたのか?」
「は?してねぇけど」
「ふん?」
マンティスは、わざとらしく眉を上げて、外に目を逸らす。
何だよ?
「いっおりー!」
「…この声は、柑奈だな」
エレベーターホールの方から、俺を呼ぶ元気な声がして振り向く。
隣のマンティスが怪訝そうに俺に尋ねた。
「…伊織。俺は女子が2人来ると聞いていたんだが?」
「おう。あの背の高い方が柑奈で、低い方が柚月な」
「……背が高い方も女子なのか…?美形男子ではなく…?」
マンティスが困惑するのも無理はない。
現れた柑菜は、長い金髪を黒のショートウィッグの中にしまった男装姿。
隣に並ぶ柚月は、ふんわりしたトップスに、ショートパンツという可愛らしい格好。
どうみても、2人は男女カップルだった。
「柑奈は男装好きなんだよ。中学の時からあんな感じだった。普段は金髪派手女だけどな」
「………女子、なのか…」
合流した柑奈と柚月に、マンティスを紹介する。
ちなみに、柚月の許可のもと、カゲヤン以外のメンバーには柚月の片思いについては共有されている。
「伊織くん、本っ当にありがとう…!私、今日こそ頑張るね…!」
「お礼はマロに言えよ。でもまあ、頑張れよ」
グッと拳を握りしめて意気込みを語る柚月。
緩く巻いた茶色とピンクの髪が揺れる。
このピンクを見ると、俺はどうしても千冬を思い出してしまい、無性に柚月の応援をしてしまいたくなる。
「脚、寒くないのか?」
「倫くんー、そんなお母さんみたいなこと言わなくていいの。『かわいい』って一言、言うだけでいいんだから」
「そ、そうか…すまん」
マンティスの指摘を柑奈が一蹴する。
確かに柚月の脚は寒そうだが、これも「カゲヤンは太もも好き」というマロ情報に基づいての勝負服なんだろう。
健気だな。
「伊織先輩!」
「お待たせぇ〜」
「あ…千冬、…と、マロと…」
「初めまして。赤木成実(あかぎ なるみ)です。」
マロと並んで現れたのは、マロと同じふわふわした雰囲気の糸目の女性。マロの彼女だ。
…確かに似てる。
俺たちより3歳上で社会人だと聞いてるけど、柔らかい雰囲気のおかげか、親しみやすさを感じる。
「伊織先輩、お待たせしました」
一緒にいたマロカップルを追い抜き、小走りで俺の目の前まで来た千冬は、今日も百点満点のビジュアルだった。
ふわりと跳ねるピンクの髪、陽の光でキラキラと光る栗色の瞳、柔らかく微笑む唇。
ロビーにいた女子大生らしき集団が、小声できゃあきゃあと騒ぎながら千冬を振り返る。
「あ、先輩。この前のバイトで、このタオル置き忘れてましたよ?」
「ああ、悪ぃ。さんきゅ…、洗濯してくれたのか?千冬ん家の匂いがする」
「…っ、はい。今日も使うかと思って」
「そっか。ありがとな」
「ふふ。いいえ」
マロ達がお互いに挨拶をする横で、俺は千冬からタオルを受け取る。
千冬はマロ達を振り返り、嬉しそうに俺に微笑みかけた。
「グループデート、って言うんですかね?楽しみですね」
「本題は柚月とカゲヤンだけどな」
「ふふ。上手くいくといいですね」
白い歯を見せてかわいらしく笑った千冬に、俺も頬を緩める。
千冬の笑顔を見ると、俺も嬉しい。
俺はこの数日間、ずっと考えていた。
千冬の言葉の意味と、…自分の気持ちについて。
俺は、千冬の優しい声も、魅力的な笑顔も、全部全部、好きだ。
だけど、身体のことは……、まだ分からねぇ。
触れられるのは嫌じゃねぇ。
でも、…そこまで踏み込んだ関係が、どうしても想像できなかった。
だから、俺は、…もう少し、このままでいたい。
……それでもいいか、千冬?
「?、どうかしたんですか、伊織先輩?」
「……なぁ、千冬。今度、ちょっと、聞きてぇことあるんだけど。…いいか?」
「はい、もちろん」
「よぉ。みんな早いやん」
密かな思いを胸にしまったまま千冬と話していると、今日のもう1人の主役が登場した。
すかさず柚月が柑奈の横から離れ、カゲヤンの真正面に立つ。
「こ、こんにちは、影山くんっ!」
「おー柚月チャン。こんちは。えらい可愛い格好しとるな」
「……!」
普段なら、セクハラだ、変態だ、とイジるようなカゲヤンのコメントだが、今日に限っては誰もツッコまない。
おそらく全員が、心の中でほくそ笑んで、顔を真っ赤にした柚月にエールを送った瞬間だっただろう。
「じゃあ早速行こうかぁ〜」
「カゲヤン、お前がビリだ。何か奢れ」
「ぼくキャラメルポップコーンねぇ」
「はぁ?理不尽過ぎるやろ」
「私ホットドッグ食べたい」
「ポテトあるかなぁ?」
「ちょ、待てや!8人分はエグいて。ガチで破産するわ!」
「それでも自分の分までカウントしてるのか」
「あははっ」
賑やかな友人たちと、映画館に向かう。
俺の隣には、千冬。
「伊織先輩は何か食べますか?」
「俺もポップコーン食うかな。キャラメルか、塩か…」
「それなら両方買って、僕と半分こしましょう?」
「おう!やった!」
「ふふ」
恋人の優しい笑顔に、胸の中がぽかぼかと温かくなる。
この幸せな時間を、めいっぱい楽しもう。


