映画館の座席は、通路沿い2列に、4人ずつ。
前列の通路側から、カゲヤン、柚月、柑奈、マンティス。後ろの列は、千冬、俺、マロ、成実さん。
食べ物や飲み物を手に、映画が始まるまでの間、他の映画の予告を観る。
前の座席の2人は、何か話をしているようだ。
予告の音が大きくて話の内容までは聞こえねぇけど、…柚月、頑張ってんな。
柚月の頑張ってる姿を千冬と共有したくて、隣に座る千冬の服を少しつまんで、控えめに引っ張った。
「千冬、」
「っ、な、…どう、しました…?」
綺麗な横顔で真面目に予告を観ていた千冬は、急に話しかけられて驚いたのか、赤い顔で目を見開いて俺を見た。
その反応が面白くて、思わず笑ってしまう。
俺は笑顔で千冬を見上げ、小声でお願いした。
「ふっ、千冬、…耳、貸して?」
「………」
千冬は赤い顔のまま、俺をぼうっと見つめている。
予告の音がうるさくて、聞こえなかったのか?
「…千冬?」
「っ、は、はい……」
口に手を添え、「内緒話するぞ」のポーズをすると、千冬は小さく息を吐いた。
何かに耐えるように目を閉じると、俺との間にある肘掛けに手を添え、大人しく俺に耳を近づけてくれる。
俺も背もたれから背中を浮かせ、千冬の方へ少し身を乗り出した。
「なぁ、前の二人、いい感じな気がしねぇ?」
「…………」
言いたいことを言い終えて顔を離すけど、千冬は目を閉じたまま微動だにしない。
え?
寝た??
再び口元に手を添えて、千冬の耳に口を寄せた。
「千冬?まだ映画始まってねぇぞ?もう寝てるのか?」
顔を離し、首を傾げる。
相変わらず変化のない千冬。
少し待ってから、もう一度話しかけようかと顔を近づけた時。
千冬の長いまつ毛がほんの少し上がり、薄い瞼の下から、深い栗色が俺を見つめた。
口元は、静かに微笑んでいる。
なんだ。起きてんじゃねぇか。
姿勢を戻し前を向き直すと、今度は千冬が口に手を添え、椅子から身を乗り出してきた。
千冬も言いたいことがあるのか、と俺も顔を寄せてやる。
「…伊織先輩の声…、かわいくて、ずっと、聞いてたくなります…」
「……はっ!?」
息をゆっくり吐きながら、甘えるような声で囁かれる。
一気に熱くなった顔で、あわてて横を振り向く。
千冬は、口に添えていた手だけ下ろし、至近距離のまま、蕩ける笑みで俺を見ていた。
肘掛けに両肘をつき、上半身は完全に俺に向けられている。
「…、映画…始まるぞ…」
気恥ずかしくなって、俺は顔を逸らした。
すると今度は、手を添えず、俺の耳を食べてしまいそうなほど近付いて、甘美な声が囁いた。
「あとで、キスしても…いいですか?」
「……っ、」
ほとんど吐息だけの囁きに合わせて、千冬の鼻先が、俺の耳の縁の産毛を掠める。
くすぐったさに身体をすくめた。
「……だめなら…、今、しちゃいそうです…」
背中にぞくぞくしたものが走る。
ど、どんな脅迫だよ…。
早鐘を打つ心臓に耐えながら、赤くなった顔を俯かせた。
俺は「わか、った…」と、小さく頷いた。
「ふふ。映画、楽しみましょうね」
やっと千冬の身体が離れる。
耳元を押さえながら千冬を睨み見ると、千冬は爽やかな笑顔で、楽しそうにそう言った。
心臓は、まだうるさい。
……誰か、席を替わってくれ…。
*
2時間近くの映画がエンディングに差し掛かる。
この映画の主題歌が、カラフルな画面にシンクロするように流れ出した。
ポップながら激しさのある、おしゃれなロック調の曲。
最近ではどこに行っても耳にする曲で、映画を観てなかった俺ですら、メロディを知っている曲だ。
「いい曲ですね」
「おう」
隣の千冬が、繋がれた手をきゅっと握りながら、小声で俺に笑いかける。
音楽で声は聞こえないけど、おそらく「いい曲」と言った気がして、俺も笑って答えた。
物語中盤の切ないシーンで、俺がちょっと泣きそうになった時、さりげなく千冬に手を握られてから、繋がれたままになっていた。
もうじき映画も終わる。
もう泣けるシーンはないだろうし、そろそろ離しておきてぇけど……。
「千冬、手。もう大丈夫だから」
「?」
「手、だよ。マロたちに見られたら恥ずかしいから、そろそろ放そうぜ?」
…聞こえないらしい。
仕方ないよな。音楽は更に激しさを増して盛り上がって来ている。
なんとかジェスチャーで伝えようと、手を持ち上げた瞬間。
──カタン、ザアッ…
「あっ、」
「!」
手に引っ掛けて、ポップコーンのカップをひっくり返してしまった。
派手な音はしないけど、千冬の足元に白い粒が散らばる。
「悪ぃ!拾うわ!」
「えっ、」
アクシデントの拍子に、繋がれていた手は離れた。
俺は静かに椅子を降り、空のカップを片手に千冬の足の間にしゃがみ込んだ。
「結構落ちたな…、まだこんなに入ってたのか…」
「ちょ、僕がやりますから…」
千冬が何か言っている気がするけど、よく聞こえねぇ。
とにかく俺は、まだ映画を観ている人たちの邪魔にならないよう、コソコソと速やかにポップコーンを拾い集める。
すると、千冬が俺の肩を叩いた。
ポップコーン拾いを中断して、顔を上げる。
体幹が悪い俺は、そんな姿勢の変更だけでも身体がよろめき、咄嗟に千冬の内腿に手をついてしまった。
どこか持っていれば、身体は安定する。
悪ぃけど、支えにさせてもらうぞ。
「なんだよ?……あ?」
しゃがみ込んだまま、上目遣いに千冬を見ると、千冬は、俺を呼んだにも関わらず、顔を赤くしてフリーズしている。
こてん、と首を傾げる。
「なんだ?」と尋ねるジェスチャーだ。
「……っ、…」
千冬は、口元を手の甲で隠した。
瞼を少し下げ、ジトっとした目で俺を見下ろしている。
じっと俺を見てるけど…、何か喋ってんのか?
口元を隠してるせいで、全然分からねぇ。
手に持っていたカップを床に置き、千冬の両腿を支えにして、立膝の姿勢になる。
立膝になる時、千冬の腿に置いた手のひらが滑ってしまい、千冬の脚が少し跳ねた。
くすぐったかったか?ごめんな。と心で謝る。
でもこうすれば、顔の位置がもう少し千冬に近付くから、聞き取れるかもしれねぇし。
体勢を整えると、改めて千冬を見上げる。
「ちふゆ?」
名前を呼んでるんだぞ、と分かるように、少し大袈裟に唇を動かす。
「ゆ」、と唇を突き出し、再び首を傾げたところで、千冬は喉仏を上下させ、とうとう顔を背けた。
は?
どういうジェスチャーだ、それ?
千冬が見た方を俺も見てみるけど、特に何もない。
通路を挟んだ向こうの席の人たちは、スクリーンを真剣に見ている。
よく分かんねぇ。
まあ、大事な要件なら、もう一度呼んでくれるだろう。
そう思って俺はまた千冬の足元に屈んだ。
散らばったポップコーンは、あと半分ほど。
さっさと片付けよう。
全てを拾い集めた頃には、エンドロールが流れ出していた。
ラストのシーン、見逃したなぁ…。
またあとで千冬に教えてもらおうと考えながら、千冬をチラリと見る。
しかし千冬は、自分の膝に肘をついて、両手で顔を隠し項垂れていた。
そんな泣けるラストだったのか…?
気になって反対隣のマロを見ると、マロは軽蔑するような目で俺を見ていた。
……いや、なんでだよ?



