『神喰いの花嫁は、愛を捧げない』

 村は、静かに崩れ始めていた。

 最初に気づいたのは、子どもたちだった。

 笑わなくなった。

 泣かなくなった。

 ただ、無表情で空を見上げるだけになった。

「……これは」

 白夜は、言葉を失う。

 わかっている。

 原因は、一つしかない。

 ――神。

 これまで通り、感情を捧げていれば起きなかったこと。

 自分が止めたせいだ。

「白夜様……」

 村人の一人が、怯えた声で呼ぶ。

「このままでは……」

「……」

 責めてはいない。

 けれど、その目が全てを語っていた。

 ――どうしてくれるのか、と。

「……わかっています」

 静かに答える。

 逃げない。

 これは、自分の選択の結果だ。

 

 社の前に立つ。

 何度も繰り返してきた場所。

 けれど、もう同じではない。

 白夜は、巫女としてここにいるのではなかった。

「……白夜」

 背後から声がする。

 振り返る。

 そこにいるのは、蒼真。

 ――の姿をしたもの。

「……来たのですか」

「ああ」

 短い返答。

 感情のない声。

 それでも。

 その奥に、何かが残っている気がして。

 白夜は、目を逸らさなかった。

「……まだ、そこにいますか」

 問いかける。

 返事はない。

 沈黙。

 それでも、構わない。

「聞いてください」

 一歩、近づく。

 怖くないわけではない。

 それでも、止まらない。

「私は、もう捧げません」

 はっきりと告げる。

「どれだけ奪われても」

「……そうか」

 淡々とした返答。

 けれど、その目がわずかに揺れた。

 ほんの一瞬だけ。

 見逃しそうになるほどの、微かな変化。

「ならば」

 その口が、ゆっくりと動く。

「この地は滅ぶ」

「……ええ」

 頷く。

 否定しない。

「それでも、です」

 静かに、言い切る。

「私は、あなたを捨てません」

 空気が、止まる。

 風が消える。

 音が消える。

 すべてが、凍りついたように。

「……愚かだ」

 低く、呟かれる。

 それが神の言葉なのか。

 それとも、蒼真の残滓なのか。

 わからない。

「そうかもしれません」

 否定しない。

 もう、正しさなどどうでもよかった。

「でも」

 一歩、さらに近づく。

「それが、私です」

 胸に手を当てる。

 鼓動が、強く響く。

 痛いほどに。

 生きていると、実感するほどに。

「……私は」

 言葉を、紡ぐ。

「あなたを、取り戻します」

 その瞬間。

 蒼真の体が、わずかに揺れた。

「……っ」

 顔が歪む。

 初めて。

 明確な変化。

「……そう……ま?」

 呼びかける。

 その名を。

 願いを込めて。

「……し……ろ……や……」

 掠れた声。

 消えかけの灯のように。

 それでも、確かにそこにある。

「……ここにいます」

 すぐに応える。

「ここにいます」

 手を伸ばす。

 触れる。

 その瞬間。

 びくり、と体が震えた。

「……に……げ……ろ……」

「行きません」

 即答する。

「あなたを置いていけません」

「……む……だ……だ……」

 声が途切れる。

 歪む。

 苦しそうに。

「……俺は……もう……」

 その言葉を。

 最後まで言わせなかった。

「違います」

 強く、遮る。

「あなたは、ここにいます」

 確信している。

 根拠はない。

 それでも。

「だから」

 手を握る。

 離さない。

「取り戻します」

 宣言する。

 その瞬間。

 蒼真の目が、大きく揺れた。

 そして。

 次の瞬間には。

 すべてが、消えた。

「……あ」

 まただ。

 また、消える。

 目の前で。

 何度も。

 何度も。

『無駄だ』

 声が、響く。

『何度繰り返しても』

 低く、確実に。

『その程度では届かぬ』

 手が、振り払われる。

 体が、後ろに弾かれる。

「……っ」

 地面に倒れる。

 息が詰まる。

 痛みが走る。

 それでも。

 立ち上がる。

 何度でも。

「……なら」

 顔を上げる。

 闇を睨む。

「届く方法を、選びます」

 静かに、告げる。

『ほう』

 興味を持ったような気配。

「あなたを、喰います」

 空気が、凍る。

 一瞬で。

『……何を言っている』

 初めて、わずかな動揺が混じる。

「あなたが、人の感情を喰うなら」

 一歩、踏み出す。

「私は、あなたを喰う」

 それが、答えだった。

 巫女としてではない。

 一人の人間としての。

 選択。

「そのために」

 手を握る。

 強く。

「何でも捨てます」

 感情も。

 命も。

 すべて。

『……面白い』

 低く、笑う。

『できるものなら、やってみろ』

 挑発。

 拒絶。

 それでも。

 白夜は、止まらない。

 もう、決めたから。

 戻れない。

 戻らない。

 この道の先に、何があっても。

 ――進む。