蛍の光



 1999年7月3日、土曜日。地球滅亡まであと29日。
 恒例の土曜補習が終わり、四時間の軟禁から解放された帰り道。僕は例のベンチでひとり、行きつけの弁当屋で購入した弁当を貪っていた。
 今日は先日に引き続き雲一つない改正で、脳天に突き刺す日差しが痛い。蝉がそこら中で泣いており、耳をつんざくその声は夏のしつこい暑さを痛感させた。
 ビーチには親子やカップル、若者たちが屯しており、何の面白みのない波打ち際ではしゃいでいる。僕はその様子を遠い目で眺めながら、105円ののり弁当をかき込んだ。カカシの姿は、まだ無い。
 権兵衛のいないベンチでは特にすることもなく、町の探索を始める。丘の上に建つ家の周りや海岸線沿いは散々開拓したため、権兵衛の墓のある浦山へ登ることにした。
 名前も知らない背の低いこの山は全く人気が無く、蝉のうるさい鳴き声だけが僕の周りを包んでいた。耳を塞いでも貫通する最期の叫びに少しの哀愁を感じつつ、社へ辿り着いた。
 しかし、そこには何と先客がいた。麦わら帽子を被り虫取り網を構えた同じ制服の少年である。しかも、同じ緋色の校章だ。
「えっ……市川?」
「あれ、水梨じゃん。奇遇だな、こんな所で」
 僕の言葉に驚いて振り返った少年は、クラスメイトの市川である。彼とはともに図書委員会に所属しており、唯一学校で関わりのある知人であった。
「何してんの」
「見たら分かるだろ。クワガタ捕りだよ」
「はあ」
「お前こそなんでこんな所に来てるんだ?」
「僕は……ただの散歩だよ」
 冷淡にそう答えると、社の横で守護者のように佇む大樹へ歩み寄る。市川と肩を並べその樹を見上げるも、蝉が数匹いるだけでお目当てのクワガタの姿はなかった。
「なんだ、いないじゃん」
「そうなんだよ。この山の樹は全て探してみたんだが、俺が求めてるオオクワガタは何処にもいねえんだよ」
「学校帰りによくそんなこと出来るね。明後日からテストだっていうのに」
「別にテストなんてどうでもいいだろ。明日世界が終わるかもしれないんだから」
「……君、もしかしてその予言を信じてるの?」
 訝しげに眉を顰め尋ねると、市川はさも当然かのように頷いた。
「そりゃあ勿論。なんせあの偉大なるノストラダムス大先生の予言だぜ?真っ向から否定して馬鹿にしてる奴らの方がどうかしてるだろ」
「はあ」
「さてはお前、信じてないな?」
「いや、君がおかしな宗教勧誘に騙されないか不安になっただけだよ」
 僕はあまりの狂信ぶりに思わず当惑の声を漏らす。しかし、彼の頽廃的な思想も的を射ている部分もあった。
「でも、良いね。その考え方」
「だろ?それに俺たちまだ1年だぜ?受験はまだまだ先。留年さえしなけりゃあ遊んでた方が人生勝ち組だぜ」
 市川は誇らしげなかおでそう語ると、僕の横を颯爽と通り過ぎる。その背中を目で追うと、「じゃあ俺は下山して隣町へ旅に出てくるわ」と高らかに宣言した。僕は小さく手を振り見送ると、社の祭壇に腰掛けた。
(明日世界が終わるかもしれないんだから)
 厭世的な瞳で云った市川の言葉を反芻する。靴を履いたまま怠惰に横臥すると、視界も同じように横転する。桧で出来たすのこは、夏の匂いと蝉の鳴き声を吸収していた。
(確かにそう考えたら、勉強なんて体裁なんてどうでもいいよな)
(そもそも僕、生まれてきた意味は無かったし)
 僕はそう心の中で吐き捨てると、幾分か軽くなった身体を起き上がらせた。
 蝉の断末魔が響く山の中。僕は権兵衛の墓の前に跪く。一昨日供えた花はもう枯れ、花弁は虫に食われていた。
「権兵衛。僕自由に生きるようにするよ」
 今は亡き友に、僕はそう吐露した。

「カカシー!僕だよスズメだよー!」
「なんだい、こんな朝早くから」
「今日から僕、ここに住むことにした!」
「……え?」
 寝起きなのかボサボサの髪型のまま玄関を開けたカカシは、溌剌と発せられた僕の言葉に硬直した。彼の珍しく驚いた姿に思わず笑みが溢れる。
「住むって、どういうことだい?」
「そのまんまの意味だよ」
「いや、なんで?」
「実は僕、親と喧嘩して家を追い出されたんだ。でも頼れる人がカカシしかいなくて」
「はあ」
 全くの嘘であるが、カカシは信じてくれたのか家の中に入れてくれた。一昨日泊めてくれた時やインスタント麺を食べるのを手伝ってくれた時もうっすらと感じていたが、彼は意外にも優しい一面がある。
「それで、ここに住むっていうのは一体どういうことだい?」
「僕、昨日親と喧嘩して家を追い出されちゃったんだ。でも頼れる友人も大人もいなくて困ってて……」
「なるほど」
「カカシが嫌なら無理強いはしないよ。でも、できたら僕を匿って欲しいなって」
「私は構わないが、寝台は一つしかないしワンルームだから狭いぞ?君の住んでいる家の方が遥かに広くて便利だと思うが」
「いいのっ。あの家に帰るくらいなら狭くてもなんでもいいんだ、僕は」
「はあ」
 渋るカカシを押し通し、僕はリビングルームの座卓に教科書と衣類を詰めた鞄を置く。生憎教科書類はほとど学校に置いており、衣類も制服と下着のみのため大した荷物ではなかった。
「でも、こういう所謂家出っていうのは私なんかじゃなくて教師とか警察とか、もっとまともな人を頼るんじゃないのかい?」
「まともじゃない自覚はあったんだね」
「話を逸らさないでくれよ」
「あいつらには頼りたくないんだ。勝手に詮索した挙げ句、頼んでもないのに哀れむから」
「なんだか複雑そうだけど、聞かないでおくよ」
 カカシはそう云い残すと、欠伸を溢しながらロフトへ登っていった。「また寝るの?」と呆れたように尋ねると、「まだ日が出ていて危ないから」と返される。確かに今は17時を少し回ったところで夕日すら出ていないが、この時間に二度寝とは不健康極まりない。ヴァンパイアにとっては普通の生活習慣なのかもしれないが。
 僕も彼の後を追いロフトへ登ると、散乱し転がる本の中から表紙と題名だけを見て選別する。日本語の本は少なく、ほとんどが英語などの多言語で書かれた書籍であった。言語に疎い僕はそんなものには目もくれず、日本語の文庫本を数冊拝借した。
 実は図書委員に務め始めてからというもの本に魅了され、今ではすっかり図書館に通い詰める本の虫となったのである。そのため一昨日訪れた時から、カカシの本棚には興味があったのだ。
 そうして僕はテストの勉強などは放り投げて、文学の世界に入り浸る週末を過ごした。教科書類には一切手を付けず、寝食意外の時間を全て読書に費やした。
 カカシはというと、僕が寝付く夜中に目を覚まし吸血のために外へ出る。しかしそれもものの1時間ほどで帰ってきて、夜明けまでは晩酌や絵画、読書をして過ごしていた。
 僕は国内の書籍を全て読み終えると、海外籍の本にも手を伸ばした。全く解読出来ずに困っていると、カカシが翻訳をしてくれた。彼は博識で英語や仏語などのメジャーな言語だけでなく、十を超える言語を容易に操っていた。それでも忘れてしまった言語も多いという。
 その理由を尋ねると、「これまで色々な国を放浪してきたからね」と返された。まだ若いのに僕よりも沢山の経験と知識を詰んでいるようで、ひとりでに疎外感を抱いた。
 そして、彼の収入源は何処からやって来るのだろうと、ふと疑問に思った。