我が国では、古来より異形が存在した。主に動物や人の形をしたそれらは、妖魔と呼ばれ、人に取り憑き、精気を奪う。酷い時には死に至らしめてきた。
そんな妖魔を人知れず封印し、滅することを生業としているのが、異能者の家系に生まれた者の使命であった。
名家である我が才塚家もその一つ。故に、そこで生まれた私、柚子葉も同様に。
しかしながら、私は異母妹の桜子と違い、異能はおろか妖魔を見ることすら叶わなかった。つまり、それは無能を意味し、異能の家系からすると、私は、ただのお荷物でしかなかった。
とはいえ、私の中には才塚の血が流れている。両親は政略結婚で、それはもう互いに有能な異能の持ち主。母は私が産まれてすぐに亡くなってしまったが、その血が流れているのは紛れもない事実。私に異能がなくとも、その子は異能を持って生まれてくる可能性は非常に高い。
故に、私は十八歳の誕生日、恩田家の若き当主の弟である恩田蒼真と政略結婚し、恩田柚子葉となった。
恩田の姓を名乗り始めて三年の月日が流れたある日の夕刻——。
「子はまだなの?」
「申し訳ございません。お義母様」
露骨に不快感を出す義母に、肘まで畳に付け頭を垂れる。
これは日常茶飯事。
純和風の壮大な屋敷の裏にひっそりと佇む小さな蔵に、わざわざ足を運んでは文句を垂れて帰るのが、義母の日課だ。
「ですが、お義母様……」
「なに? わたくしに盾を突く気?」
「滅相もございません」
初めこそ盾を突きたい衝動でいっぱいだった。子はまだかと催促されながらも、蒼真が暮らす母屋とは離れた蔵に追いやられ、その指にすら触れたこともないのだから。
そのことを知っていて尚、鬱憤の捌け口のようにやってくる義母に、憤りを覚えることも忘れてしまった。嫁いで半年もしない内に、私は諦めた。
蒼真は、小柄で器量の良い桜子と婚約したかった。けれど、その桜子は、蒼真の兄であり恩田家当主である恭介と結ばれた。
お荷物を引き受けた蒼真は、無能の私に見向きもせず、私を蔵に追いやった。しまいには、外に愛人を作って、帰って来ない日もしばしば。ここ半年は、家に帰ってきていないという。
これらは使用人に聞かされたこと。わざわざ教えてくれと頼んだわけでもないのに、いらぬ情報ばかりを耳に入れてくる。
才塚の家でも使用人に嘲笑われていた私だが、この恩田家に来てもその待遇は変わらない。
「それに比べてあなたの義母妹は優秀よね。二人目を孕ったようよ」
「そう……ですか」
「きっちり務めを果たせないようなら、離縁もありえますからね」
「……はい」
言いたいことだけ言った義母は、清々したように蔵から出て、外からしっかりと南京錠をかけた——。
取り残された私は、昼食として配膳された、皮の剥かれていない林檎に齧り付いた。
今日の食事は普段より豪華だ。大抵は誰かの残り物。つまりは、残飯処理だ。その残飯すらないこともあり、嫁としての務めを果たせない私は、一日食事にありつけないこともしばしば。それなのに、林檎を丸のまま与えてくれるなんて滅多にないこと。
涙すら出なくなった瞳で、小窓の向こうに見える羽ばたく小さな鳥を眺めた。
「離縁されたら、私も自由になれる……のかな。離縁、されたいな」
結婚して子を成せば、私も幸せになれると思っていた。いくら無能と罵られようが、嘲笑され冷遇されようが、蒼真との間に優れた異能を持つ子が生まれれば、私も認められる。そう思っていたのに……。
手を触れるどころか、もう随分と蒼真に会っていない。最後に会ったのは、いつだったか。それすらも思い出せない。
義母は離縁の話を口にするけれど、それを口にされてから二年半の時が過ぎた。
何故、早々にしてくれないのか。
ここを追い出されたら行くあてはない。継母がいる限り、父親は継母の言いなり。才塚の家にも戻れないだろう。
けれど、私は自由になりたい。ここで幽閉されるように暮らす生活は疲れた。
こんなことならいっそ、私も亡き母の元へ旅立ちたい。
私は、文机に置かれた小さな蝋燭の灯をコトンと倒した。
◇◇◇◇
辺り一面、真っ白い空間。
影すら見えないそこに、一人の見目麗しい天女のような女性の姿があった。高貴な着物を纏った彼女は、優しく微笑んで手招きした。
「わ、たし……?」
後ろを振り返ってみても、誰もいない……どころか、物一つない。前に向き直れば、彼女は笑顔で頷いた。
「おいで」
その声には聞き覚えがあった。
ゆっくりと彼女の前に歩を進める。ゆっくりと動かしていた足が、自然と速くなる。しまいには、駆けた。そして、広げられた腕の中に飛び込んだ。
「お母様!」
——刹那、視界が一変した。
「柚子葉。何故、火を放った?」
その冷淡な声と瞳に、肩が跳ねる。
先程まで母の夢を見ていたと思ったら、目の前には、圧倒的な美しさを持つ、魅惑的な男性の姿がそこにあった。
「そ、蒼真様……何故」
私は、蒼真の腕の中にいた。
蒼真の後ろには、先程まで私がいた小さな蔵。焼けこげて半壊したそこは、びしょ濡れで、もう人が住めるような状態ではなかった。そもそも人が住む場所ではないのだが。
そして、蒼真の後ろには、桜子と義母の姿もあった。
「あら、お異母姉様ったら。死んでしまったのかと思いましたわ」
「わたくしが離縁の話を出したから、気を引きたかったのでしょうね。愚かな嫁ですこと」
冷笑を浮かべる二人をよそに、蒼真は真っ直ぐに私の目を見つめる。
「俺の問いに応えろ」
「は、はい」
冷ややかな瞳の蒼真の顔は、すすで所々黒く汚れている。かちっとした軍服も同様に。
それは、私を助け出したからに相違ないのだと、すぐに分かった。
「わ、私は……自由に……自由になりたかったのです」
「自由に……それは、俺から逃げるということか?」
「い、いえ……」
「柚子葉、お前は絶対に逃がさん。そして、死なせん」
「蒼真様、何故……」
そんなに私が憎いですか。
これまで指一本触れなかった私に触れてまで助け出して、私をどうしたいんですか。私を生かして、私に辛い思いをさせて、楽しいですか。愉快ですか。
この際、聞いてみるのもありかもしれない。蒼真とも、次いつ会えるか分からない。この際、思いの丈をぶち撒けて、いっそ死ぬまで殴られようか。
覚悟を決めて、ふぅと息を吐いた時だった。蒼真は眉をピクリと吊り上げた。
「そんなに、俺が憎いか? 不快か?」
「……え?」
そっくりそのまま返したい。そのつもりだった。
それなのに、言えなくなった。
「いえ、滅相もございません」
「良かった」
安堵したように、蒼真が肩の力を抜いたのが分かった。
(良かった?)
その意味も、蒼真の反応も理解出来ない。けれど、もしかしたら、蒼真は思ったよりも冷酷無慈悲なお方ではないのかもしれない。そんな期待が胸に湧いた。
しかし、それも一瞬のこと。
「今日からは、離れで暮らせ」
「……え」
母屋よりは小さく、蔵よりは大きな離れ。
長年使われていないそこは、かつて人体実験に使われた部屋だと使用人らから聞かされている。異能者を増やす為、罪人をそこに閉じ込め、異能者の血を注入するといった、卑劣な実験がなされていた場所だと。
しかし、それは全て失敗に終わり、妖魔とはまた別の、キメラのような異質な生物が出来上がった。それらは自我を失い、その場で全て滅せられた。
これらの話は、今よりも遥かに昔のことで、現在は呪われた離れとして、誰も使っていないのだとか。
「私、一人で……でしょうか」
「嫌か?」
「えっと、あの……」
無能の分際で、嫌と言えるはずもない。
とはいえ、今拒まなければ、呪われた離れで一生幽閉される可能性は高い。
私は、初めて命乞いするように蒼真に泣きついた。
「な、何でも致します。どうか、どうか、御慈悲を……自由になりたいなどと、二度と口に致しません。ですから、一人で、離れは……嫌に御座います……」
「柚子葉……」
冷徹なその表情は変わらない。
「左様か」
それだけ呟き、私は蒼真によって抱き上げられた。
「呪われた離れ、お異母姉様にはピッタリですわね」
「流石のわたくしも、そこまでは面会に行けないわよ。ここでサヨナラですかね。寂しくなるわね」
「お異母姉様、お元気で」
愉快そうに笑う二人は、母屋へと足を向けた。
同時に、蒼真が離れの鍵を開ける音が闇世に響いた。
「さようなら……」
それだけ口にして、私は離れの中へと運ばれた。
そんな妖魔を人知れず封印し、滅することを生業としているのが、異能者の家系に生まれた者の使命であった。
名家である我が才塚家もその一つ。故に、そこで生まれた私、柚子葉も同様に。
しかしながら、私は異母妹の桜子と違い、異能はおろか妖魔を見ることすら叶わなかった。つまり、それは無能を意味し、異能の家系からすると、私は、ただのお荷物でしかなかった。
とはいえ、私の中には才塚の血が流れている。両親は政略結婚で、それはもう互いに有能な異能の持ち主。母は私が産まれてすぐに亡くなってしまったが、その血が流れているのは紛れもない事実。私に異能がなくとも、その子は異能を持って生まれてくる可能性は非常に高い。
故に、私は十八歳の誕生日、恩田家の若き当主の弟である恩田蒼真と政略結婚し、恩田柚子葉となった。
恩田の姓を名乗り始めて三年の月日が流れたある日の夕刻——。
「子はまだなの?」
「申し訳ございません。お義母様」
露骨に不快感を出す義母に、肘まで畳に付け頭を垂れる。
これは日常茶飯事。
純和風の壮大な屋敷の裏にひっそりと佇む小さな蔵に、わざわざ足を運んでは文句を垂れて帰るのが、義母の日課だ。
「ですが、お義母様……」
「なに? わたくしに盾を突く気?」
「滅相もございません」
初めこそ盾を突きたい衝動でいっぱいだった。子はまだかと催促されながらも、蒼真が暮らす母屋とは離れた蔵に追いやられ、その指にすら触れたこともないのだから。
そのことを知っていて尚、鬱憤の捌け口のようにやってくる義母に、憤りを覚えることも忘れてしまった。嫁いで半年もしない内に、私は諦めた。
蒼真は、小柄で器量の良い桜子と婚約したかった。けれど、その桜子は、蒼真の兄であり恩田家当主である恭介と結ばれた。
お荷物を引き受けた蒼真は、無能の私に見向きもせず、私を蔵に追いやった。しまいには、外に愛人を作って、帰って来ない日もしばしば。ここ半年は、家に帰ってきていないという。
これらは使用人に聞かされたこと。わざわざ教えてくれと頼んだわけでもないのに、いらぬ情報ばかりを耳に入れてくる。
才塚の家でも使用人に嘲笑われていた私だが、この恩田家に来てもその待遇は変わらない。
「それに比べてあなたの義母妹は優秀よね。二人目を孕ったようよ」
「そう……ですか」
「きっちり務めを果たせないようなら、離縁もありえますからね」
「……はい」
言いたいことだけ言った義母は、清々したように蔵から出て、外からしっかりと南京錠をかけた——。
取り残された私は、昼食として配膳された、皮の剥かれていない林檎に齧り付いた。
今日の食事は普段より豪華だ。大抵は誰かの残り物。つまりは、残飯処理だ。その残飯すらないこともあり、嫁としての務めを果たせない私は、一日食事にありつけないこともしばしば。それなのに、林檎を丸のまま与えてくれるなんて滅多にないこと。
涙すら出なくなった瞳で、小窓の向こうに見える羽ばたく小さな鳥を眺めた。
「離縁されたら、私も自由になれる……のかな。離縁、されたいな」
結婚して子を成せば、私も幸せになれると思っていた。いくら無能と罵られようが、嘲笑され冷遇されようが、蒼真との間に優れた異能を持つ子が生まれれば、私も認められる。そう思っていたのに……。
手を触れるどころか、もう随分と蒼真に会っていない。最後に会ったのは、いつだったか。それすらも思い出せない。
義母は離縁の話を口にするけれど、それを口にされてから二年半の時が過ぎた。
何故、早々にしてくれないのか。
ここを追い出されたら行くあてはない。継母がいる限り、父親は継母の言いなり。才塚の家にも戻れないだろう。
けれど、私は自由になりたい。ここで幽閉されるように暮らす生活は疲れた。
こんなことならいっそ、私も亡き母の元へ旅立ちたい。
私は、文机に置かれた小さな蝋燭の灯をコトンと倒した。
◇◇◇◇
辺り一面、真っ白い空間。
影すら見えないそこに、一人の見目麗しい天女のような女性の姿があった。高貴な着物を纏った彼女は、優しく微笑んで手招きした。
「わ、たし……?」
後ろを振り返ってみても、誰もいない……どころか、物一つない。前に向き直れば、彼女は笑顔で頷いた。
「おいで」
その声には聞き覚えがあった。
ゆっくりと彼女の前に歩を進める。ゆっくりと動かしていた足が、自然と速くなる。しまいには、駆けた。そして、広げられた腕の中に飛び込んだ。
「お母様!」
——刹那、視界が一変した。
「柚子葉。何故、火を放った?」
その冷淡な声と瞳に、肩が跳ねる。
先程まで母の夢を見ていたと思ったら、目の前には、圧倒的な美しさを持つ、魅惑的な男性の姿がそこにあった。
「そ、蒼真様……何故」
私は、蒼真の腕の中にいた。
蒼真の後ろには、先程まで私がいた小さな蔵。焼けこげて半壊したそこは、びしょ濡れで、もう人が住めるような状態ではなかった。そもそも人が住む場所ではないのだが。
そして、蒼真の後ろには、桜子と義母の姿もあった。
「あら、お異母姉様ったら。死んでしまったのかと思いましたわ」
「わたくしが離縁の話を出したから、気を引きたかったのでしょうね。愚かな嫁ですこと」
冷笑を浮かべる二人をよそに、蒼真は真っ直ぐに私の目を見つめる。
「俺の問いに応えろ」
「は、はい」
冷ややかな瞳の蒼真の顔は、すすで所々黒く汚れている。かちっとした軍服も同様に。
それは、私を助け出したからに相違ないのだと、すぐに分かった。
「わ、私は……自由に……自由になりたかったのです」
「自由に……それは、俺から逃げるということか?」
「い、いえ……」
「柚子葉、お前は絶対に逃がさん。そして、死なせん」
「蒼真様、何故……」
そんなに私が憎いですか。
これまで指一本触れなかった私に触れてまで助け出して、私をどうしたいんですか。私を生かして、私に辛い思いをさせて、楽しいですか。愉快ですか。
この際、聞いてみるのもありかもしれない。蒼真とも、次いつ会えるか分からない。この際、思いの丈をぶち撒けて、いっそ死ぬまで殴られようか。
覚悟を決めて、ふぅと息を吐いた時だった。蒼真は眉をピクリと吊り上げた。
「そんなに、俺が憎いか? 不快か?」
「……え?」
そっくりそのまま返したい。そのつもりだった。
それなのに、言えなくなった。
「いえ、滅相もございません」
「良かった」
安堵したように、蒼真が肩の力を抜いたのが分かった。
(良かった?)
その意味も、蒼真の反応も理解出来ない。けれど、もしかしたら、蒼真は思ったよりも冷酷無慈悲なお方ではないのかもしれない。そんな期待が胸に湧いた。
しかし、それも一瞬のこと。
「今日からは、離れで暮らせ」
「……え」
母屋よりは小さく、蔵よりは大きな離れ。
長年使われていないそこは、かつて人体実験に使われた部屋だと使用人らから聞かされている。異能者を増やす為、罪人をそこに閉じ込め、異能者の血を注入するといった、卑劣な実験がなされていた場所だと。
しかし、それは全て失敗に終わり、妖魔とはまた別の、キメラのような異質な生物が出来上がった。それらは自我を失い、その場で全て滅せられた。
これらの話は、今よりも遥かに昔のことで、現在は呪われた離れとして、誰も使っていないのだとか。
「私、一人で……でしょうか」
「嫌か?」
「えっと、あの……」
無能の分際で、嫌と言えるはずもない。
とはいえ、今拒まなければ、呪われた離れで一生幽閉される可能性は高い。
私は、初めて命乞いするように蒼真に泣きついた。
「な、何でも致します。どうか、どうか、御慈悲を……自由になりたいなどと、二度と口に致しません。ですから、一人で、離れは……嫌に御座います……」
「柚子葉……」
冷徹なその表情は変わらない。
「左様か」
それだけ呟き、私は蒼真によって抱き上げられた。
「呪われた離れ、お異母姉様にはピッタリですわね」
「流石のわたくしも、そこまでは面会に行けないわよ。ここでサヨナラですかね。寂しくなるわね」
「お異母姉様、お元気で」
愉快そうに笑う二人は、母屋へと足を向けた。
同時に、蒼真が離れの鍵を開ける音が闇世に響いた。
「さようなら……」
それだけ口にして、私は離れの中へと運ばれた。



