放蕩華族の冷遇妻



 ◇

 あの夜の騒ぎの後、月ヶ瀬家には大きな変化が訪れた。
 押し入れの奥から発見された遺体は、しばらく行方不明とされていた当主のものであった。騒ぎはすぐに公となり、義母は自らの罪を認め、そのまま捕縛された。連行されるその背が、ひどく小さく見えた。
 両親がいなくなり、月ヶ瀬家の当主は総司へと移った。
 突然の変化に、次男と三男は露骨に不満を滲ませていた。廊下の端で何やら陰口を叩いていることもあったが、以前のように小夜子へ直接絡んでくることはなくなった。あの日、白蓮の姿を目の当たりにした記憶が、二人の中に強く焼き付いているのだろう。小夜子と目が合うだけで、顔を強張らせ、怯えたように視線を逸らすようになった。
 屋敷の空気も、目に見えて変わった。
 かつては陰で囁かれていた女中たちの悪意も、今はすっかり鳴りを潜めている。理由は明白だった。ある日、総司がはっきりと彼女たちに言い渡したのだ。

「小夜子は俺の最愛の妻だ。この子を悪く言うことは許さない」

 当主の一言で、屋敷中の小夜子への態度が変わった。以来、小夜子は丁重に扱われるようになり、すれ違うたびに頭を下げられるようになった。急な態度の変化に戸惑いはあったが、少なくとも以前のような息苦しさは感じなくなった。
 そして――何よりも大きく変わったのは、総司自身だった。
 あれほど女遊びに興じていた彼が、もう誰一人として屋敷に招き入れることはなくなった。夜になると、決まって小夜子のいる離れへと足を運ぶ。理由を問うまでもなく、その目的ははっきりしていた。小夜子の傍にいるためだ。総司はあれから毎晩、小夜子と一緒に眠っている。
 縁側に並んで座り、時には何も言わず、ただ同じ景色を眺める。そんな穏やかな時間が、当たり前のように流れるようになった。
 春の夜風が吹く日だけは、少し総司の様子が違った。
 ある夜、小夜子が灯りを落とそうとした時だった。背後から、ぎゅっと強く抱き締められる。

「……総司様?」

 振り返る間もなく、肩口に顔を埋められる。伝わってくる体温が、どこか震えていた。

「夢を見るんだ」
「夢……とは」
「俺が小夜子に冷たくしたせいで、小夜子を失う夢」
「…………」
「小夜子を失うなんて耐えられない。もう、俺の前からいなくならないでほしい」

 泣きそうな、掠れた声だった。

「俺を見捨てないでくれ」

 総司の指先が、小夜子に縋るように着物を掴んでいる。まるで、何かに怯える子供のように。
 きっと、思い出しているのだ。あの春の日を。琴里を失った、あの火の中の記憶を。
 小夜子はゆっくりと振り返り、そっとその背に手を回した。

「見捨てません」

 静かに告げる。
 もう一度、今度ははっきりと。

「私は、ここにいますから」

 その言葉に、総司の肩がわずかに震えた。

「俺はあれだけ酷いことをしたのに、まだ傍にいてくれるの」
「……もちろん、他の女性と仲良くされたのは、悲しかったですけど。もうしないんですよね?」
「ッもうしない! 誓って小夜子しか愛さない!」

 必死に弁解するように大きな声を出す総司がおかしく、小夜子は噴き出してしまった。

『ほんとかしらぁ? 小夜子ちゃん、こいつのこと、あたしはまだ許してないわよ』
『そーだそーだ! お嬢は甘すぎなんだよ』

 後ろから、白蓮と忍丸がぶつくさと文句を投げてくる。
 この二体がずっと傍にいるせいで、総司は小夜子との初夜を迎えることができず、悶々としているようだった。それは式神二体も理解しているようで、だからこそわざと小夜子の傍に顕現しているらしい。彼女たちに少し意地悪なところを感じつつも、それが自分を大事に思っているが故のことだと理解しているので、咎めなかった。

「総司様をお慕いしているからこそ、無理を言ってここに嫁いだのです。その総司様から離れるなんて、ありえません」

 その言葉に安心したかのように、総司の小夜子を抱き締める腕の力が緩む。それでも離れることはなく、ただ確かめるように、彼は小夜子を抱き寄せ続けた。

「小夜子、愛してる。人生をかけて償うから、ずっと俺の傍にいてね」

 外では、夜桜が静かに揺れている。
 散りゆく花弁が夜風に舞い、淡く、優しく、二人の眼下に降り積もっていった。



【完】