Nook-彼と僕のゆるやかな日々の話-

「大丈夫、すぐしないから」
「……すぐしないということは、いつかするということでしょうか」
普段ならこんなこと絶対言わない。頭がぼんやりして、浮かんだことを口に出してしまう。
藤森君に確実に、おかしくされてる。
「そうなったらいいなって、思ってるよ」
藤森君は、ふにゃりとした笑みを浮かべた。
なんでこんなことになったかというと──

「光君、俺のこと意識してね?」
そう言われた日以降も、藤森君と一緒にご飯を食べている。
何も変わらない、わけなかった。
「親子丼、甘じょっぱくておいしい」
ふとした瞬間に藤森君を見ると、力の抜けたような優しい笑みを向けられる。
それがすごくたまらない気持ちにさせられて、胸の奥が締め付けられるような、どうしたらいいかわからなくなる。
今日、信じられないことに、寝坊した。
原因は、目の前の藤森君。ベットに横になって、藤森君のことを考えていると寝れなくて、寝坊した。飛び起きるということを人生で初めてした。衝撃が大きい。
急いで作れるもの、と冷蔵庫を見渡し、昨日準備していた食材は帰ってから晩御飯に回すとして、親子丼に行きついた。
「兄ちゃん、寝坊したん?珍しい」
朝、達也が家を出る時間には間に合わなかった。
「いいから、早よ行き。後で教室にお弁当持っていくから」
「……行ってきます」
ムスッとするでも、騒ぐでもなく、達也は静かに家を出た。
「こういうのもいいね。どんぶりってあんま食べる機会ないから新鮮」
藤森君は大きな口で親子丼を頬張る。
相変わらず、見ていて気持ちのいい食べっぷりだった。
「光君、今日は静かだったね」
「そうかな」
今日は藤森君の買ってきてくれたナシゴレン弁当をじっくり味わっていた。のもあるけど、藤森君を前にするとドキドキして、なかなか箸が進まなかった。
「ごめんね」
「え?」
旧校舎を出たところで、そう言う藤森君を振り返った。
「俺のこと意識してほしいけど、でも緊張してほしいわけじゃない。光君は、気にしない程度に気にしてくれたらいいから。ね?」
僕から食べ終わったお弁当のケースを取った藤森君は、「これ捨ててから教室戻るね」と行ってしまった。
気にしない程度に気にしてって、なんて難しいことを言うだろう。
最近、藤森君のことを考えて、モヤモヤしている時間が増えた。
「じゃ、チキン南蛮弁当ください。あとこれ」
変わらず、お弁当を買いに来た藤森君から軽くなったランチボックスを受け取った。
「わざわざ洗ってくれてありがとう」
「ううん、ていうか今更ながらでごめんね」
最近になって、藤森君からお弁当箱を洗ってから返したい、と言われた。そんなこと気にしなくていいのに、意外に律儀と言うか。
「バイト頑張ってね。バイバイ光君。また明日」
「バイバイ」
お弁当を受け取った藤森君は、小さく手を振って、店の外からもう一度手を振ってから、クロスバイクで帰っていった。
藤森君の姿が見えなくなってから、ランチボックスが入った紙袋に手を入れ、確認した。
「……あった」
スマホ程度のノート。パラリとめくると、
『今日も美味しい弁当ありがとう!光君とご飯食べれて幸せ。夜も会えるのうれしい』
ページの真ん中に太いボールペンで流れるように書いてある。
最初は、紙片をもらうだけだった。
『ひるたのしみ!』
僕は僕が思う以上に楽しみと言ってもらえることがうれしかったみたいで、ファイルに挟んで自分の部屋の本棚の、お気に入りのレシピ本の隣にそっと保管している。いつもお弁当を一緒に食べてる時に聞ける感想も、メモも嬉しかった、とたまたま話した。
次の日、藤森君はこの小さなノートを手渡してきた。
『今日は猫いたから触ろうとしたら威嚇された。ショック。明日の光君の弁当で癒され予定』
『うずらの卵がひよこになってて、きゅんとした。でも光君、俺のこと幼稚園児と思ってない?』
『アスパラ肉で巻いたやつ、めっちゃうまかったー‼店で売れるレベル‼俺だけ食べれてるの、めっちゃラッキー』
隅っこに無骨な猫やひよこの絵も描かれているときもある。そういうとき、思わず笑ってしまう。
だからかな、僕も気負わず返事できる。
『癒しがいるときに、シビ辛メニューでごめん。明日はまろやかなもの作ってきます』
『今日は揚げ物ときんぴらで茶色めだったから、かわいいひよこを入れてみました』
『アズパラ、おいしかったみたいでよかったです。弟からも好評でした。
僕も藤森君の選んでくれたお弁当、自分では選択しないものばかりで、楽しいです』
数行だけのやり取りが、くすぐったくてたまらない。お弁当の感想が文字で残ってるのもうれしくて、僕の番の時、何度も藤森君の書いた文字を見てしまう。
「光君、チキン南蛮弁当、残り5つ」
「はーい」
店の奥でおばさんは残数を数えながら僕に叫んだ。
「海苔弁当はまだ10個ある。今日の、あんまりだったんかな……」
おばさんは性格的に猪突猛進でありつつも、気にしいなとこもある。
今日の海苔弁の敗因は、フルーツサラダが入ってたからじゃないかと僕は思ってる。白米に合わない。
 週二回のバイトの日は、いい意味で気がまぎれる。バイトして、帰ってからご飯食べて次の日のお弁当の準備して、宿題したら寝る時間。
だから、今日みたいな日は困る。
「……はぁ」
小さなため息をつきながら、さっきから食品売り場を徘徊している。
達也は部活の友達の家に泊まりに行き、両親も飲み会や残業で晩御飯用意しなくていいことになった。
家に帰ってから、洗濯物を畳み、冷蔵庫を除いても自分だけのために料理する気にはなれなかった。
「なんか買いに行こ」
そうして気分転換で駅前の商業施設までやってきた。ふらふらとショッピング街を歩き、本屋さんでレシピ本を見て、飲食エリアを見たけど、気持ちが晴れず、結局食品の買い出しに来た。けど、さっきからカゴを持ったままうろうろするばかり。段々と何を買えばいいのかわからなくなってきた。
三周目の野菜売り場で、熟れたトマトを前に、立ち止まった。
「ラタトゥイユとか作ったら、喜んでくれるかな」
自分のつぶやきが耳に入って、強く頭を横に振った。
明日は休みだからお弁当のこと考えなくてもいいのに、気づいたら藤森君に何を作ろうか、ツナとブロッコリーのチーズ焼きをもう一度食べたいと言ってたな、あの時美味しそうな顔してたな、なんてぐるぐると考えてしまって、家から出てきたはずなのに──
「あ、そうだ。ラップがなかったんだ」
ラップを求めて、僕は野菜売り場を後にした。
キッチン用品売り場でラップを手に入れ、そういえば食器用洗剤も少なかっただろうかと家を出る前に見たはずのボトルの量を思い出そうとしていた。
「光君」
急に降りてきた声に、左を向くと
「ひっ⁉」
全身黒のスウェットに、黒の丸いサングラス、白いマスクをつけた長身の男に声をかけられた。
誰だろう知り合い?会ったことある人かな、と焦っていると、耳に見覚えのあるピアスがついているのに気づいた。
「……藤森君?」
藤森君はちょっとだけサングラスとマスクを外した。
「光君、なにしてんの?こんなとこで会えるなんてうれしい」
距離を詰め、少し屈んだ藤森君の肩が、僕の肩にあたる。
「買い物中?俺も一緒に見てもい?」
なんでこんな、耳元でこっそり言うんだろう。心臓が段々とうるさくなっていく。
「あ、あの、藤森君……」
「なに?」
藤森君の耳が、ピアスが、僕の耳にあたる。
「その、近くて……」
それだけ言うのが、精一杯だった。
「あぁ、ごめんね。光君に会えたのがうれしくて、つい」
一歩離れた藤森君に、僕はカゴを奪われてしまった。
「あと何買うの?」
「えっと、あの……」
さっきの衝撃が大きすぎて、もともと何を買おうかわからなかったのに、もっとわからなくなってくる。
「その、晩ご飯のものを買おうと」
なんとか当初の目的を思い出すだけでいっぱいいっぱいだ。
だって、いつもと違う雰囲気の藤森君、さっきまで頭の中でいっぱいだった藤森君、近かったときいい香りのした藤森君、いつもより人懐っこい藤森君にドキドキしてしょうがない。
「晩ご飯、なに作るの?」
「あ、今日は作らないで、なにか買おうかと」
そう言うと、隣を歩いていた藤森君がピタッと止まって、僕を見下ろした。
「光君、それなら俺と一緒に食べようよ」
「……へ?」