Nook-彼と僕のゆるやかな日々の話-

「昨日、静女の子らに遊びに行こって誘われてんのにさぁ、藤森スルーで聞こえてもいねーの」
ちらっと教室の後ろを見ると、窓側の壁にもたれた藤森君の肩に腕をまわした桃山君が、さっきから昨日の帰りの話をしている。桃山君の声は決して大きいわけはないけど、それを聞きたいクラスメイト、特に女子が静かにしているからだろう。窓際一番前の席の僕にもはっきり聞こえる。
「へー、それでどうしたんだよ」
藤森君達に声かけた子が聞いた。
「しゃーないから、こうやって、俺以外の子と話できないから♡っつって手繋いで駅まで行ったよ」
「荒技過ぎ!」
ギャハハ、と声が響いた。
「だから、うちの斗亜ちゃんは人見知り激しいから、合コンなんて無理無理」
「えー、もう藤森連れてくって言っちゃったんだよ。頼む!この通り!」
「……」
耳だけ向けた僕にはわからないけど、身振り手振りで断ってたりするんだろうか。
そう思うくらい、静まり返っている。
「はいはい、藤森は恥ずかしがってるって断っといて」
代わりに桃山君が断ったとこを聞くに、藤森君は聞こえないフリでもしてたのだろう。
何度か、そういう彼を見たことがある。
「そんなこと言うなよ、ふじも──」
「じゃあ、顔見知りだったらいいよね?藤森君、桃山君、帰りにカラオケ行こうよ」
諦めきれない声を遮るように、クラスでも派手な子達が話しかけた。
チャンスを狙っていたんだろう。
「あたし達だったらいいよね?」
「そうだよ、二人ともこの間のボーリングも来てくれなかったし。ね、いいでしょ?」
もちろん僕も誘われていない。クラスでも上位の子たちの集まり。面倒ごとからは距離を置く方がいい。
「あー、俺は今日バイトあるから難しいし……、藤森は?」
「面倒」
即座に断った藤森君は、そのまま桃山君に言った。
「そろそろ移動教室」
「おー。じゃ、ごめんな」
パンッ、と両手を合わせた音と不満げな声が聞こえる中、解散したようだ。周囲のクラスメイトも段々と教室を出て行く。
僕もそろそろ移動しようと、机の上にノートを置くと、そこに小さな紙片が乗った。ふと上を向くと、僕の席横を藤森君が通り過ぎていった。
「藤森、行くぞー」
「ん」
ダルそうな藤森君の背中を目で追ってから、僕は紙片を開いた。
『ひるたのしみ!』
顔を上げ、教室の扉の方を見ると顔だけ後ろに向け、口元に笑みを浮かべた藤森君と目が合った。
「斗亜ぢゃーん!置いてくぞー!」
桃山君の声に、藤森君は教室から出て行った。
「……え、なにいまの。見た⁉藤森、めっちゃ美しかったんだけど⁉」
「見た‼あたしの方見てなかった⁉」
「ないでしょ、あんた見てるならあたしの方があるし」
ざわめく教室の中、僕は微動だにできなかった。だって今、確実に、藤森君は僕に笑いかけたから。
「おーおー、相変わらずの人気だのぉ藤森」
片手に教科書を携えた山ちゃんが、「俺らも移動しよーぜー」と呼びに来てくれた。
けど、立ち上がってからも、しばらく心臓がドキドキしていた。
「ん?光、なんか顔赤くない?お前も藤森にやられたの?」
「そんなこと……」
ある。だから、続きは言えなくなった。
「鈍い光まで魅了するとは、さすがだな、藤森」
「魅了って」
「俺もワーキャー言われたい」
山ちゃんは願望丸出しでがっくりした。
「山ちゃんは走りで魅了してるよ」
何度か見たけど、山ちゃんの走る姿は綺麗だと思う。
「光、お前そういうとこだぞ」
「え?わ、なに⁉」
僕の肩に腕をまわした山ちゃんは、機嫌が直ったようだ。
「俺の神髄を知るのは、光と達也だけだよ」
「はいはい」
ふざけてほっぺにキスしようとしてくる山ちゃんの頬を押し返しつつ音楽室に入ると、先に来ていた藤森君と目が合った。けれど、すぐに視線がそれたから、僕の勘違いかもしれない。
そう思うと、さっきの教室でのことも、僕の勘違いだったのかもしれない。
なんだか恥ずかしくなってきて、じわじわと汗が出てきた。
「光―、こっち座ろってまた顔赤くなってる!熱でもあんのか?」
「ううん、なんでもない……」
最近感情が、忙しい。

「そういえば、最近誰と昼食べてんの?って聞かれた」
3時間目が終わると、僕の席まで来た山ちゃんが突然言い出した。
「誰に?」
「廊下で達也に」
「……なんで山ちゃんに」
「お前、疑われてんぞ。恋人出来たんじゃないかって」
「そうじゃないって言ったんだけどね」
達也は僕が隠してると思って、山ちゃんに聞いたんだろう。

もちろん今日の朝も、達也のチェックがあった。
「兄ちゃん、また弁当作って……って今日は普通やな」
達也はいつも通りのお弁当が用意されてるのをチェックすると、制服に着替えに自室に戻った。
「今日からは、これなんだ」
作り終わったお弁当に、僕はそっと蓋をした。

「達也に言うの、ダメなの?」
山ちゃんには、藤森君とお弁当を食べることを伝えている。僕の料理の練習に付き合ってもらうから、と言って。
伝えた時は、ぎょろりとした山ちゃんの目が飛び出るんじゃないかと思うくらい驚いていた。けど、しばらくしたら「あー……、そっか。わかった」と気が抜けるような返事をされた。なんだったんだろう。
「ダメじゃないけど、なんとなく、面倒な予感しかしない」
「ま、確かに」
山ちゃんでさえ、腕を組みながら深く頷いた。
山ちゃんは気が抜けた後、「藤森はお前が思ってる以上だぞ!」と鬼気迫る勢いで言った。
他校からも藤森君に告白しにくる子がいるのは、僕も見たことがあるから知っていた。そのきっかけとなったのは、「めっちゃ美しい奴が入学してきた!」と入学式で話題となり、それが他校まで広がったから。以降、藤森君を見にわざわざ他校からくる子が絶えないらしい。告白してきた女子の数は冷やかしも入れると100人を超えると噂され、それより有名なのはその振りっぷり。
「無理」
その二言で終わるらしい。
「光が食われないか心配だよ」
「はいはい」
適当なことを言う山ちゃんを、僕も適当に流した。
「光って、噂とかあんま知らないよな」
「知らないって言うか、聞こえても聞かないようにしてる」
「なんで?」
山ちゃんは「食う?」とポケットから取り出したアメをくれた。
「特に理由はないんだけど、噂を気にすると疲れちゃうから、かな。だからあんまり気にしたくないっていうか」
「でも藤森の噂は聞いたじゃん」
「それは山ちゃんがペラペラ話し出したから。それに完全シャットアウトってわけじゃないし」
ただ、そこまで有名だとは思っていなかった。
そんな有名人な彼と一緒にお弁当を食べていると達也に知られたら──
「僕はいいとして、達也が藤森君のとこに行くのは避けたい」
絶対に、達也は大騒ぎするだろう。
「愛が重いと大変だな」
机に突っ伏した僕の頭を、軽く山ちゃんが撫でてくれた。
それにしても、今更ながら不思議に思う。一匹狼ではないけど、極力人を寄せ付けない藤森君と僕がお弁当を一緒に食べるようになるなんて。しかも、彼は楽しみにしてくれている。いや、僕と食べるのが、じゃなくて、僕のお弁当が、だろう。それでも、僕の料理を食べてあんな笑顔を見せてくれる。それだけで僕は充分だ。
「へへ……」
思い出して、笑ってしまった。
「撫でられてうれしいのか、そうかそうか」
全然違ったけど否定しないでいると、山ちゃん僕の頬に両手をあててうりうりとしてきた。正直、やめてほしい。


「俺、光君に大事なこと聞いてなかった」
向かいの席で眉をひそめ、額に手をあてた藤森君に、何を言われるのかと僕は唾を飲んだ。
口を開いた藤森君は
「俺、光君の好み聞いてなかった」
そうして持っていたエコバックから出て来たのは、シーザーサラダ、ジャガイモとベーコンのバター炒め、エビマヨ、鶏肉と大根の炊き合わせ、ハムときゅうりのサンドイッチ。
なんという組み合わせだろうか。
「どれがいいかと思って、いろいろ買ってみた」
えへへと笑う藤森君に、僕は笑顔を張り付けた。
藤森君から「俺が気兼ねしないように、お弁当交換にしてくれない?」と提案された。気にしないでいいと伝えて、しばらくは僕の作ったお弁当を二人で食べていたけれど、「やっぱり悪いよ」と言われ、仕方なく折れた。
それで今日から、僕のお弁当と藤森君の買って来たお弁当を交換することになったのだけれど──欲を言うつもりはないけれど、僕はおかずのお伴にサンドイッチは選択しない。
「どうかな?」
“褒めて”と“好きかな?”の不安と期待の混じった視線を向けられた。
「ちゃんと教えて?今日の感じでよかったらいいんだけど、そうじゃないなら言ってくんないとわかんない」
藤森君はじっと、僕からの判決を待っている。
「多分、あんま好みじゃなかったよね?」
藤森君の肩が少し下がった。用意してくれた総菜を見て、僕が微妙な顔をしてしまったんだろう。嘘ついても仕方ないので、正直伝えることにした。
「いろいろ準備してくれて、僕が楽しめるようにしてくれて、ありがとう。……言いにくいんだけど、僕、お昼はお米が食べたくて」
「……やっぱり」
「あと、おかずのお伴にサンドイッチは選択しないというか」
「あー……」
はぁ、と藤森君はガクリと肩を落とした。
申し訳ないと思う。でも、ここで言わないと明日からもはちゃめちゃ総菜弁当を持ってこられてしまう。それはちょっと、いや、だいぶ嫌だ。
目の前の藤森君はみるみるうちに大人しくなってしまった。
「光君、ごめんね?明日はちゃんと考えて買ってくるから。だから、明日も一緒にご飯食べてくれる?」
まるで垂れ下がった耳と尻尾が見えそうな、クゥーンとか細く泣く声も聞こえるような、すがるような目をして藤森君は僕を見た。
「それは全然。僕も、言ってなかったし」
「ほんと?」
しょげた目で首を傾げた藤森君に、ぐさりと心を刺された。食の好みくらいなんだ、藤森君を悲しくさせないのが一番だろう。そうささやく自分もいる。でも、反対側からの悪魔のささやきを聞かずにはいられない。
「藤森君、その、わざとしてるでしょ?」
だってその表情は、あまりにも可愛すぎる。
反対側に首を傾げた藤森君と、同じ方向に首を傾げた僕に、藤森君はニカッと笑った。
「バレた?」
いたずらっ子の笑みを浮かべ、口元を手で隠した藤森君が少しだけ、わかった気がした。
「バレるよ。弟もかわいいフリするもん」
達也の場合はかわい子ぶりっ子してるけど、うまくいってない。ゴツイ体格のせいもあるかもしれない。かわいいのに、どこか面白い。
「へー、俺とタイプ似てるのかな?」
「ううん、藤森君の方が上手だよ」
達也はぎこちないから、それがかわいくもある。藤森君には本当に撃ち抜かれそうな愛らしさがある。心臓がドクンと大きく打つほどに。
「でもそうだよなぁ。光君、ちゃんと和風とか、中華とか、今日は洋風にしてくれてるし」
藤森君の前におかれたお弁当は、キノコのマリネ、ツナとブロッコリーのチーズ焼き、ウィンナーと野菜のケチャップ炒め、コーンとベーコンのバターライス。
「明日からもっと考えて買ってくる」
「そんな、無理しなくても」
作ってくるから、という前に言われてしまった。
「いや、光君がおいしいと思うの、食べてもらいたいってのはあるから」
机に置かれたお総菜の蓋をパカパカと開け、藤森君は僕が渡したお弁当から紙皿にバターライスを乗せた。
「明日もっかいチャンスちょうだい。で、光君の好みは?」
はい、と藤森君から紙皿を受け取った。
チャンスと言いながら答えは聞いてくるんかい、と思わずツッコミを入れそうになった。ツッコミをゴクリと飲み込んでから、口を開いた。
「パンよりはご飯派。嫌いなものも特になくて、甘いよりは辛い方が好き、かな。麻婆豆腐とか、ピリ辛のきんぴらとか」
「そっか、エビチリ買って来たらよかった」
両手で顔を覆った藤森君は、ため息交じりに言った。
「エビマヨも好きだよ」
「うん、でもエビチリの方が好きでしょ?」
そう言われると、もう黙るしかない。僕はあいまいな笑みを浮かべ、この話題を止めようとした。
「藤森君の好みは?」
けれど、そんなすぐに別の話題が浮かぶわけもなく、質問返しすることにした。
「俺はぁ……」
お箸を持ったまま、小さくうなった藤森君は僕を見た。
「光君」
「ふぁい」
口にエビマヨを入れたばかりだったから、もごもごしてしまった。
けど、藤森君は黙ったまま。
「光君」
「んん」
「光君」
「はい」
藤森君は、じっと僕を見つめるばかり。
「あの、藤森君?」
どうしたんだろう。藤森君はなにも言わない。
それなのに、その視線だけでなにかを語られているようで、頭の端でなにかがわかりそうな、なにかに気づいてしまいそうな、チリチリした感じがする。
「光君」
「うん」
どうして名前を呼ばれるだけで、心臓が高まっていくんだろう。
藤森君に名前を呼ばれ、見つめられる。
それだけで、居ても立っても居られないような、今すぐどこかに行ってしまいたいのに、ここでずっと彼を見つめていたい。
ふっと気の抜けたように、藤森君は口元に笑みを浮かべた。
「好みの話、だよ」
穏やかに、でも確かめるように
「好みだから」
藤森君はそう言った。
藤森君の言っていることがわからない。けど、本当はわかるような気もして、でも深く追いかけるのがこわくなって、追いかけるのをやめてしまった。
「光君の作ってくれたものは、何でも好きだよ」
そうして藤森君はウィンナーをパクリと食べ、今日も美味しいと淡い笑みを浮かべた。