Nook-彼と僕のゆるやかな日々の話-

初日は、やっぱり張り切ってしまう。
「なぁ、今日弁当多ない?てかなにこれ?誰の分?」
朝、お弁当の蓋を閉めていると、歯磨き中の達也が覗きに来た。
「山ちゃん?」
「ちゃうよ、別の子」
「えー、じゃあ誰──もしかして恋人できたん⁉」
朝から達也がうるさい。口から泡を飛ばさんばかりに誰の誰のと、後ろから羽交い締めにして騒ぎ立てる。本気で締めにきてないとしても体格差があるんだから、力緩めて欲しいし、あと面倒くさい。
「恋人はできてへんし、達也は知らん人やから」
もう学校行く準備して、と僕に巻き付いた腕を払うと、達也は渋々口をゆすぎに行った。
朝練があるのに、モタモタさせるわけにはいかない。
「勝手に恋人つくったらあかんで!兄ちゃんの恋人は、ちゃんと俺がジャッジするんやから!」
「アホ言うとらんで、早よ行き!」
玄関先から叫ぶ達也に、僕はリビングから叫び返した。兄ちゃん想いなのは嬉しいけど、朝から愛情丸出しにされると疲れる。

「あー、緊張する……」
昼休み、山ちゃんに今日は約束があるからと、旧校舎の昨日と同じ教室の前まで来た。静まった校内で、僕の深呼吸の音だけが聞こえる。このまま座り込んでしまいたくなっているのは、右手にずっしりかかるお弁当の重みのせいだけじゃないだろう。
数センチだけ扉を開き、中を覗くと藤森君が長い足を組んでスマホを触っていた。藤森君の後ろでカーテンがひらりと揺れ、絵になるなぁなんて思いながら僕はじっと眺めてしまう。
「光君?そんなとこでなにしてるの?」
「ひぃっ⁉」
「ひぃって……」
別に悪いことしてたわけじゃないけど、急に藤森君と目が合ったから、びっくりして声が出てしまい、藤森君はショックを受けている様子。
「ごめん、その、お邪魔かなと思って」
「全然!光君来るまで暇つぶしにゲームしてただけだよ」
立ち上がった藤森君は、扉をガラリと開け、さらりとお弁当の紙袋を持って、席まで運んでくれだ。
「俺、今日は光君のお弁当食べるために学校来たよ」
「そんな、大げさだよ」
社交辞令かもしれないけど、そう言ってもらえると単純な僕は嬉しくなってしまう。口がにやけそうになるから、唇を内巻きにして我慢する。
「なんか紙袋大きくない?」
「そうかなぁ……」
すぐにバレるのに適当に濁して、僕は紙袋から両手でお弁当を取り出した。
「光君」
「はい」
真顔の藤森君に返事することしかできない。呆れられてしまっただろうか。
「光君、これすごいよ!」
少し怯えながら薄っすら片目だけ藤森君に向けると、前のめりになった藤森君は目を輝かせ、口元をほころばせて蓋を取ったお弁当を見つめていた。
「これ、全部作って来てくれたの?」
「うん」
藤森君がそう言うのも仕方がない。
なにせ今日、三段お重を持ってきたのだから。
「もう行事じゃん!」
あはは、と藤森君は声を上げて笑っている。
そんな彼の前で、僕は身を小さくした。
昨日の藤森君の食べっぷりを見て、普段おばさんの「あたしの弁当でお腹いっぱいじゃないなんて言わせない!」の量のお弁当を買っていることから考えても、きっと藤森君はたくさん食べる。
だから、たくさん作った。それが結果的に、自分の想定以上の量になっただけだ。
「朝から作るの、大変じゃなかった?」
実際、机の上に出してみると量の多さに恥ずかしくなってきた。
「全然。作るもの昨日のうちに決めてたから。朝は普段と起きる時間も変わってないし……」
目の前にドンと置かれた弁当を前に、僕は顔半分をカーディガンの袖で隠した。
藤森君は喜んでいる。けど、想定外過ぎて笑っている気もする。自分の舞い上がり加減に汗まで出てきた。
「へー、光君、手際良いんだね」
突然、藤森君がそんなことを言うものだから、理解が追い付かなくて首を傾げた。
「そんなことないよ」
「え?でも料理って切ったり焼いたり、あれ作ったら次これしてとか、テキパキしてないと難しいと思うよ」
「そうかな?」
まだ顔に熱が残ったまま、僕はいそいそと紙皿と割り箸を取り出して、適当に乗せた。
褒められるのも、慣れていない。
「そうだよ、光君すごいね」
おかずを取ろうとうつむいていた僕と目線を合わせるように、わざと机に突っ伏して上目目線になった藤森君が僕に笑いかけた。
その角度は、ずるいと思う。きっと僕じゃなくてもドキドキしてしまうだろう。
「あ、ありがとう……」
嬉しい、けど、まだ羞恥が消えてくれない。
「でもほんと、うれしい。俺、光君がおにぎり1個でも作って来てくれたらすっげーうれしいけど、こんなに作ってくれるなんて思ってなかった。なんか光君もほんと、楽しみにしてくれてたのかなって思えて、すごいうれしい」
柔和な笑みを向けてくる藤森君は、僕を殺しに来てるとしか思えない。
「もう、それくらいで、勘弁してください……」
どうぞと魚肉ソーセージを包んだ卵焼き、ほうれん草のごま和え、ミニトマト、エビシュウマイ、野菜と鶏肉の中華炒め、おにぎりをたっぷり乗せた紙皿を藤森君に差し出した。
「ははっ、光君照れてる。かわいー」
ありがと、と受け取った藤森君はひとこと余計だ。
「いただきまーす!」
「口に合うといいんだけど」
手を合わせた藤森君、箸を手に持つ藤森君。
藤森君の一挙一動から、目を離せない。
昨日は勢いで何とかなったけど、いざ食べてもらうとなると心臓がうるさい。
「光君」
「はい」
なにか、食べられないものでも入っていただろうか。ドキドキしながら何を言われるかと待っていると
「これ、おいしい。めっちゃ俺好み」
ゴクリと中華炒めを食べた藤森君は、口元を舌で舐めた。
「ご飯進む~。なんつーの?まろやかな中に、ピリッと辛いのもあって、すげーうまい」
おにぎりを勢いよく口に入れた藤森君を前に、ほっと胸をなでおろした。ようやく緊張が解けていく。
「その、初回だから、僕も張り切っちゃって、作りすぎだよね。食べれないのあったら、無理しないでね」
「ううん、全部食べる」
リスみたいに口いっぱいにして、おいしそうに食べる藤森君を見ているだけでお腹いっぱいになってくる。それくらい、藤森君は食べっぷりがいい。
「光君、食べないの?それとも俺を見てたい?」
僕の視線に気づいた藤森君が卵焼きを箸で持ち上げながら、からかうようにニッと笑った。
急激に体温が上がる。
「ごめん、あまりにいい食べっぷりだったから」
言い訳しかできない。
「いーよー、別に見てても。でもそんな可愛い顔、俺の前でだけにしてね」
「……え?」
今、なんて言ってたの。
聞きたかったけど、藤森君はにこにこと卵焼きを頬張って
「これ全部朝作ったの?おかわりしていい?」
「ううん、全部じゃないよ。お皿もらっていい?」
「ありがとー」
話題を変えられてしまった。
野菜も昨日のうちにあらかた洗って準備していた。卵焼きと中華炒めは朝に作ったけど、エビシュウマイは昨日の晩ご飯だ。お弁当用に多めに作っておいた。
シュウマイを口に入れた藤森君を、両手で箸を持ったまま、じっと見てしまう。達也にも好評だったから、大丈夫だと思いたい。
「なにこれ⁉めっちゃぷりぷりしてる」
藤森君の楽し気に食べる姿にほっとした。たれ無しで薄味の、そのまま食べれる味付けにしたつもりだったから、どうかなとちょっと思っていた。
「光君、ほんとに料理上手だね」
「そんなことないよ」
「光君」
真剣な声色で、食べるのをストップした藤森君が、箸をおいた手を伸ばして、ゆっくりと両手で僕の顔を包んだ。
「俺ほんとに、光君の作ったごはんおいしくて、うれしいから。謙遜で言ったのかもしれないけど、否定しないで、受け取って」
まっすぐに見つめてくる藤森君が本心から言ってるのが伝わって、目が離せなかった。
「わかった?」
小首傾げて、藤森君はあやすように僕に問う。
「……うん、ありがとう」
「ん」
満足げな藤森君は僕の頬から手を離し、再び食べるのに戻った。
それが少し、さびしい気がした。
「藤森君は、いつもそうなの?」
「そうって?」
あ~、と口を開けて質問を返してきた藤森君に、口から零れ落ちた自分の言葉を今更ながら考えた。
「その、教室だといつもクールって言うか、淡白な感じだなって思ってたから」
「あ~……」
気まずそうに藤森君は僕から視線を外した。
「いつもつるんでる奴らはいんだよ、桃山とか。でも俺らがしゃべってると寄ってくる女子らがだるくて。勝手に腕組んできたり、肩に手ぇ乗せてきたりとか。誰だよお前ら、勝手に触ってんじゃねーよって」
藤森君はボリボリと頬をかいて、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で言った。
「だから、なんつーか、こっちがほんと。なんだけど……、そのぉ、イメージと違って残念、だった?」
麗しく、強く芯があるように見える藤森君だけど、藤森君が言うように、きっと本当の彼はそうじゃないんだろう。だって今、藤森君は僕にか弱い子犬のような目を向けているのだから。
「全然。今の藤森君の方が好きだよ」
いろんな表情を見せてくれる藤森君の方が、僕は話しやすい。
「えっ⁉好き⁉」
大声で叫んだ藤森君は、顔を赤らめて箸を落とした。
なにをそんなに驚いているんだろう。
「……光君、その、ほんとに……、俺のこと、好き?」
確かめるように、藤森君が聞いてきた。なんだかさっきよりも、子犬感がある。
「え、うん。今の藤森君の方が自然体でしゃべりやすいし、料理も食べてもらいやすいし」
一瞬、明らかに固まった藤森君は、はぁーと大きく息を吐き、肘を付いた手に顔を乗せ、そのまま動かなくなってしまった。
「どうしたの?」
「……いや、ほんと今、恥ずかしいから見ないで」
さっきよりも消え入りそうな声の藤森君の、いかついピアスがついた耳も真っ赤になっていた。
「あの、藤森君?その、たくさん食べてもらえて僕はうれしいから」
フォローになっているかわからないけど、本当にそう思っている。いっぱい食べるのはいいことだ。たくさん食べてもらえて、僕も気持ちがいい。
藤森君は、朱に染まった頬に潤んだ目をして顔を上げた。
「うん、食べる」
泣き終わった小さい子のようなその姿に、胸の奥がきゅうっとした。
「ほんと、おいしい。光君、お弁当以外も料理するの?」
そんなこと思ったからか、藤森君がかわいく見える。
「そうだね、平日の晩ご飯は僕が作ること多いかな。達也が、弟がお腹空かせて帰ってくるから早めにご飯食べさせたくて。うち共働きだから、母さんが早く帰ってくる日は作ってくれるけど」
「毎日光君のご飯食べれるなんてうらやまし」
そう言う藤森君は、もう平常運転に戻っていた。
「けどやっぱり、こんなに作ってもらうの悪いからさ。こうするの、どう?」
その方が気兼ねないから、と藤森君の提案に乗ることにした。
だって、こんなにおいしそうに食べてくれるんだから、僕の作ったものを明日も食べてもらいたい。
 お弁当を挟んで、僕の料理、藤森君のピアス(中学の頃に開けたらしい)、達也やバイトの話をしていたら、あっという間に時間が過ぎていった。藤森君の幼い面が見れたことで、僕の緊張はほとんどなくなった。
「でも今日、いいこと知れた」
お弁当を紙袋にしまって教室を出ると、機嫌よさげな藤森君は僕に目を向け、ニカッと笑った。
「光君、教室で俺のこと見てたんだ」
「……⁉」
改めて言われると、自白したのに見つかってしまったような恥ずかしさが湧き上がっていて、思わず紙袋を手から落としてしまった。
「いや、それは、その、藤森君目立つから……」
しどろもどろな僕の頭に、ポンポンと藤森君の手が乗った。
「ごめん、調子に乗ったわ」
そう言いながらも、鼻歌交じりの藤森君は先に校舎を出ると、僕を振り返った。
「明日、楽しみにしててね」
じゃあ俺自販機寄って戻るから、と目を細めるほど美しい笑みを浮かべた藤森君は、そのまま小走りで行ってしまった。その後姿は、まるで周りに小さな花が咲いているような陽気さを伴っていた。